組織における「補佐者」とは何か? − ブラウンの経営組織論⑬

この記事では、かつてアメリカの組織論における独特な一角を占めたアルヴィン・ブラウン(Alvin Brown)の『経営組織』(Organization of Industry, Prentice-Hall Inc., 1947)を紹介します。

組織において使われる「補佐者(assistant)」という言葉の意味は広く、責任の委譲を受ける受任者はすべて委譲者の補佐者であると言えなくもありません。

なぜなら、受任者は、委譲者が責任を遂行するための力量を補充することによって、委譲者を補佐すると言うことができるからです。

しかし、ブラウンは「補佐者」という言葉の意味を限定し、「委譲者の任務全般を遂行することによって、その委譲者を補佐する受任者」に限って用いています。

「受任者」という場合、特に断らない限り、委譲者の責任を分割し、その一部を委譲された人を指します。委譲された責任が一部か全部かによって、「受任者」と「補佐者」を分けます。

ただし、「補佐者」が委譲者の任務全般を遂行するとは言っても、あくまで「補佐」である以上、責任の度合い(部面責任の程度)は小さいと言えます。

補佐者の典型例として、委譲者の責任範囲で指示された仕事を何でも行う「秘書」が、これに当たると言えます。

補佐者は、委譲者の努力の倍増をもたらすという点で、組織の第一様式に当たるように見えます。

あるいは、ある委譲者の諸他の受任者に大部分委譲される課業について、それらの実行以外の部面(計画または点検)を広く取り扱うことも多いことから、組織の第四様式に見えることもあります。

委譲の性質

通常の責任の委譲では、委譲者の責任は、受任者に委譲される責任と委譲者に留保される責任の2つの領域に大きく分割されます。

補佐者の場合は、そのような分割はなく、委譲者の責任全般に関与します。その意味で、補佐者が委譲を受けると言えるかどうかが、まず問題になります。

補佐者は、委譲者の責任にいわば包含されており、組織の建前からは、委譲者とその補佐者とが合成された単一の人間のようにみなされます。

しかし、補佐者が自分の委譲者に義務を負い、たとえその義務の範囲が通常の受任者に比べて規定し難いとしても、その義務の履行に強制を伴うことは間違いありません。

そうした義務は、責任の委譲が行われる際の不可避的な結果ですから、そこに責任の委譲があると考えざるを得ません。

委譲者と補佐者との間の責任の範囲の区別は困難であり、主な違いと言えるものは、それぞれの責任の度合いの違いであり、それぞれの義務受領者の違いです。

委譲者が、補佐者以外の受任者にも責任を委譲している場合、それらの受任者が義務を負うのは委譲者であって補佐者ではありません。それゆえ、補佐者は、それらの受任者に対する監督権限はありません。

責任の範囲と度合い

通常の受任者の責任の規定は明確であり、継続的です。しかし、補佐者は、任務についての確定性は遥かに少ないと言えます。

なぜなら、委譲者によって委ねられる課業ないしは自分が最も委譲者の利益となると思う課業を、日々の必要に応じて遂行していくような性質のものだからです。

通常の責任の委譲が正確な規定を必要とするのは、それらの範囲と度合いが制限され、互いの責任同士が明確に区別される必要があるからです。

補佐者に対する責任の委譲が、これに比べて規定の必要性が小さいのは、通常、責任の範囲に制限がなく、委譲者と補佐者との連携が密であり、その都度調整がしやすいからです。

補佐者の責任範囲は、委譲者の責任範囲によって決まるとしても、その責任の度合いは大幅に動くものと考えられます。

補佐者による再委譲

通常の責任の委譲を受けた受任者は、特別に制限されていない限り、自らが委譲者となって別の受任者に責任の一部を再委譲することができます。

補佐者は、自分の個人的な力量だけで委譲者を助けるのが原則です。分割して再委譲し得る自らの責任が、明確に規定されていないため、再委譲しようがないのです。

しかし、理論上、補佐者が自分自身の補佐者を持つことができないわけではありません。補佐者の責任の規定は明確でないことが前提であり、力量の増大という目的だけでそれが可能だからです。ただし、委譲者が自分に委ねるその都度の課業に限ってのことになります。

混合責任を受けることもできます。通常の責任(明確に限定された責任)の委譲を受けると同時に、補佐者としての責任の委譲を受ける場合です。

補佐者の有用性

秘書ないし書記的な補佐者は有用であり、多用されています。責任の範囲に限定があって、しかもそれを分割する必要のない成員にとっては、補佐者を持つことは有用です。

しかし、補佐者には不都合な面も生じます。

【原則】
  • 補佐者に全般的な責任を委譲すれば、特定の諸責任の委譲があわせ行われている場合には、経営活動の諸活動の諸部面の分化と同じ不都合が起こるものである。

補佐者は、委譲者の責任に包含され、組織上は、委譲者とその補佐者とが合成された単一の人間だとみなされるため、容易に委譲者の権限が付随すると誤解されがちです。

実のところ、補佐者が有用であることは否定できないものの、自然な委譲の仕方であるとは言えず、本来の組織上の諸関係を損なう危険に陥りやすいのです。

ブラウンは、責任の全般について助力を得ようとするよりも、責任を個々の分担部分に分割して明確化したうえで委譲するほうが、遥かによく遂行することができると、あくまで主張します。

範囲を限定した責任の委譲をすれば、義務を正確に規定することができ、その遂行について役立つ標準を設けることができます。専門化による利益をもたらし、経済性の原則にも適います。

ある成員が助力を必要とし、補佐者を置きたいと考える場合、責任の委譲が適切に規定されていないためであることが少なくありません。

受任者の数を増やすか、より有能な受任者を当てるかすれば、補佐者を要しないことはあります。部面責任(「計画」と「点検」)を委譲すれば足りることもあります。

逆に、委譲数の過多が原因で不必要に仕事が増えたために、補佐者を求めることもあります。

それらの手を尽くしてもなお、責任が力量に余る場合には、補佐者を置くことで問題が解決することは確かにありますから、手段として最後まで退けるという必要はありません。

補佐者の役目

補佐者は、委譲者に指示(委譲)される特定領域の課業を行いますが、委譲者は常に補佐者が遂行する内容を確かめなければなりません。

補佐者は独自に課業に当たるのではなく、委譲者自身の個人的な延長にほかなりません。いわば委譲者の片腕ですから、通常の受任者のように監督が必要とされることはありません。委譲者が補佐者に使う時間は、委譲者が自分のことに費やす時間にほかなりません。

したがって、補佐者を追加しても委譲の数に関する問題(委譲者の労力が監督に取られ過ぎる問題)が起こるとはまず考えられません。この点に、補佐者の主たる有用性があると考えられます。

補佐者が必要かどうかを決めるのは、企業の規模や委譲者の責任の範囲というよりも、委譲者の行う責任の委譲の範囲と度合いです。

小規模な企業で委譲者が補佐者を必要とするのは、人材に著しく制限があるために、委譲者が責任を委譲できる範囲と度合いが制限され、留保責任と監督にかかる労力が大となるからです。

企業の規模が拡大するにつれて、委譲者は責任の委譲の範囲と度合いを増加させ、これに応じて自分の受任者たちに要求される力量を増加させることができます。それだけの人材が確保できるからです。それによって、委譲者は自身の力量の負担を軽減させて、補佐者を要しないようになります。

しかし、企業がさらに大きくなると、委譲者の力量に対する要求も増大せざるを得ません。一度決定した責任の委譲の性質を変更するのは容易ではないため、補佐者を置いて問題を解決できます。

補佐者については、委譲する責任の度合いを様々に変えることができます。ただし、委譲者に求められる力量上の要件をどれだけ満たす必要があるかをよく考えて、所要の責任の度合いに見合う能力を備えた補佐者を置くようにしなければ、首尾よく行きません。

【原則】
  • 成員の責任の範囲と度合いが小さければ小さいほど、それに応じて補佐者の必要も少なくなる。

留保責任の補佐

委譲者は行動領域を2つ持っています。留保責任と監督責任です。したがって、補佐者もこれら2つの補佐をすることになります。

留保責任の遂行に際しては、補佐者は、「計画」の基礎として不可欠な調査もしくは観察を行うことによって、委譲者を補佐することができます。

委譲者が企業外部に対して保持しなければならない諸関係あるいは企業内部の諸他の責任に対して保持せねばならない諸関係を、補佐者が引き受けることもあります。

場合によっては、自分の委譲者から特定の責任の委譲を受けた他の受任者たちとは無関係の特別な課業を引き受けることもあります。

しかし、これらの課業は、ほとんどの場合、合理的に規定できるものばかりですから、委譲者の留保責任が過大になっているのであれば、補佐者を置くよりも、通常のように責任を明確に分割委譲することによって解決を図るべきであると、ブラウンは主張します。

監督上の補佐

補佐者を必要とするようになるのは、どちらかというと、留保責任が過大になる場合よりも、監督責任が過大になる場合です。

しかし、監督は委譲者の権限ですから、補佐者がどのように監督に関与するかが問題になります。この場合、監督には、いくつかの必要な要素があり、これらを区別する必要があります。

第一は収集的な面であり、監督に当たっての事実上の背景を得ます。第二は分析的かつ反省的な面であり、収集された諸事実を評価し、整頓します。第三に決定を下す面であり、分析と反省から結論を引き出します。第四に定式化を行う面であり、結論を言葉で言い表します。

これら4つの要素は、監督のために必要な前提であり、監督そのものではありませんから、これらの要素において、補佐者は委譲者の監督権限に踏み込むことなく、補佐することができます。

監督そのものは、委譲した責任を遂行させる力であり、遂行の仕方を規定する力です。ここに補佐者が直接参加して、他の受任者の行為を規定したり、変更したり、歪曲したりしない限り、組織原則を逸脱することはありません。

補佐者は、監督の最終的かつ本質的な面に立ち入らないで、委譲者の口頭での指示を受けて、これを書き下ろし発表することはできます。委譲者が概括的に述べたことを詳細に書き下ろして、委譲者の名において定式化した命令書とすることもできます。

補佐者は、委譲者の口頭による表現を、他の受任者に自ら口頭で伝達することもできます。確実に伝達するために、委譲者の口頭での表現を文書にまとめて、これに自分の姓名を署名することもできます。この署名は、文書の内容が委譲者の指示であることを明確にする限り、補佐者は単に通話者として行動したことを意味するに過ぎません。

ただし、この種の行動が是認されるのは、補佐者が委譲者からそういう資格を与えられているという仮定に立ってのことです。補佐者は委譲者の手段として奉仕するに過ぎません。

補佐者に禁じられる事項

補佐者が自分の判断を入れた監督上の行為を行えば、自分に画された制限を超えることになります。

ただし、委譲者が定めている方針に従って健全な解釈をし、自分に委譲された責任の範囲で許されているとみなされるのであれば、補佐者はものを言ってよいでしょう。

このような判断は、明確な一線を画すことが難しい場合も少なくありません。最終的には、補佐者の良心こそ最善の指針となるでしょう。

このような問題が生じるのは、監督上の権限に基づいた慎重を要する行為についてです。監督上の効果を生じない場合は、上に述べた制限をつける必要はありません。

良心的な補佐者なら、いかなる場合も、委譲者の見解を省みるように細心の注意を払うでしょう。

委譲者の見解を知らない場合でも、補佐者は委譲者の見解について自分自身の判断を述べても構わないでしょう。その場合、あくまで自分の意見であることをはっきりさせるべきです。

いかなる場合も、聴き手が自分の発言を委譲者の権限の行使だと受け取る隙きを与えないように注意を払う必要があります。補佐者が意見を述べたに過ぎないと分かっていれば、聴き手は自分の理解に基づいて自分の義務を履行することができるからです。

【原則】
  • 補佐者が自分の委譲者の判断に代えるに自分の判断をもってしない限りは、委譲者が監督を行使する上での補佐者の助力は、監督を分担することでも、また監督を引き受けることでもない。

監督上の分担分の委譲

委譲者が持つ監督責任に関して、補佐者がその一部の委譲を受けて遂行できることを述べました。

この場合、補佐者が委譲者のもとにある他の受任者たちを監督するように見えてしまうのですが、そういう補佐者を使うのは、軍隊組織によって発明され、専らそこで使用されてきている措置です。

合衆国陸軍の用語によれば、そのような補佐者を「執行官(executive)」と呼びます。執行官は、本来同僚であるはずの受任者たちに命令を発することができ、司令官がこれを知らなくてもよいことになっています。

しかし、執行官は司令官の名において、かつ司令官のためにのみそうするに過ぎません。したがって、司令官は、執行官の発する命令を知らなくても、当該命令に責任を負います。

一般的に表現すると、ある人の行為が別人の意図を表しており、その別人によって受け入れられるものは、当該別人の行為だと認めることができます。

この点で混乱が生じるとすれば、執行官の行為が、自身の意図によるものなのか、司令官の意図を表した司令官の名による行為(命令)なのかをはっきりさせいないことが原因です。

執行官の範囲

執行官は、委譲者の監督を分担するからと言って、自分自身の判断をほしいままに用いることを許されているのではありません。

執行官が自分自身の判断に基づいて行動する場合、もしその行動が委譲者の名による監督上の行為だとすれば、委譲者がこれに与えたであろうと性格と目的とを与えなければなりません。

執行官はできるだけ委譲者の意思を伝える道具とならなければならず、自分自身の個性を出そうとしてはなりません。

委譲者と執行官は一体に合したものと考えれば、他の受任者が執行官に対する関係を考えるのに一番都合がよいと言えます。なぜなら、受任者は、執行官を委譲者(の一部)だと見なければならないからです。受任者は、執行官から受ける命令を、あたかも委譲者から直接受けたかのように、よく守りかつ遂行しなければなりません。

執行官の諸関係

執行官は自分自身の権限を持つものではありません。受任者の義務は委譲者に帰着するものであって、執行官には帰着しないことを十分自覚していなければなりません。

執行官は委譲者の知能の拡充にほかなりません。

執行官が委譲者の名において行為するのは、行為そのものが委譲者の行為であることを、委譲者が暗黙裡に認めているからです。

執行官が、委譲者の決定についてのほんの青写真から出発して、経営活動の綱領を打ち立て、細目の点で不適当なものを、委譲者の意図を推測して完成ないし改変する必要がある場合もあります。

このような場合に、委譲者の意に完全に沿い、自我の介入を抑制するのは、並大抵のことではありません。にもかかわらず、責任の諸関係を傷つけないためには、そうしなければなりません。

以上のように、諸他の責任に対する執行官の諸関係は曖昧です。これらの関係は組織の諸原則に際どく沿っているに過ぎませんから、決して望ましい形式ではないことは理解しておく必要があります。

組織の高度な役割の一つは、人間の本性を合理的な諸関係の規律に服従させて、これから逸脱しようとするのを抑制することにあります。ですから、責任の規定は明確であるに越したことはありません。

【原則】
  • 同一委譲者の下にある諸他の受任者を監督する力をば、別の受任者に委譲することはできるが、この力を行使するにあたっては、原則を例外的によく理解していることを必要とする。

よって、組織として、執行官は極力避けるべきでしょう。

補佐者の用途の事例

社長からの第一次委譲の数が多すぎて監督が困難になるものの、どうしても社長が直接的な関係を持ちたいためにそれだけ多数の直接委譲が生じてしまう場合は、社長に一人の補佐者を置いて、この補佐者に社長の力量を補足させることは可能です。

しかし、このような方法をとるのは特別な理由がある場合に限ります。委譲の数を制限するという原則や、委譲する経営活動の範囲を同等にするという原則を回避するために、補佐者を置くということは容認されません。

委譲の数を制限する原則がまず適用されるべきであり、その上でなお委譲者の課業上必要とするのなら、やむを得ず補佐者を置くようにすべきです。

人事ないし公共関係といった事柄で、一人の成員の全時間をとるほどの範囲はないが、他の責任と結びつけるには無理があり、かといって社長自身が当たるには過大な要求となるものがあります。

そういう場合には、補佐者を置いて方針や方法の計画を委ね、時間の一部分をこれに充てさせ、残余の時間を委譲者に全般的なサービスをするのに充てさせるのが一番よいことはあり得ます。