産業社会の実態 − 「人間関係論」とは何か?④

産業組織における実際問題の多くは、人間関係が重要な要素となっている現象に関わっています。

平素目にする人間の社会的行動は、改まって問題にする必要がないほど平凡な事実であるように思われますが、それをどのような意味を持つものとして取り上げるかは非常に重要な問題です。

社会的行動に関する事実は、具体的な事例の研究から得られなければなりません。産業組織内部においては、実際に働いている人々に対する直接的観察を通して学びます。

しかし、平凡に見えるがゆえに、よほどよく訓練された人でなければ、公平な観察は困難です。

観察者の立場

観察者にとって重要なことは、「機能的立場」に立つことです。「機能的立場」とは、人間の社会的制度を研究するに当たって、それらの制度に関係している人々から独立したものとしてではなく、それらの人々と離れがたく本質的に結びついているものとして研究する立場です。

制度化ないし習慣化された行動様式が、人々にとってどのような「意味」や「機能」を持っているかに注目します。

観察者に情報を提供してくれる人たちの用いる言葉や記号に対する立場としては、言語的な現象と没言語的な現象とを明確に区別する必要があります。つまり、言葉と、その言葉によって表現されている事象自体を混同しないことです。言葉の表象的な意味は、その話し手が真に意味していることとは同じではないからです。

経営層の見方

経営層は、組織の論理的・技術的表現(組織図や事務分掌など)に基づいて企業を見ています。現実に組織されているあり方は異なっているにもかかわらず、十分に理解されていません。

原因の一つは、組織の上層にいる人々が、組織の最下層にいる人々と、いくつかの階層によって隔てられていることです。

組織図上の職名が単一の個人によって占められるのは、上層および中堅に限られています。下層の職名は一群の人々のうえに付与されたもので、事実上個人として見られていません。

例えば、最下層では「従業員」、「一般事務員」、「工員」、「作業員」などと総称され、経営層から見ると個性のない塊です。

だからこそ、経済合理性による組織運営によって機械のように動くものと思われがちです。

ところが、その塊に見える人々が、組織図に現れないインフォーマルな社会的組織を構成し、経営層が想定していない秩序や論理に基づいて考え、行動しているということがあります。

経営層は、会計部門などが作成した数字を基に企業の動きを知り、能率的に統制しようとし、思い通りに動かないことに不平を述べます。塊であるはずの「従業員」たちの、組織目標や方針に対する認識不足を憤ります。

専門スタッフの見方

会社には、技術、財務会計、人事労務など、様々な専門分野を持つ数多くのスタッフがいます。

彼らは各専門分野に独特の思考や言語を持ち、基本的にその専門分野の視点で組織を見ています。その中心は、経済合理性に基づく能率の論理です。彼らが案出する様々な計画や制度は、「従業員のため」と称しながら、「従業員の行動は経済的利害によって動機づけられている」という仮説に基づいています。

彼らはスタッフであり、彼らの案出する計画や制度を導入するかどうか、いかに導入するかを決定するのは、組織図上、ラインの責任者に権限があります。にもかかわらず、あたかもライン責任者よりも上位に位置する管理監督者であるかのように振る舞い、自らが案出した計画や制度を強制導入させる事実上の権限を持っていることがあります。

このような権限はフォーマルなものではなく、ライン責任者よりも上位に位置する経営層とのつながりによって事実上生じているものです。このことは、スタッフとラインとの関係においても、インフォーマルな社会的組織が事実上機能していることを意味します。

このような社会的組織はラインとスタッフとの摩擦の原因になるものの、ほとんど野放し状態です。スタッフ部門の専門家(部門長)から経営層に直接昇進する場合も多いため、当然の慣習のようにみなされていることも少なくありません。

従業員にとっての作業条件の意味

人はしばしば「能率」に従って行動すると言いますが、言葉で説明する行動と、実際に取る行動とが客観的に一致しないように見えることがあります。

人がある対象について話す事柄を聞くとき、それが社会的組織内の人々の間での相互作用や人間行動に関連して持っている意味を理解することが必要です。その言葉は、それが指している対象そのものよりも、社会的組織の中における何かを象徴しているものですから、その人が置かれている「状況の脈絡」の中でこそ意味を理解することができます。

例えば、「机」には、片袖机と両袖机があります。その違いは、能率の論理で言えば、仕事に必要とする書類等の量の違いということになりますが、実態は、その人の地位を象徴しています。上司に比べて部下のほうが扱う書類が多いから、部下が両袖机を使用し、上司が片袖机を使用するのが経済合理的であるとしても、それを受け入れる上司はほとんどいません。

その他の条件も経済合理性を根拠に説明されるかもしれませんが、実態は、「状況の脈絡」の中でその条件が象徴すもの、意味するものがあります。人々の相互作用との関連において、組織の中での人間の位置を象徴するものとなっているのです。

そのような象徴は、組織図的に明確な肩書や役職を持つ者からすれば「大して意味がない」と言われるかもしれません。しかし、そのような肩書や役職がなく、例えば、ひと括りに「従業員」と称されている人たちにとっては、そうとは言い切れません。むしろ、肩書や役職を持つ者にとってこそ、象徴が重視されていることは少なくありません。

工場現場における従業員たちの実態

ホーソン調査が行われた当時の工場では自己防衛的な空気がみなぎっていたといいます。常に見張り役の工員がおり、見知らぬ人がやってくると決まった合図をして、仕事のスピードを落とすのでした。

集団内の日常関係に影響を与える可能性のある変化に対して、異常に強く反応が起こり、独特な形で表明されることがあります。

例えば、ホーソン調査で明らかになったことですが、請負作業をしているある集団の中では、集団員全体の社会的圧力が、仕事の早い仲間に対して向けられます。「嫌な奴」、「がっつき屋」、「奴隷野郎」、「記録破り」などと皮肉られ、愚弄されます。集団請負制度のもとでは、従業員は働けば働くほど余計に稼げるにもかかわらずです。

従業員がそのように振る舞う理由は、次のとおりでした。

  1. 賃率の切り下げを防ぐため
  2. 割当作業量の増大とスピード・アップを防ぐため
  3. 仕事の鈍い仲間を職長の叱責や解雇から防ぐため

経済合理性があるはずの賃金制度が、まったく効果を出していないことになります。

ところが、賃率、作業時間および人員数の変化は、そのような従業員の態度や経営者の意図とはまったく別の要因で起こることが少なくありません。

例えば、生産工程の変更が要因になることがありますが、それを起こすのは、単位コストの切り下げなどによって経費の節約に努めようとする技術者の義務感・使命感です。その背景にも「新しい制度をつくりたい」、「独自の変化を起こしたい」といった感情が働いており、技術者という社会的組織における一種の社会的態度であると言うこともできます。

しかも、先にあげた3つの理由による請負作業の怠業圧力が、労務費の負担増を技術者に意識させ、工程合理化の使命感を一層鼓舞します。

それでも従業員は大真面目に信じ、実行しているのですから、それほど深く、集団の信念が行動規範として染み込むことを意味します。経済目的を追求する産業組織においてさえ、人間は技術的で経済的な目的とは明らかに矛盾する社会的規範をつくり上げ、真面目に実践しようとするのです。

ただし、客観的に見て、従業員の社会的行動がすべて非合理的であり、技術者の取り組みがすべて合理的であると言い切るのは、公正な態度とは言えません。

例えば、従業員からの苦情として「自分の職務が他の人の職務よりも低く見られ、賃率が低く設定されていることが納得できない」というものがあります。そのような賃率の差を設定するのは、多くの場合、スタッフ部門の専門家であり、「客観的基準にしたがって、職務の順位を設定し、賃率を決めている」というのが言い分です。従業員の苦情に対しては「主観的な評価」であると一蹴します。そのような専門家の態度は、それ自体が客観的でも合理的でもなく、むしろ「自らの客観性を盲信する感情的態度」に見えます。

本質的な問題は、変化が客観的で合理的であるかではなく、従業員の抵抗が主観的であるかでもなく、従業員の感情を無視して行われること自体にあります。