ドラッカーは、ファシズム全体主義を打ち破るには、自由と平等の社会についての非経済的な新しい概念の確立が必要であると指摘しました。
ところが、当時は、ドイツとソ連を戦わせることによって、ファシズム全体主義からの攻撃を回避しようとする考え方が出ていました。
これに対して、ドラッカーは、むしろ独ソ同盟を覚悟すべきであると警告しました。当時としては考えられない意見でしたが、本書の出版後、そのとおりのことが起きました。
ドラッカーが懸念していたことは、ファシズム全体主義と戦うために、西ヨーロッパ諸国がファシズム全体主義に傾くことでした。
独ソ開戦に託された道
ドラッカーは、ファシズム全体主義を打ち破るには、ブルジョア資本主義、マルクス社会主義、あるいは両者の折衷ではなく、自由と平等の社会についての非経済的な新しい概念の確立が必要であると指摘しました。
逆に、これを生み出さない限り、西ヨーロッパの民主主義国家自身がファシズム全体主義に陥るおそれさえあると警告しました。
「経済人」の社会(経済至上主義社会)を継続しながら、ファシズム全体主義の攻撃を回避する方法が、独ソ戦でした。これは西ヨーロッパ諸国の左翼政党がけしかけたもので、ソ連を「民主的」として共同戦線を張ることによってファシズム全体主義を撃退し、民主社会主義を完成しようとする考え方でした。ドラッカーは、この考えほど大きな害悪をもたらした政治的過誤はないと言いました。
一方で、右翼政党のほうは、ファシズム全体主義が反共であるから「親資本主義であるにちがいない」とし、同じくドイツとソ連との間には「宥和不能な対立」があると考えました。その後、「二匹の怪物に共喰いさせる」目的でファシズム全体主義の伸長を歓迎する右翼が現れました。この考え方のため、ドイツを東に向かわせ、チェコスロバキアが犠牲にされたといいます。
独ソの利害は一致するか
ソ連は、マルクス社会主義による自由と平等の実現という信条が完全に崩れた結果、ファシズム全体主義の社会に向かっていきました。
だからといって、マルクス社会主義とファシズム全体主義が本質的に同じということではありません。ファシズム全体主義は、ブルジョア資本主義を否定したマルクス社会主義もまた幻想であることが証明された後の段階です。
ソ連においても、マルクス社会主義がもたらすものは、いっそうの不平等であるにすぎないことが明らかとなり、自由は完全に喪失され、世襲階級たる官僚による支配に向かいました。結局、ほかにとるべき道がなくなったため、ファシズム全体主義的原則を導入せざるを得なくなったのです。
ドイツと同じ種類の脱経済至上主義社会が始められ、軍拡に走りました。自らの権力を正当化するためには、国内および国外に仮想の敵を捏造する必要があったのです。
そして、ドイツと同じように、組織の目的化と賛美、スターリンへの個人崇拝が現れました。
ソ連とドイツにとって真の敵は、自由の理念の維持し、経済に社会の基盤を置いている西ヨーロッパ諸国でした。革命の理念的、社会的力学は何よりも重視され、他の要因は従属的地位に置かれるのが、真の革命に顕著な特徴です。
ですから、ドラッカーから見れば、他にどのような阻害要因があったとしても、西ヨーロッパ諸国を打倒するためであれば、それを最優先に、独ソ間の同盟はあり得ることでした。
独ソ同盟は、ドイツにとっては資源の輸入問題を解決できる方法であり、ソ連にとっては高度の大量生産用産業機械や物流システムの導入を可能とする方法でした。また、軍事的にも、双方にとって東西両面での戦争を回避することができます。
当時、独ソ同盟など考えられないことで、チャーチルが本書に寄せた書評(1939年5月)でも否定的な見解を示していました。ところが、チャーチルの書評掲載後の僅か3ヶ月後に独ソ不可侵条約が締結され(同年8月)、次いで独ソ友好条約(同年9月)、独ソ通商条約(1940年2月)が調印されました。ドラッカーの慧眼恐るべしでした。
しかしながら、翌1941年6月には、ドイツ軍が突然ソ連を攻撃し、独ソ戦が始まりました。
新しい秩序に基づく新しい力
この当時、西ヨーロッパにとってドラッカーが重要であると考えたことは、もちろん東(ドイツあるいは独ソ同盟)からの攻撃に備えることでした。
ただし、それは軍事的な結果だけで決まることではありませんでした。もし、西ヨーロッパ諸国自らがファシズム全体主義をとることによって戦争に勝っても、それ自身が敗北でした。
「西ヨーロッパ諸国自らがファシズム全体主義をとることによって戦争に勝っても……」というフレーズに違和感があるかもしれません。しかし、ドラッカーの主張は、民主主義国家の基礎理念であった「経済人」モデルの破綻によって生まれたものがファシズム全体主義であり、民主主義の失敗が原因であったということです。
ですから、ファシズム全体主義との戦いは、民主主義国家にとって外なる敵との戦いでありながら、内なる敵との戦いでもありました。それを理解することなく、外部の敵を打ち倒せばよいという論理で戦闘的になっていると、いつしか自らもまたファシズム全体主義のようになってしまうという現実があったと思います。
この記事を執筆している2022年現在、コロナ禍対応を理由に世界の多くの国が全体主義的政策をとりつつあります。一方でウイグル・ジェノサイドを批判しながら、他方で自国において自国民を抑圧している民主主義国家が増えています。カナダ、オーストラリア、フランスなどがそうです。日本もそれに近づいています。コロナ対策を解除する国も出てきた(イギリス、デンマークなど)なかにおいてです。
カナダでは、ワクチン未接種者に対する自由の制限について、カナダ憲法起草者の一人であるブライアン・ペックフォードが、「政府は個人の権利と自由をどんどん奪っている」として、カナダ政府を憲法違反で提訴しています。(カナダ人ニュース「1.28 トラック続報/憲法起草者も立ち上がる」)
カナダ政府の主張は「緊急事態において個人の自由が制限されることはやむを得ない」ということですが、実際上、個人の自由制限には科学的に疑問が数多く出され、ワクチンの有効性にも医学的に疑問が出されているにもかかわらず、それらの言論は封殺しています。
ドイツでは、緊急事態であるからという理由で民主的に全権が委任されたのがヒトラーではなかったのでしょうか。
必要なことは、「経済人」の枠を超えて新しい非経済的な社会的実態を生み出し、自由をもたらすことでした。現在の経済社会の基礎を前提にしつつ、新しい自由で平等な脱経済至上主義社会を見つけ、発展させることでした。
ドラッカーは、経済社会において、個人の自由を意味あるものとしつつ、個人の尊厳と安全を強化することは可能であり、かつ不可欠であると指摘しました。
軍事力によって対抗することは必要であっても、生産活動を軍拡に従属させることは、軍拡そのものを社会目的として賛美することにつながり、経済の不振を通じてファシズム全体主義を招き入れる危険がありました。
ファシズム全体主義では、すでに述べられたとおり、軍事的要請を超えた社会的要請に基づいて軍事体制化を推進しました。
「経済人」の枠を超えるためには、経済そのものが完全雇用を初めとする非経済的な目的に従属させるべきであることを明確にしておくことです。
確かに、経済的な窮乏は悪ですが、必要な社会政策を原因とする窮乏は、自由の喪失ほどの悪ではないといいます。しかし、軍拡競争によってもたらされる窮乏の深刻さは、その比較にはなりません。
社会政策には経済的費用が伴うことを受け入れなければなりません。それによって初めて、その社会的な効果を経済的な犠牲との比較において評価することができます。
ドラッカーは、そのような正直な議論が必要であると指摘しており、社会政策が経済発展にも役立つというような欺瞞は、経済的にさえ耐えられないほどの不要な害をもたらすと言いました。
この指摘を現代に当てはめて見た時に、日本政府の問題が見えます。この記事の執筆時点(2022年)では、コロナ禍が未だ猛威を振るっていますが、前年の衆議院議員選挙においても、補助金のばら撒き、分配政策ばかりが掲げられ、それが経済成長につながるというような主張がまかり通っていました。まさにこれは、ドラッカーが指摘した自己欺瞞です。
政府は正直に、分配という社会政策、あるいは緊急事態宣言という社会政策が、経済においてどれほどの犠牲を伴うかということを訴えるべきです。それによって、国民に対して、社会政策の効果と経済的犠牲との比較を明らかにすべきです。