「完全雇用」という言葉は曖昧ですが、社会の全員に望みの仕事を与えられるという意味ではありません。そのような保証ができる経済体制はあり得ません。
そもそも経済変動をなくすことはできません。完全な安全は、完全な硬直です。チャンスを求めるなら、リスクを避けることはできません。
必要なことは、大規模かつ長期の失業を防止し、能力と意欲のある者に生きる機会を与えることです。
ドラッカーによると、慢性的失業とは、生産資源の不完全利用と同義です。したがって、不況から脱する方法は生産することです。資本財の生産が十分行われている限り、不況は起こりません。不況下にあっても、資本財の生産が一定水準まで回復すると、雇用も回復します。
失業を金で補うのではなく、必要が起こらないように雇用を守ることこそ重要です。それは政府ではなく企業による解決が望まれます。
企業が不況時に設備投資を行い、雇用を維持することを前提に、十分な準備金を確保できるようにすることです。
政府が税金として徴収して一律に給付するのではなく、企業の側に資金を残し、雇用の責任を引き受けさせることが、自由企業社会として相応しいあり方です。
雇用こそが産業社会の試金石
経済体制の試金石は雇用です。完全雇用を実現できないのであれば、自由企業体制といえども存続することはできません。
長期の失業は、経済的な惨事であるだけでなく、社会そのものを破壊します。人は市民性を奪われ、社会での位置をなくし、尊厳を損ないます。
ドラッカーによれば、不況の原因を知ることは重要ではありません。原因は一つではないうえに、複雑に絡まっているからです。不況の根本原因は、近代産業生産の複雑性であるため、それを避けることはできません。
さらに、不況時の経済を麻痺させ、不況を慢性化させる者は、経済的な要因ではなく、不況がもたらす社会的混乱と心理的衝撃であるといいます。したがって、不況対策として重要なことは、不況がもたらす活力の低下に対応することです。
政府支出による消費刺激策は失敗します。消費財生産では、不況を克服することも、雇用を回復することもできないことは、歴史的に明らかになっています。
さらに、失業問題に関しては、間接的な解決策はすべて無効です。財政政策は景気対策の補助手段の一つに過ぎません。
なお、不況と失業は資本主義に特有の現象であって、社会主義のもとでは起こり得ないという考えがありますが、経済変動は生産手段を誰が所有しているかによって変わるものではありません。
不況期において社会主義に利点があるとすれば、政府が絶対の権力をもち、資本財生産と消費財生産の配分を直接決定することができるということです。
経済全体の生産活動を継続させるものは、資本財の生産です。自由企業体制が、不況下においても資本財の生産を継続することができるならば、不況と失業を防ぐことができるといいます。
いかに資本財生産を確保するか
ニューディール政策では、消費刺激策によって資本財生産を喚起しようとしました。しかし、政府支出が発生させた資本需要を十分に賄えるだけの生産力がすでに存在していたため、失敗に終わったといいます。
このことはニューディール政策の生みの親である経済学者たちが認めていることです。現に、彼らは、その後の不況対策として、消費財の生産を刺激するためではなく、大規模公共投資という資本財の生産を刺激するために、財政赤字を要求したといいます。
公共投資が有力であることは間違いありませんが、その内容が問題です。しかも、投資のほとんどが政府の手に握られれば、政府の健全性が損なわれます。政治力が経済的な利益をあげる手段となり、政府への圧力団体が増えていきます。
公共事業は自由企業体制を守るためのものであり、常に緊急の臨時措置でなければなりません。公共事業が成功を収めるためには、本来の目的とは異なる政治的ないしは社会的な目的のもとに行われてはなりません。
完全雇用への企業の責務
失業問題は、政府によってではなく、企業によって解決されることが最善です。
まず、資本財生産における雇用創出という直接的手段によって解決を図るべきです。そのために、法人税制は、経済活動の現実の時間単位に即したものとすべきです。
ドラッカーによると、産業社会での経済活動の時間単位は、1年ではなく、7年から15年です。これは資本財の耐用年数に相当し、産業、製品、プロセスの開発に要する期間でもあります。そして、この期間が景気循環にも対応します。
ところが、実際の経済政策や企業経営は、1年を単位にしています。このことによって、不景気の年には設備投資ができないようになっています。
課税対象期間を1年から10年に延長し、毎年の暫定納税額と10年ごとの最終納税額とを調整すればよいと、ドラッカーは提案します。納税は毎年としつつも、課税額の算定は景気循環周期によるということです。その結果、不況時における投資が可能となります。
留保分は、前向きの雇用確保や設備投資に使うことが前提であり、使わなければ課税対象にします。この効果を最大限に引き出す方法は、不況時に投資することによって雇用を確保することです。したがって、単なる内部留保ではなく、明確に「投資引当金」として積み増すことが望まれます。
失業保険がその代わりになるという考えもあるかもしれませんが、ドラッカーによれば、失業保険は保険の役を果たしていません。仕事の代わりに金を与えるだけだからです。仕事を失ったことによる尊厳の喪失を金で補うことはできません。
失業を金で補うのではなく、必要が起こらないように雇用を守ることこそ重要です。そのためには、企業に十分な準備金が確保されていることが重要です。雇用が維持されるなら、賃金の引き下げも受け入れやすくなります。また、公共時における自動的な賃上げ要求に対しても、引当金積み増しの優先を主張することができます。
政府が税金として徴収して一律に給付するのではなく、企業の側に資金を残し、雇用の責任を引き受けさせることが、自由企業社会として相応しいあり方です。
経済成長を促す
完全雇用政策は、循環的不況を克服し、生産性向上による経済成長を可能にしなければなりません。それは、天然資源に頼った成長ではなく、利益による資本形成と国民の創意による成長でなければなりません。
人間がもつ創造力、創意、勇気などの資源を生かし、若い成長企業を育てていかなければなりません。必要なことは、政府による計画や統制ではなく、個別企業が主体性を発揮することです。
ドラッカーは、ベンチャーに対する税制として、新設後10年は無税にすべきである、少なくとも草創期にあっては、発生した損失はすべて所得控除すべきであるとします。さらに、株式資本の入手を容易にすべきであるとします。
自由企業体制下でいかに不況を克服するか
自由企業体制下において不況を克服し、雇用を創出することができなければ、政府がその任を担おうとするでしょう。すなわち、政府が資本財生産を支配する集産主義的経済体制です。
集産主義が不況を克服できるわけではありません。不況自体は、自由企業体制が原因ではないからです。問題は、いかなる資本財を生産すべきかということであり、政府にそれが分かるというものではありません。
必要なことは、一人ひとりの消費者ニーズに応じ、国富の増大につながる資本財生産を行うことです。自由企業体制における個々の企業の創意が重要です。
ドラッカーは、自由企業社会において柱とすべき経済政策を5つあげます。第一に、すでにあげた雇用対策です。
第二に、社会の存続のために、政府が直接政策を遂行していく分野を明らかにしておくことです。典型は、国防、治安維持、経済活動を伴う地域開発です。この分野の政府活動は、企業の活動と個人の決定に任せるべき分野を補完するものです。
第三に、経済の安定と秩序のために、市場に制約を加えるべき領域を明らかにすることです。例えば、農業において、技術進歩によって家族農家が崩壊の危機にさらされているような場合です。ただし、そのような領域であっても、経済合理性を無視すことはできないため、行政が直接介入したり支配したりすることは避けるべきです。主に立法と司法によって、自由企業体制と市場が制約なく機能すべき領域の限界と条件を定めることによるべきです。
第四に、自由企業体制にとってもっとも必要とされるものとして、独占を禁止することです。ただし、禁止されるべきは反社会的な独占であり、規模が大きいこと自体が問題ではありません。大規模企業は、分権制の適用によって、社会にとっての資産とすることができます。また、単なる独占と、社会の利益に適う価格政策、販売政策、雇用政策を区別することも必要です。
第五に、すべての経済政策は、人と社会的資産を保全するものであり、未来のために資本形成を図るものでなければなりません。ベンチャーを支援し、資本を供給しなければなりません。
以上述べてきたように、自由企業体制と産業社会の間に衝突はありません。ただし、その前提は、国家による経済の支配を行わなくても、社会が存続できる条件があることです。もし、大恐慌や国家の総力戦による全面戦争が起こるような場合は、自由企業体制は不可能です。
不況が克服できなければ、社会は、経済発展よりも経済安定を重視します。その安定は、リスクとチャンスの放棄、変化の禁止、発展の抑制、技術の凍結によって図られるようになります。それは経済活動の社会主義的な統制であり、利潤動機も市場も機能できなくなります。