組織の第一様式「努力の倍増」 − ブラウンの経営組織論⑧

この記事では、かつてアメリカの組織論における独特な一角を占めたアルヴィン・ブラウン(Alvin Brown)の『経営組織』(Organization of Industry, Prentice-Hall Inc., 1947)を紹介します。

組織において責任を複数人で分け持つことを「責任の分化」と呼び、その方法にはいくつかの種類があります。その種類のことを、組織の「様式(mode)」と呼びます。

どの様式を用いるかは、経営活動の諸要件によって決まります。しかし、様式が違うからといって、従うべき諸原則が変わるわけではありません。

責任の委譲は、それ自体が責任を分化させる最初の方法です。それは、委譲者と受任者との間における分化です。

委譲に先立ち、一定の基準にしたがって責任をいくつかの単位に分割し、その一部を委譲者に留保するとともに、残りの部分を一人以上の受任者に委譲することによって、責任が分化します。

このような責任の分化そのものは、「組織すること」そのものです。組織の様式とは、責任の分化に伴って、責任の性質が変化する点に着目します。つまり、どのような基準で責任を分割し、留保すべきものと委譲すべきものを区別していくのかという点で様式が分かれます。

一つの企業で一つの様式しか使われないわけではなく、企業が拡大し、より複雑になるに伴い、複数の様式の組み合わせが必要となります。

組織の第一様式「努力の倍増」とは

一人の成員が、ある単純で画一的な課業を遂行しなければならず、その量が当人の力量に余る場合には、所要数の助手を得ようとします。

その成員が複数人に責任を委譲する方法は、性質の異なる責任に分割することによってではなく、自分が元々受け持つ画一的な課業の遂行という単一性質の責任をコピーするかのごとく委譲します。

【原則】
  • 組織は、責任の範囲や度合いにおける差異がなくて、もっぱら努力の倍増たることがある。

このような責任の委譲を「努力の倍増」と呼び、これを組織の「第一様式」とします。

第一様式は、責任の委譲の最終段階で適用されることが多いと言えます。責任の委譲が単純な課業で終わる段階だからです。

委譲された責任の規定は、複数であっても実質的に同一です。複数人に委譲する必要があるのは、仕事の量が一人で遂行するには多過ぎるからです。

組織階層の中間段階での責任の委譲では、通常、責任に含まれ得る課業は画一的でないため、補佐者(秘書など)を置く場合を除いて、第一様式を適用できる場面はほとんどありません(補佐者については、別の記事を参照してください)。

ただし、地理的な基準による責任の委譲は例外の一つです。地理的に離れた複数の場所に同種の拠点(工場、営業所など)を設ける場合、同じ性質の責任を複数委譲する場合があります。

さらに、組織上のグループを形成する場合に、第一様式が用いられます。例えば、株主から取締役会に責任が委譲される場合です。グループの場合、仕事は各成員がそれぞれに行うのではなく、協同一致して仕事を遂行し、その成果もグループとして単一です。

委譲の範囲

第一様式は、課業自体は単純かつ画一的であるものの、課業の量が一人に対して多過ぎる場合に用いられます。

第一様式を用いる場合、責任の委譲者は、自分がやっている課業を、同じようにやってくれる受任者たちを必要としています。

委譲者は、自分自身の責任と全く同一の責任を幾人かの受任者に委譲し、自分は監督に専念するのが普通です。

受任者数が増加すれば監督の量は増加するものの、受任者の課業は同一ですから、比較的多数の受任者を監督することができます。

グループ一般の問題

組織において「グループ(group)」という用語を使うのは、非常に曖昧です。プロジェクトチームやタスクフォースのようなものも含めて言う場合もあります。

通常、チームは、ある目的を遂行するために様double”>二重責任々に異なった専門分野の人々が集まり、協議したりサポートし合ったりしながら、役割を分担して仕事を進めます。

このようなチームは、ブラウンが言う「組織」の範疇に当然のように含まれるものであり、特別な構成ではありません。責任の委譲と自己調整によって成り立つ「組織」そのものです。

しかし、ブラウンが言う「グループ」は、そのようなチームを意味するのではなく、2人以上の成員が協同して経営活動に当たるという単一にして共通な責任を付与される場合を指します。

本来一人でも受けることができる責任を、あえて2人以上で協同して受けるものですから、「グループ」は特殊な役割を持つものであり、頻繁に使われるべきものではありません。

考えてみれば、同種・同程度の能力を持つ成員が数人いて、その人たちが単独ではできない仕事をグループになればできるかというと、単純な肉体労働は別として、おそらくできないでしょう。

ですから、例えば、複数人で分担できない非常に高度な内容の責任がある場合に、企業内に適任者がいないからといって、能力が不足する複数人をグループにして、その責任を受け持たせたとしても、うまく遂行できません。

にもかかわらず、グループが特別に有効であると広く信じられています。その原因は、質は量によってカバーできるという誤った考えにあります。

グループは、その中の最も賢明な人以上に賢明であるとは限りません。ましてや賢者必ずしも容れられず、賢者の声は衆愚の声に没し、数名の一致した意見が、そのうち最も賢明な人の思慮に及ばないこともあり得ます。

このように言い切ることに例外があるとすれば、ある一つの課業をするのに一組になった技術的かつ専門的な能力が必要であるものの、そういう能力が一人には求められないといった場合に限ります。

そういう場合が、すでに述べたチームの働きであり、通常、一人が責任を負い、他の人がその責任者を補佐するときに、全員が共通して責任を負うよりも、経営活動はずっと確実になるでしょう。これは責任の委譲によって形成される組織そのものです。

グループの種類

グループについて、一般的な2つの種類が区別される必要があります。

第一の種類は、同一(単一)の責任を集団的に遂行するように企図されるものです。これは単一の委譲者によって委譲された責任であることを意味します。

このグループには一つの責任規定があるだけですから、責任が各成員にとって同一であることが銘記されなければなりません。

このグループにおける決定は、投票により、常に成員たちの意見が優勢となることによって行われます。グループの成員は皆等しい発言権を持ち、グループに属さない成員は発言権を持ちません。

このような集団性は、責任の内容と遂行の仕方にのみ当てはまるものであり、責任に伴う義務は、各成員にとって個人的です。つまり、各人の責任において発言し、投票するという個人的義務を履行しますが、決定は集団的であり、優勢となった結果に全員が従うという意味で遂行も集団的です。

ただし、グループの各成員が、別の責任を兼務することを妨げるものではありません。別の責任は、グループの成員として責任を果たすときには無関係です。

非組織的なグループ

第二の種類のグループは、外観が集団的に見えるとしても、各成員の責任は千差万別であって集団的に遂行することができないものです。このことは、成員たちが異なった委譲者たちから委譲を受けている場合があることを意味します。

異なる責任を持つ成員たちは、本来、集団的に行動することはできません。集団的に行動するなら、ある成員が他の成員の責任に関与する可能性が生じるからです。つまり、組織の原則に従う限り、グループを形成することはできないということです。

ですから、第二の種類のグループは、組織の諸関係をよりよく運営するための組織外の便法にほかならず、いわば非組織的なグループであるとしか言いようがありません。

この2種類のグループの区別を曖昧にし、第二のグループを組織上のグループであるかのように扱うと、成員たちが互いの責任に関与するようになるため、逆に自分の本来の責任の一部を疎かにする危険があり、責任の遂行に過誤を来す可能性があります。

第二の種類のグループは、さらに2つに分けることができます。一つは、複数の成員とそれらに共通の委譲者とを含むもので、一つの部門内にグループをつくるような形です。もう一つは、連鎖を異にする責任だけを含むもので、部門間グループのような形です。

前者は、委譲者が自分の責任である決定に備えて、自己の受任者たちを招集して、彼らの意見を徴するパターンです。これをグループというのは本来不適切です。決定権限の行使は、委譲者ただ一人の責任だからです。

後者は、そうしたグループにあえて根拠を見い出すとすれば、自己調整が行われる機会を多くするためでしょう。

このようなグループは、他人の責任に対する干渉を招く可能性があるため、責任の原則から逸脱するおそれがあります。しかし、経営活動のうち関係のある諸領域での意見の一致を容易にするだけに自制する限り、自己調整の方策としては承認できます。

しかし、自己調整は、本来的な意味でのグループ行動ではありません。自己調整は集団決定ではないからです。

自己調整に決定を委ねるなら、組織の原則を逸脱した不必要な混乱を招き、行動を起こす代わりに遅滞を生み、権限のない成員たちの時間を徒に空費させることになります。

とはいえ、複数の責任に関わる計画の策定などの特別な部面があって、それらの責任が緊密に努力を組み合わせる必要があるときには、グループを公式に編成することが有利となることもあり得ます。グループに対して公式に責任を委譲するということです。

そのようなグループは、「委員会」と呼ばれることがあります。委員会の設置が有利なのは、経営活動の利害からみて、ある程度行動を公式化することが必要になる場合です。

定期的な間隔を置いて会合を持つことが望ましい場合、議事録をとることが望ましい場合、多数の利害関係者を悉く出席させることが大切である場合などです。

時として、ある成員が自己の責任の重要な部分だと考えない任務を怠りがちになるので、委譲者が当該任務の遂行を強制する上で、委員会に入れることを有益だとすることもあり得ます。

各成員の直接的な関心事は自分自身の責任であることに間違いありませんが、当該責任を効果的に遂行するために、他の成員の責任について知っておくべきことは少なくありません。そうした手段として、成員たちが定期的に集合することが有益なこともあります。

しかし、特定の任務を遂行すべく責任を委譲された成員たちが、他人の任務を互いに取り扱うことに深入りし過ぎると、責任を分担する意味がなくなり、人的資源を浪費することになります。

組織上のグループ

先に述べた第一の種類のグループ、すなわち、同一(単一)の責任を集団的に遂行するように企図されるグループが、唯一組織上の責任を帯びるグループです。

【原則】
  • グループが真に責任を遂行するのは、ただ、そのグループの決定が成員たちの意見のいずれが優勢であるかによって行われる場合に限る。

グループは、集団討議にどれほどの時間と努力をかけるかは別にして、決定が行われることが重要な点です。

グループに特有の最も重大な弱点は、成員が責任を同じくするところから生じます。皆に関係のあることは誰も本気でやらないという点です。

もう一つの弱点は、責任をグループに付与し、最も有能な成員一人に付与しないことです。質より量を頼りにしているので、最悪は防げても、最善になり得るとは限りません。

グループの決定が優れた成員の思慮分別によって加重されることはあり得ますが、本来、一人がやればできることを2人以上でやるべきだとするほどの理由はそれほどあるとは考えられません。

ですから、グループの多用は才能の浪費であり、責任を配分して効果的な経営活動を図るという組織の基本目的からは逸脱することです。

個人的経営活動の優位性

グループは、効果的に監督を行使する体制としては不適当です。判断を定式化する都度グループによる監督をしなければならないとすると、監督に不可欠の緊密な接触と迅速な行動が不可能です。

多数に相談し、意見を聞くことがよい場合もありますが、方策の選択を判断するときは、最も資格をそなえた個人に決定させるほうが賢明です。グループが空論している間に、個人は行動します。

【原則】
  • 特定の責任は、2人以上によるよりも、一人の成員によるほうがよりよく遂行される。

組織は努力を協同させるための手段を規定します。それは、素朴な状態は別として、異なる事柄に当たる個人たちの努力を協同させることです。

個人の任務が的確に規定され、その力量が当該任務に適合していること、各個人が自らの任務を熟知し、他人の任務には立ち入らず、他人に立ち入らせることなく、自分の任務を遂行すること、こうした明確に区別された責任を遂行する個人によって構成されることこそ、組織の立派さを示すものです。

取締役会

考慮すべき事項が、責任の適格性ないしは確実性であるとすれば、組織上グループを用いて実益が得られる余地はないと結論づけることもできます。

しかし、それでもグループを認めてよい余地があります。その典型例が取締役会です。

小規模のオーナー経営者は別として、株主が企業の経営に参加するのは、大抵の場合、株主たちが重要な責任を委譲する人々を選任することが中心です。

仮に株主が有能かつ誠実な一人の首脳者を専任することが確かにできるのであれば、取締役会を設ける余地はありません。取締役会が能力上、最も有能な人に勝ることはないからです。

ところが、個人に責任を完全に委譲してしまうと、3つの危険が伴います。第一は責任を委譲した後に当人に能力がないことが分かること、第二は当人が誠実に経営活動に当たらないこと、第三はすべての成員に対して別け隔てのない公正な態度で任務に当たらないこと、の可能性です。

数自体が質を補うことはできないとしても、最悪を防ぐ安全性はあります。この安全性こそ、経営活動の卓越性(社長の選任)に先立つ考慮事項として、最も重要であると考えられます。

この安全性に基づいて、取締役会というグループが、委譲される責任の最初の受任者として望ましいものであると容認することができます。

新たに選任された取締役会の最初の行為は、代表経営者たる社長を選任することです。

取締役会以外にも、首脳者たち互選による委員会を設け、予備的な協議を行う任務を付託することがあります。そこにも、社長がグループであるのが望ましいとする考え方があるのでしょう。

しかし、個々の成員たちに委譲すれば、一段とすぐれた効果的な経営活動が行われるに至ることが少なくないことは間違いありません。

グループをその他の目的に用いること

ある責任が一般的な性質を持ち、他の責任に影響する場合には、当該一般的責任を、影響を受ける諸責任の受任者個人たちに集団的に委譲することができます。

一般的な責任には、計画の策定に関わる責任、企業全体にわたる作業の評価、功績に対する褒賞の決定、従業員退職の制度化などがあります。

グループを推奨する人々の中には、グループに特に恰好のものとして「計画」をあげます。計画の樹立に成功するには知識、経験、着想および発明が必要であり、これらを幾人かの意見に求めるのがよいこともあります。

しかし、計画は決定されなければなりません。方策を発明するのに適している精神が、決定に適しているとは限りません。計画が決定の段階に来れば、ある人が一人決定を行うべきです。

とりわけグループに向いているような種類の行動があるとすれば、裁定を要する類の行動です。それは才能というよりも良心に関わることが多いからです。

【原則】
  • グループに責任を委譲するのは、他人による経営活動が望ましくないという確証があるときにのみ行わなければならない。

二重責任

グループの成員が(非常勤取締役のような場合は別として)、グループの責任以外に、別個の責任を持つことは、通常避け難いところです。

ただし、このことは、同一の委譲者から両方の責任の委譲を受ける場合のほかは、望ましいこととみなすべきではありません。

そうしないと、2人の委譲者が同一成員に委譲してはならないという原則に反するからです。ですから、こういう事態は、理想に対してやむを得ず妥協を行ったものにしかすぎません。

グループの成員の任務

グループによる経営活動は、えてして責任を弱める傾向があることに注意しなければなりません。

【原則】
  • グループが責任を執行する場合、グループ内の各成員は、あたかも当該責任が、各自単独のものである場合に遂行するであろうように、決定に貢献する任務がある。

決定に当たって、少数の意見は多数の意見よりも大事でないという考え方は、責任が個人のものであることを弱める原因になります。

各成員の責任は個々別々であるということから、ある成員が同意できない決定に異議を申し立てることは正当であり、むしろ同意できない場合はその旨と理由を明確に表明する義務があります。

議事録をとるときには、責任が個人的な性質であることの象徴あるいは回顧録としてでも、各成員の結論を正確に記録にとどめるべきです。

グループは、その成員たちが協同して初めて行動することができるのであり、誰かが行動しようとしなければ、グループとして行動することができません。

とは言え、行動できないからといって、ただじっとしていることはできません。成員の義務はあくまで個人的なものだからです。

自分の義務に限界を置くことはできないので、義務を完全に果たすために、あらゆる然るべきかつ適切な手段を尽くさなければなりません。

他の成員が行動を怠るときには、当然取るべき行動についての自己の見解を、他の成員に適切に周知させるべきです。