同盟軍の確保とアッシリアへの進軍 − キュロスのリーダーシップ⑤

メディアの属国アルメニアの王が、アッシリアとの戦いに兵を送らず、義務である貢物も贈らないことから、キュロスはアルメニアに進軍し、軍隊と貢物を送らせようとしました。

キュロスの進軍を知ったアルメニア王は、女性たちを山に避難させ、自分たちも別の丘に退却したのですが、戦わない王の姿を見た兵士たちも戦意を喪失し、自分たちの財産を守るために持ち場を離れる始末でした。

結局、避難させた女性たちはキュロス軍の捕虜となり、アルメニア王も包囲されて、キュロスの裁判を受けるために投降することになりました。

アルメニア王の降伏

アルメニア王は、使者からキュロスの要求を聞いて驚愕し、兵を集め、自分の妻など女性たちに護衛兵をつけて山に避難させました。アルメニア王も戦うことなく退却しようとしたため、それを見た兵士たちは、自分たちも財産を持ち去るために持ち場を離れ始めました。

敵兵たちの状況を見たキュロスは使者を出し、留まるならば敵とみなさず、逃亡するなら敵とみなすと宣告したので、多くの敵兵たちは留まりました。

山に逃げた者たちは、先に送り込まれていたペルシア兵に捕らえられ、財宝も押収されました。事態を知ったアルメニア王は別の丘に逃げたものの、キュロスの兵力に囲まれ、裁判を受けに下りてくるように言われたため、それに従いました。

キュロスは、アルメニアの貴族や王妃などもその場に集めてアルメニア王の裁判を始めました。王が行ってきたことを知っている者たちを前に、嘘をつけないようにするためでした。そこには、アルメニア王の長男であり、キュロスのかつての狩猟仲間でもあったティグラネスがいました。

キュロスは、一つひとつの事実についてアルメニア王に質問しつつ確認し、メディア王に対するアルメニア王の裏切りを認めさせました。

また、アルメニア王自身は、自分の部下が過ちを犯せば解任して財産を奪い、部下が裏切って敵に寝返れば殺害するであろうことも認めさせました。そこでキュロスは問いました。それがアルメニア王としての正義であるならば、自分はそれに従ってアルメニア王をどうすべきかと。アルメニア王は、自分を殺すべきと答えざるを得ませんでしたが、それを言うことができずにいました。

そこで、王の息子ティグラネスが、キュロスにとって最善と思われることを助言したいと請い、キュロスはそれを認めました。

まず、ティグラネスは次のように述べました。

人は不正の現場を押さえられた時に賢明になって分別を持つようになり、分別があってこそ他の徳も役に立つ。

これにに対してキュロスは疑問を呈します。

敗北によって分別を持つのであれば、悲しみのような心の感情が分別であることになる。


分別には知識が必要であり、知者でなければ分別者にはなれない。

ティグラネスは言いました。

アルメニア王は戦闘によってではなく、優れた敵将の智謀によって戦いに至る前に抵抗の余地なく敗北したのだから、進んで従うような敗北であった。

さらにキュロスは反論します。

同じ人間が成功しているときには横柄であり、失敗すると卑屈になるというなら、自由になれば再び傲慢になり、新たに面倒を起こすのではないか。

ティグラネスは言いました。

アルメニア王は自分の責任を自覚しているので、進んで城砦の設置、堅固な場所の占拠などの保証をキュロスに与えるだろう。

それでもキュロスは反論しました。

自分への好意と愛情から義務を果たしている召使いであれば、過ちを犯しても容易に耐えられるが、強制されて仕事をしている召使いを使おうとは思わない。

ティグラネスは言いました。

キュロスに本当に感謝の念を抱くのは、キュロスに何の不正も働いていない者ではなく、不正を働いて王位を奪われるのが当然であると思っていながら王位の維持を許されるアルメニア王である。


これまでと同様の慣れ親しんだ支配のもとでこそ、キュロスが去ったアルメニアの混乱を最小にできるとともに、キュロスが必要とする軍隊や財貨を最もよく提供できるだろう。

ここでキュロスから、自分がティグラネスの言い分を受け入れるとして、どれほどの軍隊と財貨を供出してくれるのかと尋ねられたアルメニア王は、現有兵力と財貨のすべてを示し、そこからキュロスがよいと思うだけを供出すると約束しました。

さらにキュロスがアルメニア王に対し、妻や子供を返してもらうのにどれほどの財貨を自分に支払う気があるかを問うと、できるだけ多くの財貨を支払うと答えました。ティグラネスにも、妻を返してもらうのにどれほどの財貨を渡すかを問うと、自分の生命を差し出すと答えました。

これらの答えを聞いたところで、キュロスは、一切の対価を受け取ることなく妻や子供を返すと述べ、今から自分と一緒に食事をし、その後は行きたい所へ去ってよいと言いました。

食事の後、キュロスはティグラネスに対し、狩猟のときに一緒にいた賢者がどこにいるかを尋ねました。ティグラネスはその賢者を尊敬し、キュロスに対しても大いに称賛していたからです。

その賢者は、アルメニア王に処刑されていました。当時、アルメニア王がティグラネスに言ったことによると、その賢者がティグラネスを堕落させたことが理由でした。しかし、ここでアルメニア王はキュロスに本心を語りました。その賢者がティグラネスに対して、父王よりもその賢者を賛嘆するようにさせたからというものでした。父王はその賢者を妬んだのです。

アルメニア王の人間的な過ちをキュロスは指摘しましたが、ティグラネスに対しては父王を許すように言いました。当の賢者も、死の間際にティグラネスに対し、父王に怒らないよう諭したといいます。父王は悪意ではなく無知のために自分を処刑するのであり、無知で犯す過ちのすべては意志に反したものだと、その賢者は信じていたからです。

翌日、アルメニア王は、キュロスとその全軍に贈り物を届け、キュロスが求めた額の倍の財貨を渡しましたが、キュロスは自分の言った額だけを受け取り、残りは返しました。

キュロスに同行するアルメニア軍は、ティグラネスが率いることになりました。キュロスと離れたくないと望んだからです。

このようにして、アルメニア王を以前より親しい友人にするという約束が果たされました。

カルダイオイの降伏

翌日、キュロスは、ティグラネスと兵士の幾人かを伴ってアルメニア国内を巡察し、城砦を築くべき場所を探しました。

その際、アルメニアに敵対するカルダイオイの兵たちが、ある山の頂を占領し、そこからアルメニアに侵入して略奪を繰り返していることを知りました。アルメニアがその山を攻めようとすると、直ちに合図が送られて援軍が駆けつけるようになっていたため、攻略できずにいました。

カルダイオイは好戦的であったものの、その土地には山が多く、実りが少なかったため、貧しい種族でした。そのため他国の傭兵として働いているものも多くいました。

キュロスは、カルダイオイ兵が占拠する山頂に城砦を築くことによって、アルメニアとカルダイオイの双方を見張ることができると考えました。

正面と左右の三方面から山を攻めることにし、正面を二層で構成しました。一層目はカルダイオイ兵が攻めて来てもまともに戦うことなく後退して彼らを誘き寄せ、二層目の攻撃によって山頂を占拠しました。

キュロスは、城砦を築き始めたところで、捕虜にしたカルダイオイ兵たちに接見し、捕縛された者を釈放し、負傷した者を治療させました。そして、自分たちと戦うか友人になるかを選ぶために、仲間のもとに帰り、相談せよと命じました。

カルダイオイ兵たちは相談の後に山頂に戻り、和睦を願い出ました。その場にはアルメニア王も同席し、キュロスから双方に利益となる和平案が提示されました。

カルダイオイは農耕に適した土地が少ないために貧しく、アルメニアには戦争によって耕作されていない多くの土地が残っているため、カルダイオイがアルメニアに賃料を払って土地を借り、耕作することにします。カルイダイオイには放牧に適した山が多いため、アルメニアの放牧者たちから賃料を取って山を貸すことにします。両国は、安全が確保されることを条件に、これらに同意しました。

両国の安全を確保するため、山頂の守備をキュロスの軍が行うこととし、どちらかが不正を行った場合、キュロス軍は不正を受けた側に味方をすると宣言しました。両国はこれを受け入れ、同時に軍事同盟も結びました。

キュロスは、戦争で生業を立てているカルダイオイ人たちを傭兵として雇うことにしました。

さらに、カルダイオイ兵たちがインド王のところで働いていたことを知り、インド王の状況を知りたいと考えました。そこで、部下をインド王のもとへ派遣することとし、アルメニアとカルダイオイの道案内者をつけることとしました。名目は、インド王から財貨の支援を得ることでした。

アッシリアへの進軍

キュロスは城砦に守備隊を置き、必需品を備え、キュアクサレスに最も忠実なメディア兵を指揮官として置くことにしました。

キュロスは、軍隊と財貨をキュアクサレスのもとに送り、しばらく国境付近で狩猟を行った後、メディアに戻りました。

キュロスは直属の中隊長たちに報奨として十分な財貨を与えました。彼らにもまた、部下を表彰する手段を持てるようにするためでした。軍隊を立派で素晴らしい状態に維持するためには、価値ある兵士に報酬を与えることが必要であると考えていたからです。

表彰の際には、今回財貨を獲得できた理由、すなわち、必要とあれば眠らないでいること、苦労すること、努力すること、敵に屈しないことが重要であったことを思い起こさせるよう促しました。服従、忍耐、適切な時機における労苦と危険が大きな喜びと富をもたらすのだということを認識し、今後も優れた兵士でなければならないと述べました。

配下の兵士たちは、軍事的労苦に耐え得る身体と敵に対する精神的優位性を維持し、自分の武器の扱いに精通し、指揮官たちに服従するように優れた訓練を受けていました。修練で競い合い、功名心にはやり、相互に嫉妬心さえ抱くようになっていました。

そうした感情を敵に向けさせることが効果的であると考えたキュロスは、時を置かずに攻撃行動をとるべきであると考えました。彼らが共通の危険状態に置かれれば、互いに親しくなり、嫉妬心を抱かず、全体の利益を求める者同士として互いを称賛し、歓迎するようになると考えました。

キュロスは軍隊に完全武装させ、立派で素晴らしい整列をさせた後、主要な指揮官たちを召集して軍隊の優れた状態を示しながら、各兵力がいずれも強力である理由を明らかにし、彼らの気分を高揚させました。各指揮官にも、キュロスと同様のことを自分たちの部下に対して行い、兵士たちを高揚させるように命じました。

翌日、キュロスは指揮官たちを伴ってキュアクサレスのもとに赴き、敵がメディアの領土に侵入するのを待たずに、敵地へ進撃することを進言しました。敵地に進撃して敵にまみえるのを拒まない態度が、兵士たちの精神を勇敢で強力にし、敵はわれわれへの恐怖を一層強くするだろうと述べました。

キュアクサレスもこれに同意したので、早速、兵士たちに準備を命じ、神々に犠牲を捧げて援助を祈りました。また、メディアの住人であり保護者であった英雄たちにも祈りました。

キュロスは吉兆を得たことを確認すると、敵の領地へ進撃しました。国境を超えると、直ちにそこでまた大地の女神に灌奠(酒や水などを注ぎかける行為)して恩恵を求め、神々とアッシリアに住んだ英雄たちに犠牲を捧げ、好意を祈りました。

再び前進を開始し、キュロス軍とアッシリア軍の距離が近づいた時、アッシリア軍は陣営を設営し、周囲に堀を巡らせました。キュロス軍からはアッシリア軍が視野に入っていましたが、キュロス軍は丘や村の背後に隠れてアッシリア軍からできるだけ見えないようにしていました。不意打ちによるのが敵の恐怖を一層募らせると考えたからです。

アッシリア軍は堅固な陣営を敷き、軍隊を休息させ、その日は戦う意志を示しませんでした。キュアクサレスはキュロスおよび主要指揮官たちを呼び集めて、敵の陣営に向かって前進し、戦いを望んでいることを示すべきであると述べました。

しかし、キュロスはこれを諌めました。敵は安全な場所にいるため、全く恐れないと考えたからです。自軍の規模が敵に分かってしまってもよくないと考えました。敵はこちらの軍をまだ目にしていないからこそ、それを気にしているはずだからです。

軍の規模では敵のほうが大きいと分かっていましたから、キュロスは敵の出撃を待ち、こちらが望む場所で彼らを捕捉し、そこで姿を表して接近戦を交えるべきであると訴えました。キュアクサレスも他の指揮官たちも、これに同意しました。

翌日、キュロスは貴族たちを集め、最近戦友となった者たちに、今回キュアクサレスに雇われる条件、訓練内容、戦いの目的などについて思い起こさせるよう指示しました。キュロスが自ら行うのではなく貴族たちに行わせた理由は、彼ら自身がすでに完全に勇敢な人間であると自覚しているかどうかを試し、勇敢であることを部下たちに行動で示させ、教えさせるためでした。

その間に、アッシリア軍は陣営から出てきて戦列を組み、アッシリア王自身が戦列に沿って進みながら、兵士たちを激励していました。

キュアクサレスは、速やかに出陣するようキュロスに指示しました。キュロスは、必要な数の敵兵がまだ陣営の外に出ていないうちに戦うことを躊躇しました。それによって勝利したとしても、敵は負けたと思わず、改めてより多くの戦力で攻めてくる可能性が高いからです。

しかし、キュアクサレスの命令であったため、直ちに進撃を開始しました。キュロス軍はきわめて士気が高く、勇敢に速く迫り、接近戦に持ち込もうとしたため、敵兵の多くは踏み留まれずに逃げ出しました。陣営入口の内側にいた敵兵たちも、その光景を見て何もできず、キュロス軍の一部が敵陣営への入口を切り開いたのに気づくと、直ちに陣営内に逃れました。

ここでキュロスは、敵軍と自軍との戦力差を考えると無理に陣営内に突入することは危険であると判断し、飛び道具の射程外まで後退りで退くように命令しました。貴族たちはその命令にすぐさま服従し、兵士に伝達し、退却しました。自軍が有利と思われるときに退却命令に速やかに従えることは、申し分のない教育を受けていることの証明となりました。