キュロスが語る、というか、クセノフォンがキュロスを通して語らせる、愛に関する部下との対話があります。
これは個人的な感情に関わる問題であり、リーダーシップとは無関係に見えるかもしれません。しかし、重要なことは、リーダーもまた人間であり、感情的な弱さを持っている存在であることを自覚しておかなければならないということです。
リーダーであればこそ、自分の弱さをよく自覚し、その弱さが現れるような状況に自分の身を置いてはならないということです。
リーダーは、決して私心によって動かされてはいけない存在なので、誰よりも自制心を働かせ、自制心を損なうような状況を意識的に避けるという行動が求められます。
アジアで最も美しい女性
キュロス軍は、アッシリア軍との最初の戦闘において勝利し、敵陣を占領しましたが、騎兵力の不足によって追撃できませんでした。
そこで、メディア騎兵の援軍を要請し、また、ヒュルカニアという騎兵力に優れたアッシリアの属国がキュロスに寝返ったこともあって、それら騎兵隊が逃走したアッシリア軍を追撃し、戦利品として捕虜や財貨を続々と持ち帰ってきました。
キュロスは、戦利品を同盟軍(メディア兵、ヒュルカニア兵)に優先的に分け与えるように決め、残りをペルシア軍が受け取ることにしていました。
メディア兵たちは戦利品を分け、キュロスのために見事な天幕とアジアで最も美しい女性と言われているスサ王アブラダタスの王妃パンテイアを選んでいました。
アブラダタスは、アッシリアがバクトリアと同盟を結ぶために使者として派遣されていました。その間にアッシリア軍の陣営が陥落したため、王妃は捕虜となっていました。
キュロスはメディアのアラスパスを呼び、自分が受け取ることになっている天幕とパンテイアの見張りを命じました。
パンテイアと距離を取るキュロス
キュロスはパンテイアを一度も見ていませんでしたが、アラスパスは、美しい女性であるから見るべきだと勧めました。ところが、キュロスは、美しいのであれば尚更見ないでおこうと答えたのです。戦いの最中に女性に心を奪われないようにするためでした。
これに対し、アラスパスは少々驚き、キュロスは慎重すぎると考えたようです。人は、空腹や寒さ・暑さのような生理的欲求に屈することはあっても、美の好みは人によって違うので、他人の美しさが人の意志を屈服させることなどないと、アラスパスは考えていました。
キュロスは、人は愛を止めたいと望んでもそうはできず、愛する相手に奴隷のように無思慮に奉仕することがあると言いました。ところが、アラスパスは、そのような者を、「欲望に屈服して愛の責任にする『哀れな連中』」と呼び、自分はパンテイアを美しいと思っても、キュロスの側で騎兵として勤務し、その他の義務も果たしていると断言しました。
キュロスは、自分は進んで火に触れないのと同じように、美しい者たちを見ないと言い、アラスパスにもそうするように助言しました。火が触れる者たちを燃やすように、美しい者たちは気づかれぬうちに遠くから見る者たちの感情に火を灯し、愛で燃やすからです。
アラスパスは、たとえ彼女を見るのをやめなくても、彼女に負かされて、してはならないことをすることはないと約束しました。
アラスパス、パンテイアへの愛の虜になる
ところが、アラスパスは、パンテイアの美しさを目にする一方、彼女の高貴な心、彼に恩義を感じて様々な配慮をする彼女の姿勢に触れて、彼女を愛するようになってしったのでした。
パンテイアへの愛の虜になってしまったアラスパスは、彼女に肉体的な交わりを迫るようにさえなっていました。しかし、パンテイアは夫を強く愛していたので、それを拒絶し続けました。
それでもアラスパスは脅迫するほどに迫ったため、パンテイアは暴力を恐れ、キュロスのもとに使者を送り、現状を訴えざるを得なくなったのでした。
アラスパスへの許しと新たな策略
これを聞いたキュロスは、以前は愛に打ち勝つと豪語したはずのアラスパスを笑い飛ばし、アルタバゾスを向かわせて力づくにしないようにと伝えさせました。
アルタバゾスは、キュロスがアラスパスを信頼して任せているにもかかわらず、今回のような問題を起こしたことに対し、アラスパスの不敬と不正と自制のなさを非難しました。
アラスパスは、自分のしでかしたことを大いに恥じ入り、苦しんだのですが、キュロスと2人きりで話をし、それ以上恐れて恥じ入るのをやめるように言われました。キュロスは、アラスパスをこの抵抗し難い状況に置いた自分に責任があると述べたのです。
アラスパスは、自分の罪の噂が広まれば敵を喜ばせることになり、友人たちからは逃げるように勧められるだろうと考えました。
ここでキュロスは、その考えを活かして同盟軍に役立つことができる方法を思いつくのです。アラスパスがキュロスから逃れるふりをして敵中に潜り込み、敵の状況を隈なく調べさせるというものです。