大衆の絶望 - 「経済人」の終わり②

ファシズム全体主義は、ヨーロッパの精神的、社会的秩序の崩壊によって生まれました。

ブルジョア資本主義では、経済的な進歩が個人の自由と平等を促進すると考えます。しかし、経済的自由による経済発展は、恵まれたブルジョア階級と貧しいプロレタリア階級を生み出し、固定化し、経済的平等どころか機会の平等さえもたらしませんでした。

ここにおいて「大衆の窮乏化」というマルクス社会主義のテーゼが絶対真理として受け入れられました。マルクス社会主義がブルジョア資本主義を葬り、新しい秩序と階級のない社会を実現するはずでした。ところが、マルクス社会主義がもたらしたものは、自由のない硬直的な階級そのものでした。

ブルジョア資本主義もマルクス社会主義も、どちらも失敗したということです。両者の失敗は、個人による経済的自由の実現が、自動的に自由と平等をもたらすという目論見が誤っていたことを意味しました。両者の共通の基盤である「経済人」という概念を問題にせざるを得ません。

しかし、それに代わる新しい概念がなかったため、人は社会における自らの位置と役割を失い、孤立した群衆となってしまいました。

マルクス社会主義の失敗

「ブルジョア資本主義は生産単位の絶えざる巨大化を伴い、必然的に、ごく少数の搾取者を除き、すべての人間が平等なプロレタリアになるという社会構造を発展させて行かざるを得ない」というのが、マルクス社会主義のもっとも基本的な教義です。

したがって、その少数の搾取者から生産手段を奪うならば、階級のない社会をもたらすことができると考えます。全生産機能をプロレタリアが一元的に所有し、運営することができるからです。これによって不平等と特権の一切を消滅させることができると考えました。

ところが、特権を有する者の数は、生産単位が拡大するにつれて、逆に増加していきました。独立した存在としての特権者は減少したものの、中間的な地位にある者が特権的な力をもつようになったからです。

彼ら中間層は独立した企業家ではなく、プロレタリアを自称しますが、報酬の面ではブルジョア的でした。しかも、既得権益をもちました。官僚化し、社会的経済的枠組みの計画、設計、方向づけ、運営の権力をもちました。階級のない社会どころか、相互に敵対する階層からなる硬直的で複雑な社会が生まれました。

このような社会階層が必然の結果であることを肯定する限り、マルクス社会主義は存在の基盤を失うことになります。マルクス社会主義は階級を否定したはずだからです。

さらに、マルクス経済学では、価値は労働によってのみもたらされ、労働力の総和に等しいと考えます。あらゆる労働は、同じ時間、同じ量を投入する限り、価値が同じであり、あらゆる労働者は自らの投入した肉体労働に応じて平等に賃金を支払われます。

したがって、労働なき所得である利益は、労働者からの搾取です。ブルジョアがこの搾取者であるとされていました。

ところが、マルクス自身は、労働価値説が間違っていることを認識していたようです。技能の力によって、製品価値に対して質的に異なる貢献を行うことができるからです。その結果、特権的なブルジョア階級の存在が正当化されることになることを認識していました。つまり、資本を所有し、提供し、それを効果的に運用するという資本家の技能が、価値を生むことを認めざるを得ないのです。そうなれば、資本の利益を正当化せざるを得ません。

ここでマルクスは理論化を諦め、『資本論』は未完のまま残されました。その結果、中間階層の増加と特権化について触れることはありませんでした。

近代の大量生産は、肉体労働者だけで維持することはできません。帳簿、技術、製図、購買等の専門家や各種部門を束ねる管理者といった中間階層が、重要にして不可欠です。それは、マルクス社会主義で運用しようが関係ありません。

マルクス社会主義が階級のない社会を実現できないとなれば、その目的は、プロレタリアの社会的、経済的地位の向上に限定されます。それは労働組合主義です。ブルジョア資本主義体制があってこその労働組合ですから、ブルジョア資本主義を前提としたうえで、労働者階級の利益増大を目指すことになります。

しかも、労働者の利益増大は、ブルジョア資本主義における生産全体を増加させることによってなされます。ブルジョアの利益が増え、そのなかから労働者の分け前も増えることになります。

よって、マルクス社会主義は、必然的にブルジョア資本主義の基本を是認し、その体制のなかにおいてのみ、その反対勢力として存続できることになります。歴史的に、マルクス社会主義の目指すものは、革命から革新、改革、社会政策、連立政権、産業民主主義となっていき、最後は、資本家との「統一戦線」を形成するようになりました。

これこそ、マルクス社会主義革命がヨーロッパのもっとも進んだ先進国で起こらず、経済や社会の実態がマルクス社会主義のいうパターンに該当しないロシア、スペイン、メキシコなどで起こった理由です。一方に一握りの地主と産業家がおり、他方に膨大な層の均一なプロレタリアがいて、その中間には何もない国々においてのみ、階級のない社会の実現を信じることができ、また可能に見えました。実際のところ、そのような国々は、ブルジョア資本主義が最終段階に到達したのではなく、ブルジョア資本主義が始まってさえいない国々だったのです。

しかも、マルクス社会主義革命が実際に起こると、階級のない社会が実現するどころか、特権的な中間階層が新たに現れました。産業化と生産手段の社会化の過程において、結局、ブルジョア資本主義と同じことが起こったのです。権力、地位、革命の果実は、すべてその特権階級の手に握られ、プロレタリアは等しく貧しく、しかも一層貧しくなりました。

ちなみに、スターリン主義は、マルクス社会主義とは違います。マルクス社会主義革命が生んだ必然がマルクス社会主義自体を不可能にし、結果的にそれを埋めたものがスターリン主義です。その意味で、スターリン主義はマルクス社会主義の否定であり、むしろファシズム全体主義に近いと言えます。スターリンという単独の独裁者による全体主義です。

ドラッカーによると、信条および秩序としてのマルクス社会主義は、ロシアにおいて実験されるはるか前に、ヨーロッパにおいて徐々に意味ある存在ではなくなっていました。その過程が完了したのは、第一次世界大戦が勃発した日であるといいます。

この日、各国ごとの資本家社会と労働運動の連帯が、プロレタリア階級の世界的規模の団結よりも強固であることが明らかにされたからです。つまり、プロレタリア階級は、国家を超えた団結によって戦争を回避するのではなく、それぞれが属する国の資本家と団結して、国家間の戦争を戦ったからです。

ブルジョア資本主義の約束不履行

ブルジョア資本主義が目指す経済的な進歩は、それ自体が社会の目的ではなく、社会的な目的を達成するための手段です。その目的とは、個人の自由と平等の促進です。この目的に関しては、マルクス社会主義も同様であると言えます。両者の違いは、手段の違いです。

マルクス社会主義は、私的利潤を廃止することによって、自由で平等な社会がもたらされると期待します。

ブルジョア資本主義は、経済的な進歩が個人の自由と平等を促進するという信念に基づいています。私的利潤を社会行動の最高の規範とし、それを追求しようと努力することを通じて、自由で平等な社会がもたらされると期待します。利潤動機に社会的な価値を認め、経済活動において個人の独立性と自律性を認め、制限をなくそうとします。

私的利潤の追求のために経済的自由が必要であるとはいっても、経済的自由が利潤の獲得を保証するわけではありません。実際のところ、一人ひとりの人間にとっては、経済的自由が経済的不安定をもたらし、貧富の格差を拡大させました。

貧しい職人や飢えた農民のような最悪の状態にある者にとっては、親から譲り受けた小さな土地、市場を守ってくれる関税、ギルドの最低賃金が奪われる結果になりました。大衆はしばしば経済的自由に抵抗し、農民や職工の反乱や暴動が起こりました。

経済的自由だけが突然訪れても、貧しい者はますます貧しくなるだけでした。経済的自由が受け入れられるには、社会的な自由と平等、ある程度の経済的平等(機会の平等、賃金の上昇といった経済的恩恵)も約束される必要がありました。健全な社会があってこそ健全な経済が成り立つと同時に、経済は社会の安定に奉仕するものであるべきでした。

しかしながら、経済的自由による経済発展は、ブルジョア階級というきわめて閉鎖的な恵まれた階級を生み出しただけで、経済的平等はもちろんのこと、機会の平等さえもたらしませんでした。経済至上主義が社会を犠牲にした姿です。

プロレタリアはやはり貧しく、ブルジョア階級に入ることは至難でした。階級は特権的であり、事実上法的に保護された世襲のように固定的でした。

結局、ブルジョア資本主義は、経済効率の向上が機会の平等と社会的地位の平等をもたらすという信念を失わせ、社会制度としての信用を失うことになりました。

「経済人」の破綻

ブルジョア資本主義は、厳格に仕切られた階級の間に必然的に階級闘争をもたらしました。それはマルクス社会主義の言うとおりでしたが、だからといって、マルクス社会主義がその階級をなくすことはできませんでした。

ブルジョア資本主義もマルクス社会主義も、どちらも失敗したということです。両者の失敗は、個人による経済的自由の実現が、自動的に自由と平等をもたらすという目論見が誤っていたことを意味しました。

ドラッカーがもっとも深刻な影響として指摘するのは、社会の基盤としての基本的な概念、すなわち人間の本性およびその社会における位置と役割についての考え方です。それが「経済人」という概念です。アダム・スミスとその学派により初めて示された概念であり、常に自らの経済的利益に従って行動するだけでなく、常にそのための方法を知っているという概念上の人間を意味します。

社会の基盤としての人間の概念をいかに定義するかによって、社会とそこで行われる経済の性質が変わってきます。さらには、その人間概念が決定する社会や経済の性質が、逆に人間の性質や価値や行動を規定するようになります。つまり、人間を「経済人」と定義することによって、経済至上的な行動を人間の価値とせざるを得なくさせるのです。

ブルジョア資本主義もマルクス社会主義も、「経済人」の概念が基盤となって理論が形成されています。

ただし、マルクスは、その定義を修正し、「自らの意思や自覚に関わりなく、結局は自らの階級の利益に従って行動する者」としました。唯物論哲学を基礎とするところから来る解釈です。物質や環境や所属集団が個人を規定し、個人よりも優先します。

「経済人」の概念は、経済学の理論を形成する基本モデルとして取り入れられました。これによって、経済学は独立した領域として認められ、科学として成立することができました。モデル化は容易で、学問化には便利であったのでしょうが、結果的に単純で偏った人間概念を定着させてしまいました。

経済学が現実の世界をどれだけ説明できるかを見ることによって、「経済人」の概念がどの程度受け入れられ、現実として正しいかを見ることができます。経済学が現実の世界を説明できないならば、「経済人」の概念は受け入れられないものになります。

ドラッカーによると、経済学を業とする経済学者はあたかも万能であるかのようでありながら、現実の動きは彼らがあり得ないとする道をたどるといいます。経済学の教えは、社会の現実と合致しません。ドラッカーは、「経済人」モデルによる経済学の問題について、この後、何十年にもわたって指摘し続けることになりました。

結局、「経済人」の概念は不適切でした。これによって独立した領域として認められた経済についても、その独立性と自立性が疑われることになりました。自由な経済行動が社会的にも望ましいという発想は拒絶されるようになり、経済的な目的だけの制度は受け入れられません。経済的な満足だけでは、受け入れるべき満足とはなりません。

その結果、ヨーロッパの大衆は、経済法則を無視することによって実現しようとする目的のほうが、経済的な目的よりも重要になりました。

基本理念としての自由と平等

ヨーロッパにおいて歴史的に重要な基本概念は、自由と平等です。2000年以上にわたって、ヨーロッパのあらゆる秩序と信条がキリスト教の秩序から発展し、自由と平等を目標とし、その実現を正当性の根拠としてきました。

自由と平等の実現は、まず精神的な領域で求められました。当時は、人間を「宗教人」として理解し、社会における人間の位置を精神的な秩序において理解していたといいます。

この秩序が崩壊した後、自由と平等は知的領域において実現すべきものになったといいます。ドラッカーは、そのきっかけをルターに求めます。ルター派の教義が、「知性人」の秩序への変容をもたらしたといいます。

さらに、この秩序が壊れた後、社会的領域において自由と平等が求められるようになりました。まずは「政治人」とされましたが、次いで「経済人」とされ、自由と平等は経済的な意味に理解されるようになりました。

「経済人」の概念に基づいて自由と平等を約束したのがブルジョア資本主義でしたが、結果は失敗でした。

マルクスは、その失敗を根拠として、階級のない社会の実現という約束を階級闘争の現実から導きました。人類の歴史を階級闘争の歴史と見て、階級闘争が続いてきたこと自体、民主主義は形式でしかなく、経済的領域における調和を通じて平等を獲得することはできないと考えました。

階級闘争が続き、大衆の窮乏化、不平等化が進行していくことによって、階級のない社会、平等と富に到ると考えました。つまり、ブルジョア資本主義が進展すると、必然的にマルクス社会主義に至ると考えたわけです。この論理によって、マルクス社会主義は、ブルジョア資本主義の秩序が続く限り、その批判者として存続する位置づけを得ました。

マルクス社会主義は、ブルジョア資本主義と同様、真の自由の実現をもって社会の最終目的としました。資本主義社会では人間が自由ではなく、自由になる能力さえないことを証明し、社会主義国家においてこそ人間が自由であることを証明しようとしました。

しかし、マルクス社会主義では、個人は意思の自由をもたず、それぞれの階級の論理に従わざるを得ないとする考え方に依存していました。このような説明によって、資本主義社会における自由の欠如を説明しようとしたため、マルクス社会主義においては、真の自由の実現を目指しながら、自由が従属的な位置に置かれることになりました。

ドラッカーは、この理論がカルバン主義に似ていると指摘します。カルバン主義は、予定説で有名です。個人の自由と運命論的な予定説の二律背反をもっています。

この意味において、マルクス社会主義は宗教的な力を手にしたといいます。階級闘争があるがゆえに階級なき社会が到来し、不平等があるがゆえに真の未来がもたらされるという考え方は、信仰なしに受け入れることはできません。自由を従属的な位置に置くことによって、そのような信仰が成り立つようになったといいます。未来の自由のために、現在の自由を犠牲にさせる信仰です。

自由を従属的な位置に置いたことが、ドラッカー曰く、マルクス社会主義のドグマ性と硬直性の原因であり、自ずと、目的としての自由およびその実現の約束の放棄につながります。理論的に矛盾し、破綻を免れることはできませんでした。自由を目的としながら、自由の制限を手段とするなど、あり得ないことです。

秩序を奪われ、合理を失う

結局、ブルジョア資本主義もマルクス社会主義も、自由と平等を実現することはできないことが明らかになりました。その結果、経済的領域の独立性と自立性に基盤を置く「経済人」の社会が、意味も合理も失いました。

しかし、「経済人」に代わるべきものとして、人間についての新しい概念が何一つ用意されていませんでした。つまり、自由と平等を実現すべき人間活動の新しい領域は提示されていなかったのです。

そのため、人は、社会における自らの位置と役割を失い、自らが住む世界との間に合理的な関係をもつことができなくなりました。社会は、共通の目的によって結びつけられたコミュニティではなくなり、一人ひとりが目的なく孤立した混沌たる群衆となってしまいました。

これが当時のもっとも新しい特徴であったとドラッカーはいいます。