産業社会の中流階級 - 企業とは何か⑧

ドラッカーは、産業社会の分析において、機会の平等と人間の尊厳(一人ひとりの人間の位置と役割)の2つの問題を重視します。職長については主として後者が問題ですが、平の工員については両方が問題となります。

アメリカ社会に特有の中流階級意識と社会構造は、社会における職長の位置に関わりがあります。アメリカでは、有能ならば誰でも職長になることができ、その上へと出ていくこともできます。しかし、ヨーロッパでは、職長は労働者階級の最高位ですが、行き止まりでもあり、職長が経営側に登用されることはありませんでした。

アメリカの中流階級社会を維持発展させるためには、この職長の社会的な位置を維持していかなければなりません。職長が経営側に入っていく機会と、その中流階級としての位置と役割を堅持していくことが必要です。

職長にとっての機会の平等

今日では、職長が昇進していく機会は多くなっています。現場監督や経営管理者など、職長から上がっていくことができるポストがいくつもあります。したがって、問題は機会の少なさではなく、機会の平等さです。昇進の人選が合理的で納得できるものになっているかです。これは、組織構造の分権制が解決の鍵となる問題です。

GMでは、3つの方向で問題に取り組んでいたといいます。

第一は、職長の評価をコスト分析など客観的な方法によって行うことでした。毎年、職長に生産性に焦点を合わせた計画を提出させていました。具体的には、一時間当たり、賃金一ドル当たり、あるいは設備投資一ドル当たりの生産高です。原材料および工具の損耗率などもありました。

職長は、この計画を、事業部内の生産性スタッフの助力のもとに作成しました。職長の能力は、他の職長との比較によって評価されました。

第二は、経営管理者への昇進のために職長を訓練し、テストすることでした。訓練では、人事管理の初歩、事業部全体の状況、自らの部局の役割を教えました。休暇や病気欠勤の職長の仕事を、他の職長にローテーションで経験させる事業部もありました。総職長補佐など、上位のポストを経験させて様子を見る事業部もありました。

事業部の経営幹部が訓練プログラムに一役買うことによって、職長一人ひとりの能力の把握に努めていました。有能な者が求められていること、職長に機会を与えることが現場監督や経営管理者自身のためでもあることを周知させました。

第三が、職長を管理職会議に出席させることでした。その職長に関わる問題や事業部全体に関わる問題については、職長に意見を言わせ、質問させ、事業上の問題、経営政策や決定事項の理由を理解するよう配慮しました。経営陣にとっては、それらの会議を通じて、有能な職長を知る機会となりました。

これら以外にも検討されていたこととして、まず、職長に専門外の経験を積ませることがありました。過度の専門化を防ぎつつ、広い視点から昇進の判断を行うためでした。次に、現場監督代理など一段上の仕事につかせることでした。経営側は職長の実力を把握し、職長側も自らの能力を認識することができると考えられました。さらに、有能な職長に対して、昇進前に集中的に訓練を施すことでした。

機会そのものは存在していましたから、それが平等でないとすれば、それは制度上、組織上の問題にすぎないということでした。

職長の地位は確立できるか

職長にとっては、機会の平等よりも、中流階級としての社会における位置と役割のほうが実現の難しい問題でした。

職長は社会における位置と役割を元々もたなかったのではなく、産業社会になって、位置と役割を失い続けたのでした。それはまさに、機会の増大と軌を一にしていました。

以前の職長は、オーナー社長のすぐ下に位置していたため、独立しない限りは、その上に上がることはできませんでした。その代わり、今日の事業部長にさえ匹敵する独立した位置と決定的な役割をもっていました。マネジメント上の決定において、オーナー経営者のパートナーであり、工員のボスでした。

ところが、産業社会になって、職長と社長との間に多くの階層が生まれた結果、役割と権威が奪われていきました。生産方法にしても、職長の長年の経験ではなく、専門的な技術の領域として、プロセス・エンジニアや時間動作エキスパートなどの生産技術者が行うようになりました。

労務管理においても、職長が人を雇い、訓練することはできなくなり、自身の直接の部下の使い方でさえ、適性検査や時間動作分析の結果を手にした人事の専門家が決めるようになりました。

さらには、労働組合が発展し、労働協約という法的な権威が、職長の権威を奪いました。労働組合は、労務に関する問題は経営陣が扱うべきであり、採用と解雇に至っては中央の経営陣が直接扱うべきであると主張しました。これは、経営陣にとっても、職場の規律と権威を蔑ろにする悪質な企てでした。

このように職長の地位は揺らいでいましたが、GM内でも事業部によって職長の扱いは不統一でした。本社経営陣や事業部長の大半は、「経営側」という言葉によって職長を含むという認識でしたが、そうでない事業部もありました。待遇としては統一的に工員とは一線を画されていましたが、地位における統一はありませんでした。マネジメント上の役割はまったく与えられない事業部もありました。

GMの経験から、ドラッカーは2つの結論を出しました。

一つは、職長は中流階級としての位置を保持したがっており、そのための経営陣の試みのすべてを全面的に支持しているということでした。

もう一つは、職長がどれだけ中流階級としての位置を保持できるかは、どこまで分権制が行われるかにかかっているということでした。分権制が職長の段階まで行われている事業部では、職長は経営側の一員でした。

要するに、大量生産産業における職長の位置は境界地帯にあり、経営側と工員の間にあって、双方の性格を共にもつ存在であるということでした。ですから、職長の地位は、経営側との関係においてと同時に、部下の工員の地位によって決まるということです。

したがって、一般の工員が中流階級に組み込まれ、産業社会において位置と役割をもつことによってのみ、中流階級としての職長の地位も確立されることになるというのが、ドラッカーの見方でした。