現在は多様な組織によって構成された多元社会ですが、過去の歴史を振り返ると、国民国家が主流になる前も、多元的な社会が存在していました。
違いとしては、 かつての多元社会は、財産と権力を基盤としてあらゆる面での支配権を行使したのに対し、今日では、それぞれが固有の機能を基盤として社会的権力を行使していることです。
共通点としては、多元社会を構成するそれぞれの機関や組織は、社会全体のことを考えないことです。
ですから、社会全体の一体性をどのようにして回復するかが問題です。
社会の一体性の回復
これまでの1000年以上の西洋の歴史を振り返ると、多元主義が確立され、衰退し、蘇生した歴史であったと言うことができます。
紀元1000年頃の西洋は、封建社会と呼ばれました。その中核にあったのは、甲冑に身を固めた騎士でした。紀元600年ごろに生まれた鐙がこれを可能にしました。
一人の騎士を維持するには、3~5頭の馬、同数の馬丁、5~6人の補充としての騎士見習い、100家族500人の農民が必要であったといいます。
騎士は、それらの者たちを囲うために、自らの土地をもち、政治的、経済的、社会的な支配権を握りました。これにつれて、貴族、司教、修道院、自由都市、ギルド、大学、職業団体などが次々と自立した権力組織になったと言います。
国王や教皇など中央の権威は事実上の支配権が及ばず、税を徴収さえままならなかったといいます。
この時代の多元社会は、あらゆる権力組織が、競合するように、あらゆる面での支配権を行使していました。当然のごとく、社会全体の利益を考える者はなく、社会全体を考える能力が失われていました。
1350年頃になると、戦場に長弓が用いられるようになり、甲冑の騎士の優位性を崩しました。さらに、火薬による火砲が、封建領主の城を攻め落とすようになりました。
そこから、西洋の歴史は、主権国家としての国民国家の発展の歴史になっていったといいます。
当初、諸々の利害集団の抵抗は大きかったようですが、30年戦争を終結させた1648年のウェスオファリア条約によって、軍隊の所有と戦争の権利が国民国家の独占となり、私兵が禁止されるようになりました。
これを契機に、諸々の利害集団は次々と自治権を奪われていきました。
ナポレオン戦争以降は、聖職者も公僕とされ、国に従うべき存在となりました。
ところが、1860年から70年にかけて、事実上の権力と自律性をもった近代企業が生まれ、次々と新しい組織が生まれていきました。労働組合、官僚機構、病院、大学などです。
いずれも社会的支配力を行使する独立した存在となりました。それらの組織も、全体のことを考えることはありませんでした。
しかし、かつての多元社会と今日の多元社会には違いもあります。
かつては、財産と権力を基盤としてあらゆる面での支配権を行使したのに対し、今日では、それぞれが固有の機能を基盤として社会的権力を行使していることです。
単一の機能に絞ることによって成果をあげることができ、成果こそが組織の社会的権力の正統性の根拠です。
組織は、政府機関であったとしても、自律性が確保されていることが必要です。自律性を奪われた組織が機能不全に陥ることは、全体主義国家によって証明されています。
個々の組織の自律性の確保された多元社会においては、社会全体の一体性をどのようにして回復するかが問題です。
成果をあげるためには、あらゆる組織が機能を絞り込むことが必要ですが、社会全体のために協同し、協力する意思と能力を新たにしていくことも必要です。
対峙するグローバル経済と国家
国家主権のコンセプトの生みの親とされるのは、フランスの法律家ジャン・ボダン(1530年~1596年)です。『国家論』(1576年)において示された国民国家の3本柱は、通貨、信用、財政でした。
ところが、ドラッカーは、かつてこの3本柱が強固だったことは一度もないといいます。
19世紀末には、主たる通貨は、国民国家が発行する通貨ではなく、民間の商業銀行が創出する信用であったといいます。これに対抗して、国民国家は中央銀行を創設したといいます。
ところが、通貨の裏づけとして金本位制を採用したため、国民国家の通貨財政政策は制約を受けました。
1973年、ニクソンによる変動相場制の導入によって、国民国家は初めて通貨財政政策における主導権を獲得したと考えられました。
ところが、国民国家の財政に歯止めがなくなり、突然通貨が変動するようになりました。通貨はきわめて不安定になりました。
その後、グローバル経済の出現により、実物経済とは無関係なバーチャル通貨が大量に取引されるようになり、各国政府に厳しい制約を課すようになりました。
バーチャル通貨は、財政政策に規律を求めて圧力をかけることもありますが、単なる噂や予期せぬことによってパニックを引き起こすこともあります。
しかしながら、現状では、グローバル経済におけるバーチャル通貨以外に、国家財政に節度をもたせる力をもつものは見当たりません。
国家がバーチャル通貨自体をコントロールすることは不可能ですから、バーチャル通貨にそもそも頼る必要がないような通貨財政政策をとることが重要です。
ドラッカーによると、その方法は、3~5年のスパンで予算を均衡ないしは均衡にきわめて近い状態に保つことです。
レートと関係のない貿易
為替レートと貿易の関係でも、従来の理論とは異なる現実が起こってきました。
例えば、円高ドル安になると、ドル建ての貿易では、同額のアメリカ製品を安く買うことができるため、輸入が有利になります。
逆に、日本の製品は、円価格では同額であっても、ドル建てにすると高くなるため、輸出が不利になります。
したがって、「円高ドル安になると、輸出が減少し、輸入が増加する」というのが従来の貿易理論です。
ところが、今日では、この理論とは異なる現象が起こっています。その時の状況によっていくつかの説明が成り立ちますが、基本的には、為替レートと貿易との関係が小さくなっていると言わざるを得ません。
ドラッカーによると、先進国の輸出の4割以上が、海外子会社と系列会社向けであるといいます。海外子会社や系列会社の生産に必要な設備、機器、部品などの輸出ですので、レートによって増減させることができません。
つまり、投資が貿易に先行しているということを意味します。しかも、経済の重心は新興国や発展途上国に移りつつあり、ますます投資が先行しつつあると言えます。
こうなると、仮に円安ドル高になって一時的に輸出が増加したとしても、海外投資には不利になって減少し、結果的に、輸出の中心である海外子会社や系列会社への輸出が減少するようになります。
さらに、財の貿易よりもサービスの貿易が増えており、旅行業を除いて、ほとんどレートの影響を受けないといいます。
グローバル企業の出現
グローバル経済のもとでは、企業は多国籍企業からグローバル企業へと変身せざるを得なくなります。
多国籍企業とは、いくつかの海外子会社をもつ国内企業でした。
グローバル企業になると、組織構造が根本的に変わります。国境は意味がなくなります。
販売、アフターサービス、広報、法務などは、各現地で行いますが、経営戦略、研究開発、部品調達、生産、マーケティング、価格決定、財務、マネジメントなどは、国境とは無関係にグローバルレベルで最適化されます。
人材もグローバルに配置されます。トップマネジメントも本社の所在国とは無関係です。
アメリカは、国内法を海外に適用することによって、グローバル企業を規制しようとします。しかし、ドラッカーは、結局不毛に終わるといいます。
あらゆるところから競合が登場し得るグローバル経済においては、著しく競争力を疎外することになります。また、グローバル企業にとって、本社をアメリカに置くことに固執する理由はありません。
必要なことは、国内法の海外適用ではなく、グローバル経済全体に適用され、かつ、受け入れ可能な強制力のある価値、法律、経済ルールです。それらのものを策定し、執行する力をもつ国際機関と国際法が求められます。
グローバル企業は、特に、全面戦争のコンセプトから守られなければなりません。戦争が起これば、軍事力同士の戦闘だけでなく、民間人も含めた敵国の資産全体が攻撃の対象になってしまうからです。
歴史的に見て、経済的な国家間の結びつきは戦争の抑止になりません。経済は常に政治に負けています。
したがって、全面戦争というコンセプトは見直されるべきです。その点からも、国民国家の主権を相当程度制限することのできるグローバル機関が求められます。
日本において大事なのは社会
アメリカでは、安全保障が脅かされているときを除いて、最も重要なものは経済であると言われます。
しかし、日本においては、もっとも重要なのは社会です。社会の安定、社会の混乱を最小限にすることが優先されます。
ドラッカーは、アメリカの方が例外的であるといいます。
日本についての誤謬
ドラッカーによると、アメリカの対日政策は5つの仮説の上に立っており、いずれも眉唾であったといいます。
第一は、「政策決定の独占や行政指導による経済支配に見られる官僚の優位性は、日本独特のものである」というものです。
実際のところ、官僚の優位性は、ほとんどの先進国で見られます。アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、カナダなどは、むしろ例外であるといいます。
天下りが長年問題視されましたが、日本に限らず、アメリカを含むあらゆる先進国に共通の慣行であるといいます。
日本の官僚は絶頂期にあった1970年当時でさえ、経済的な影響力ではヨーロッパの官僚に遠く及ばなかったといいます。
日本では行政指導や影響力の行使によって行っていることを、ヨーロッパでは統制的な経済のもとで、企業の所有者および経営者としての意思決定権によって行っています。
第二は、「官僚を権力者から公僕へと本来あるべき位置にもっていくことは、政治的な意思だけで可能である」というものです。しかしながら、日本の官僚は、はるかに耐久力があります。
日本に限らず、家柄や富ではなく能力に基礎を置く指導層というものには、歴史的にもおそるべき耐久力を示してきました。信用をなくし敬意を失った後も、長い間、力をもち続けるといいます。
そのよい例が、かつてのフランス軍部であったといいます。軍の不公正によって権威を失墜しても、戦争において醜態をさらしても、政治的に力をもち続けたといいます。
第三は、「日本の官僚のようなエリート支配は先進社会には必要なく、民主主義にとっても好ましくない」というものです。
しかしながら、先進国では、アメリカを別にして、社会の維持にはエリートの指導力が必要とされていると言えます。指導層がなければ、社会と政治が混乱に陥り、民主主義そのものが危うくされるといいます。
エリート指導層は自らの権力に執着しますが、それが可能となるのは、代わるべきものが存在しない限りにおいてです。日本には、代わるべきものが存在しません。
後を継ぐべき者が現れないかぎり、既存の指導層に頼らざるを得ません。
第四は、「規制緩和への官僚の抵抗、特に金融分野での抵抗は一種の支配欲によるものであって、その害たるや甚大である。不可避のものを先送りするならば自体は悪化するだけである」というものです。
ところが、日本では、先送り戦略が度々有効でした。
第五は、「しかし結局は、賢明な日本はアメリカと同じように経済を優先させるに違いない」というものでした。
しかしながら、日本の政治家、官僚、経済界などの政策形成者にとっては、大事なのは経済よりも社会であって、現実的に、先送りこそ、社会の混乱を最小限にする合理的な戦略でした。
先送り戦略の成功
マックス・ウェーバーは、一般的現象としての官僚の存在を明らかにし、経験を準則化して自らの行動基準とすることをその特質であるとしました。
ドラッカーによると、日本の官僚の行動、特に危機的な状況をめぐっての行動は、3つの経験、うち2つは成功、1つは失敗の経験を基準としているといいます。それらの経験が、先送り戦略を有効として選択することにつながっています。
最初の成功は、農村部の非生産的な人口という戦後日本の最大の問題を、何もしないことによって解決したことです。ひたすら補助金を出しながら、問題解決に抵抗し続けました。未だにそれを続けています。
それによって社会的な混乱をできる限り避けながら、農業人口を都市に吸収していきました。
もう一つの成功は、小規模で非効率な小売の問題を先送りしたことでした。その結果、パパママストアの多くは、後継者がなく廃業していくか、コンビニに吸収されていきました。
行動による失敗
1980年代のバブル経済は、行動したことによる失敗でした。ドラッカーによると、先送りの知恵を忘れた結果でした。
ドラッカーからすれば、他の国ならば不況とはみなされないほどの景気と雇用の減速が起こりましたが、ドルの下落によって輸出依存企業がパニックに陥り、官僚は圧力に抗しきれず、欧米流の行動を取ったといいます。
景気回復のために予算を投入したところ、最大規模の財政赤字を出しました。財政出動の結果、株式市場は暴騰し、都市部の地価はさらに上昇し、借り手不足の銀行は憑かれたように投機家に融資をしました。もちろん、バブルは弾けました。
金融機関は多額の不良債権を抱えて苦しみ、貸し渋りや貸し剥がしなどが横行したと言われていますが、ドラッカーによると、日本はもともと銀行過剰でした。
支店数と行員数が多すぎ、取扱高で比較すると、アメリカやヨーロッパの銀行より3~5倍の行員を抱えているといいます。
この銀行が大量の人員整理を行うならば、終身雇用による雇用保障への影響は甚大でした。
系列の解消
金融危機は、日本経済と日本社会の構造への信頼を揺るがしました。ドラッカーは、系列という銀行を中核とする日本特有の企業グループさえ解体に向かうかもしれないと予言しましたが、実際にその方向に進んでいます。
「銀行等の株式等の保有の制限等に関する法律」が平成13年に成立し、平成14年には「銀行等保有株式取得機構」が設立されました。令和3年7月時点で総額16,838億円の買い取り実績があります。
買い取り期限は、令和4年3月31日です。
NPOが都市コミュニティをもたらす
これからは、都市社会の文明化が、先進国にとって最重要課題となります。非営利の組織であるNPOの役割が重要です。
田舎社会では、一人ひとりの人間にとってコミュニティは与件です。家族、宗教、階層など、コミュニティは厳然とそこに存在します。しかも、移動性はありません。強制的かつ束縛的でした。侵害的でもありました。
このため、人は田舎から都市に出たがりました。都市は匿名の社会であり、それが都市の魅力でした。
しかしながら、匿名性は無法につながり、コミュニティが欠落しました。コミュニティの欠落は、一方で柔軟性をもたらし、社会における上方への移動を可能にしましたが、他方で犯罪や退廃も生みました。
人間にはコミュニティが必要です。つながりが必要です。建設的な目的をもつコミュニティが存在しないなら、無法が幅をきかすような、破滅的で残酷なコミュニティが生まれてしまいます。
したがって、都市社会にコミュニティを創造することが必要です。しかも、田舎のコミュニティとは異なり、自由で任意のものでなければなりません。
それでいながら、都市社会に住む人に対し、自己実現し、貢献し、意味ある存在となり得る機会を与えるものでなければなりません。
企業には職場コミュニティがありますが、企業は社会における一つの機能を実現する場であり、求められるのは仕事です。存在自体ではなく役割が要求されます。
したがって、生活と人生を築く場とはなり得ず、真の安定を得ることはできません。
結局、政府でも企業でもない第三のセクターであるNPOが、市民にとってのコミュニティ、特に知識労働者にとってのコミュニティを創造することができます。NPOだけが、多様なコミュニティを提供できます。
しかも、NPOだけが、市民性の回復を実現し得る唯一の機関です。ボランティアとして自らを律し、かつ世の中を変えていく場を与えます。