ナショナル・チャンピオンとしての大企業 – 「シンボリック・アナリスト」とは何か?④

1950年には、市民個人としての幸福、国家の繁栄、国家の中核企業の成功の3つは、切っても切れない関係にありました。

1953年に、フォーチューン誌は、アメリカ人の大多数が巨大企業を快く思っているという世論調査を掲載しました。

戦争が集結した時点で、当時誰もが予想していた高水準の失業の発生は現実にはありそうもないことがはっきりしました。そして、工業生産はかつて見なかった高水準を達成しました。

大量生産は大量消費と表裏一体でした。アメリカ人は、消費することが自分たちの愛国的な義務だと考えましたし、経済の目的は消費にあると理解していました。

アメリカ資本主義の象徴

1950年代、アメリカの中核をなすのは約500社の巨大企業でした。それらの企業は、工業生産高の約半分(自由世界の工業生産高の約4分の1)を生産し、工業資産のほぼ4分の3を所有し、企業利益の約40%を稼ぎ出していました。

この中核企業群は、20〜30業種にわたるアメリカの主要産業ごとに、2社ないし3社ずつ存在しており、それぞれに価格、賃金、大量生産技術に関する産業の規範を定めていました。

この中核企業の周りに、数千の比較的大きい企業と中核企業の要請に応じる少数の重要な位置を占めるサービス企業が集まっていました。銀行、保険会社、鉄道、大規模小売業などです。

中核企業は経済に占める比重が高く、中心的な役割を果たしていたので、アメリカ人や世界の人々から、アメリカ経済そのもののように認識されました。中核企業は国民経済のチャンピオンであり、中核企業の成功は国民経済の成功でした。

創り出された巨大な中間階層

アメリカの中核企業は、熟練および半熟練の労働者、職工長、監督者、中間管理者、技術者からなる巨大な中間階層を創り出し、これらの人々が中間階層としての大衆市場を創り出しました。

企業組織における地位は、官僚的な採用と昇進の規則によって決定されるようになりました。学校教育の種類と量によって最初の働くレベルが決まり、それから後は、官僚的な競争によって地位が決まっていきました。

企業の官僚制は、所得を平準化させる効果も持ちました。所得は資産所有ではなく官僚的な地位、すなわち職能的な役割によって稼得されるようになりました。

軍隊に似た巨大企業の官僚制

アメリカの企業官僚制は、あらかじめ考えられた計画を効率的に遂行する軍隊の官僚制に似ています。生産と販売は、あらかじめ設定された目標に従って行われました。

最重要視されたのは忠誠心と規律であり、絶対服従を吹き込む上司の能力とそれに従う部下の能力でした。つまり、管理が常に行われていることが最重要課題でした。

大規模な改革のためには細心の準備が行われました。新製品の構想は完全な形で研究所から送り出されました。金融戦略専門家とマーケティング専門家が新製品が売れると判断した場合には、生産工程は新製品に合わせて完全に変更されました。

1950年代のアメリカの大企業は、利益のちょうど半分を新規の工場・設備および研究開発に再投資していたため、新製品を受け入れない市場を認めるわけにはいきませんでした。

巨大な官僚機構の頂点に立ち、どの企業の組織図でも特に大きな位置を占めるのは企業政治家です。

企業政治家は、国民に対して、自分たちの仕事は大衆全般を含めて企業によって影響を受けるあらゆる人々の要求をバランスよく満たすことであると公言していましたから、国民的な幅広い視野を持ち続ける義務があると考えられました。

企業政治家は、目の前の状況や戦略に対しては超然として控えめな態度を示し、今や産業政治家になるべきと言う者もいました。彼らはほとんど同じ視点で国家が直面する問題や機会を眺め、政府の多くの委員会などに参画し、政府の官僚に大量に送り込まれることもありました。

中核企業の中間管理職には個性がなく、他人指向で顔のない組織人でした。その協調性と従順さは、彼らが監督する標準化された大量生産のための組織と相通じていました。組織は創造的な思考方法をそれほど要求しませんでしたし、それが報いられることもありませんでした。

プロレタリアのドラマ

1950年代には、アメリカの工場労働者、炭鉱労働者、鉄道労働者のちょうど70%に相当する1500万人が労働組合に加入していました。しかし、すでに激しい闘争は終わっていました。

労使間の和解の実現は、アメリカ経済における官僚化の進展によるところが大きかったといいます。対決の場は弁護士や職員が同席する会議室に移り、巨大な労働組合自体が官僚制そのものに変わっていました。

価格調整能力を有していた各産業内の中核企業にとっては、会社の交渉者が気前よく賃金と福利の増大に応じることは比較的容易でした。それを価格に乗せて消費者に押し付ければよかったからです。