コミュニケーション

コミュニケーションは、組織が成立するための不可欠な要素の一つです。しかし、コミュニケーションは、いつの時代も、あらゆる組織で問題を抱えています。とらえどころがなく、理解することが難しいテーマです。

組織は、コミュニケーションにおいて数多くの失敗を繰り返してきましたが、ドラッカーは、その間違いから、コミュニケーションの基本的な原理を学んできたと言います。

常に注目されがちなのは、話し手の視点です。いかに伝えるかに重点が置かれます。そこに、コミュニケーションがうまくいかない最大の原因があります。

重要なことは、コミュニケーションは、受け手の知覚によって成立するということです。受け手に焦点を合わせない限り、コミュニケーションは成立しません。

知覚は、受け手の経験や理解、価値観、思考、期待に左右されます。ですから、コミュニケーションは、受け手について知ることから始める必要があります。

むしろ、言葉による理解ではなく、知覚の違いを超えたコミュニケーションが理想的です。経験の共有こそ完全なコミュニケーションであると言えます。

仕事においてコミュニケーションを成立させる最善の方法は、「自己目標管理」です。受け手の経験、理解、価値観、期待を知ることから始め、なおかつ経験を共有できる方法です。

自己目標管理を通して、まず、上司は部下の理解や期待を知ります。次いで、部下は上司の理解と期待を知ります。互いに知覚の違いを知ります。

部下は、自己目標を組織全体の目標につなげることの難しさ、上司が行う意思決定の大変さを経験します。経験を共有するのです。

これこそ本当のコミュニケーションであり、組織のあり方そのものです。

コミュニケーションの原理

コミュニケーションの研究は長い歴史を持ちます。

成果の多くは、学習理論や電子工学、遺伝子工学など、まったく関係のない分野での研究の副産物として得られてきました。マネジメントの現場での失敗の経験によっても得られました。

ドラッカーは、主として間違いから学んだこととして、コミュニケーションには4つの基本的な原理があると指摘しています。

コミュニケーションは知覚である

コミュニケーションは知覚です。誰も聞かなければ音はないのと同じように、聞く者がいなければコミュニケーションは成立しません。つまり、コミュニケーションを成立させるのは受け手であるということです。

組織学の専門家であるメアリー・パーカー・フォレットは、問題への答えに関して意見の対立や不一致が起きることはない、と言いました。ほとんどの場合、対立は知覚の違いから起きると言います。

知覚はありのままを見るのではなく、同じものを違ったように見ることがあります。知覚は思考と一体であり、受け手の考え方、受け手の理解によって影響を受けるからです。

知覚は論理ではなく、体験です。コミュニケーションでは、言葉の役割はごく一部であり、身ぶり、声の調子、雰囲気という言葉以外の属性の方が影響が大きいことが知られています。

受け手の経験に基づいた言葉を使わなければコミュニケーションは成立しません。そのためには、受け手が何を見ているかを知り、その理由を知ることが必要です。

コミュニケーションは期待である

人は期待しているものだけを知覚すると言います。期待していないものは反発を受け、コミュニケーションの障害になります。

それどころか、期待していないものは受け付けられることさえなく、期待しているものと同じだと間違って受け取られることさえあると言います。

したがって、受け手が期待しているものを知り、期待しているものを利用しないと、コミュニケーションはうまく行きません。

期待していないことを伝えなければならないときは、受け手の期待を破壊し、予期しないことが起こりつつあることを強引に認めさせるためのショックを与えることも必要になります。

コミュニケーションは要求である

コミュニケーションでは、話し手は、受け手に何かを要求します。何かになること、何かをすること、何かを信じることを要求します。要求することが、コミュニケーションの目的です。

要求は、受け手の価値観、欲求、目的に合致するとき強力になります。合致しないときは、まったく受け付けられないか抵抗されます。コミュニケーションは知覚であり、期待でもあるからです。

コミュニケーションは情報ではない

情報は記号であり、論理の対象です。人間的属性を除去するほど、有効となり信頼度も高まります。

しかし、コミュニケーションがなければ、情報は正しく伝わりません。情報の送り手と受け手の間に、あらかじめ共通の理解が必要だからです。両者が記号の意味を知らなければなりません。その意味で、情報はコミュニケーションに依存します。

一方、コミュニケーションには、必ずしも情報は必要ありません。コミュニケーションは、経験の共有によっても成り立つからです。むしろ、それこそ完全なコミュニケーションであると言えます。経験の共有ができれば、言葉の知覚に伴う理解の違いを越えることができます。

コミュニケーションの方向

職場におけるコミュニケーションの方向は、上司から部下に向かうことが当たり前だと考えられてきました。どうすれば上司から部下へ適切なコミュニケーションができるかが重視されてきました。

それは、上司にコミュニケーション能力を付けさせる試みでした。コミュニケーションを成立させる者は話し手であるという前提のもとで、「何を言いたいか」に焦点が当たっていました。

しかし、それではコミュニケーションは成立しません。先に述べた原理に反するからです。

逆説的ですが、上司から部下へコミュニケーションするためには、受け手である部下の言葉に耳を傾けることからスタートしなければなりません。

部下に理解してもらいたいことを伝えることから始めるのではありません。部下が知りたがっていること、興味を持っていること、すなわち知覚する用意のあることを知ることから始める必要があります。

ただし、耳を傾けることだけがコミュニケーションの目的ではありません。話し手が目的とする何らかの要求事項があるはずですので、その要求を実現しなければなりません。

結局のところ、コミュニケーションとは、次のプロセスです。

  1. 受け手が理解していること、すでに動機づけられているものを知る。
  2. 話し手と受け手の双方が知覚し、共有することのできるものに焦点を合わせる
  3. 話し手が受け手に求めることを伝える

コミュニケーションでは、まず受け手を理解し、自ら動いてもらうようになることが理想的です。それぞれのコミュニケーションについてさらに詳しく知りたい方は、次の記事を参照してください。

コミュニケーションの前提

以上の原則を踏まえると、「自己目標管理」こそ、仕事においてコミュニケーションを成立させる最善の方法であると言えます。

上司が部下に要求したいことは、組織の成果への責任と貢献です。

そのためには、まず部下が「何をしたいか」を理解することからスタートします。部下は上司に、「企業もしくは自部門に対して、いかなる貢献を行うべきであると考えているか」を明らかにしなければなりません。

部下の考えは、上司の考えと違うかもしれません。上司と部下の知覚の仕方の違いを明らかにすることこそ、自己目標管理の最大の目的であると、トラッカーは言います。

しかも、同じ事実を違ったように見ていることを互いに知ることこそがコミュニケーションであると言います。

目標の決定権は上司にありますから、結論は「それではなく、これをやってくれ」という指示になるかもしれません。

その場合でも、上司は、部下の希望どおりでないことを知っています。部下は、自分の考えを上司に伝え、議論したうえでの結論であることを知っています。

さらに重要なことは、部下にとって、上司を理解し、上司の抱える問題に接する経験ができることです。

  • 意思決定の実体
  • 優先順位の問題
  • したいこととすべきこととの間の選択
  • 意思決定の責任

について体験し、上司を理解することができます。経験の共有こそ、完全なコミュニケーションです。

ドラッカーは言います。

コミュニケーションは、私からあなたへ伝達するものではない。われわれの中の一人から、われわれの中のもう一人へ伝達するものである。
(中略)組織においてコミュニケーションは手段ではない。組織のあり方である。

すべてのマネジメントが、自己目標管理を通して、縦にも横にも仕事のアウトプットを提供することによって、組織全体の成果に貢献します。

その姿は、コミュニケーションという手段によって、バラバラの個人が何かを伝え合っているのではありません。

コミュニケーションは、組織としてのわれわれが、理解を共有し合い、経験を共有し合う姿です。組織という有機体が成果を生み出す機能、プロセスそのものであり、組織のあり方そのものであると言えます。