社会的責任の限界

自らの活動とは関わりない社会自体の問題については、事業上の機会に転換し、社会的イノベーションにつなげることが最善策です。

それができない問題に、どの程度まで取り組まなければならないのかが課題になります。社会的責任には、原則として限界がある、抵抗すべきときがあります。

  • 社会の問題に対して責任を取ることが、自らの本来の機能を損ない傷つけるとき
  • 要求が組織の能力以上のものであるとき
  • 責任が不当な権限を意味するとき

しかし、問題が極めて重大で深刻なときは、何もしないわけにはいきません。問題の解決について徹底的に検討し、その解決策を提案する必要があります。

本来の機能を損なってはならない

マネジメントの第一にして最大の役割は、自らの組織に特有の使命を果たすことです。組織は、そのために社会に存在することを許されているからです。

特有の使命を果たせなくなるなら、社会的責任を果たすためであったとしても、社会にとっては損失です。単なる無責任に過ぎません。

企業の場合、事業の目的を達成するために、8つの基本的な領域における目標を設定します。これらの目標のどれか一つでも達成されなくなるのであれば、事業の目的は達成されなくなってしまいます。これが判断基準です。

マネジメントは、事業上のリスクを負い、将来の活動に着手する上で必要な利益の最低限度を知っておくことが必要です。将来のコストとしての利益の最低額です。

それを念頭に置いたうえで、社会的責任を果たす必要があります。

能力と価値観を超えた要求は受けてはならない

能力のない仕事を引き受けることも無責任です。価値体系に合致しない課題に取り組んでもいけません。

熟練や知識は手に入れることができますが、価値観は変えられません。組織に特有の使命に整合しなくなるからです。

第1の役割に反する価値観を受け入れるわけにはいきません。成果があがらないどころか、ほぼ確実に間違ったことをする、とドラッカーは警告します。

ただし、自らが及ぼす社会的影響については、責任から逃れることはできませんから、能力がないでは済まされません。必要な能力はすべて身につけておく必要があります。

ですから、マネジメントは、自らと自らの組織にとって欠けている能力が何であるかを知っておく必要があります。

一般的に、企業は、業績の基準が目に見えない分野、例えば政治、地域社会、権力などに関する問題は不得手だと言います。

逆に、目標を明確かつ測定可能な形で設定できる問題なら、企業の能力と価値体系に合致する仕事に転換することが可能な場合もあるということです。

社会的な問題の解決に乗り出す前に、問題のどの部分を自らの強みに合ったものにすることができるかを検討する必要があります。測定可能な目標で表せる分野があるかを考えなければなりません。

不当な権限を伴う責任は受け入れてはならない

法学上、責任と権限は対の存在です。責任には必ず権限が伴います。社会の問題に責任を要求されたときは、それに対応した権限を持っているか、持つべきかを常に問う必要があります。

答えが否であれば、責任を負うべきではありません。正当でない権限は、越権です。責任を負うことは、それこそ無責任です。それでも、あえて責任を持つなら、権力欲の現れであると、ドラッカーは厳しく批判します。

少なくとも、企業が合法的な政治的主権である政府に代わって、国家政策に関して権力を行使することは許されません。国家政策によって取り組むべき問題の解決は、それを特有の使命とする政府組織の役割です。

きわめて重大な問題への対応

本来の機能を損なうとき、能力と価値観を超えているとき、不当な権限を伴うとき、それは拒否すべき要求であり、拒否することが組織の社会的責任です。

しかし、そのことが問題に無関心であることの口実になってはいけません。あらゆる組織のマネジメントが、社会の問題に関心を持つ必要があります。できることなら、その解決を業績と貢献の機会とすべきです。

問題がきわめて重大であるときは、誰かが解決しなければいけません。組織のマネジメント以外に関心を払うべき者はいません。あらゆる組織のマネジメントが逃げることなく、少なくとも何が問題かを考え、いかに取り組むべきかを考えなければなりません。問題の解決について徹底的に検討し、解決策を提案することが必要です。

あらゆる組織がその解決策を持ち寄るからこそ、それぞれの組織の強みと特有の使命に応じて、誰が解決に協力できるか、誰に何ができるか、誰と誰が協力できるかを見つけることもできるでしょう。