成功がもたらす失敗 - 企業とは何か⑬

本書は、世界中の企業、公的機関、NPOに大きな影響を与えたといいます。

当時、フォード債権の教科書として、GE改革の教科書として使用されました。本書に従って、世界中の大企業が、組織構造として分権制を採用しました。さらには、大学の改革、アメリカ三軍統合、教会の組織改革にも使われました。

ところが、当のGMにはいかなる影響も与えなかったといいます。それどころか、意識して無視したといいます。

その理由は、第一に経営政策についての考え方、第二に従業員関係ついての提言、第三に大企業は公益に関わりがあるとする考えの3つであったといいます。いずれも、戦後のGMの成功の基になったものであり、その後のGMの不振の基になったものです。

1970年代の初めには、ついにGMは経営政策を見直し、いくつかの改革を行いました。従業員政策まで変え、職場改善プログラム、QCサークルを導入しました。グローバル化への対応も行っていきました。

経営政策についての考え方

経営政策についての考え方とは、戦後の平時生産への復帰に当たって、経営政策を見直すべきとしたことでした。

ドラッカーは、GMの経営政策のように20年以上経ったものは、すべからく陳腐化のおそれがあるため、再考の必要があるとし、特に平時生産への復帰に当たっては、シボレー事業部の分離を検討すべきであると問題提起しました。

GMは、1930年代の後半に、反トラスト法違反で訴えられたことがあったため、市場シェアを50%未満に抑えていたといいます。つまり、もはや成長しないということを意味しました。主体的に動くことはできず、受け身の対応策しかとらないということでした。

当時のシボレー事業部は、フォードやクライスラーよりも大きく、それ自体アメリカ最大の企業であったため、独立することによって、シボレー事業部も残された事業部も、それぞれ攻勢に出ることが可能でした。

経営政策は一時的なものでしかありえず、常に陳腐化のおそれがあるというのがドラッカーの考えでした。しかし、GMにとっては、経営政策とは重力の法則のような原理であり、恒久的なもの、あるいは長期に続くべきものでした。

GMは、現実的であることを自認しながらも、実際には教条的でした。しかし、多くの経営学者も同様でした。

ドラッカーは、経営政策は人が考えたものである以上、唯一絶対のものではあり得ず、せいぜいのところ、正しい問いを見つけるための問題提起に過ぎないと考えました。人間社会に関わる事柄において重要なことは、正しいか間違いかではなく、うまくいくかいかないかであるとしました。

ドラッカーが、マネジメントは神学ではなく、臨床的な体系であると述べるのも同じことです。マネジメントは、科学性によって判断されるのではなく、医療と同じように患者の回復によって判断しなければならないものでした。

GMにとってマネジメントは科学であり、GMはその先駆者を自認していました。しかし、ドラッカーにとってマネジメントは実務であり、科学はその道具に過ぎませんでした。

結局、GMにとって不幸だったことは、自らの信条が自己満足を招いたことでした。後にヨーロッパで自動車ブームが起こったとき、GMはヨーロッパで2つの自動車メーカーを所有していたものの、グローバル企業として自らを組織しようとしませんでした。その結果、ヨーロッパ市場でのGMの地位は高まりませんでした。

従業員関係についての提言

従業員関係について、ドラッカーは、仕事と製品に誇りをもちたいという従業員の意欲に基本を置くべきであり、労働力はコストではなく資源としてとらえるべきであると提言しました。

具体的には、責任ある労働者、マネジメント的視点、職場コミュニティの追求でした。さらに、大企業に対する雇用責任を要請し、年間賃金保証と企業年金の検討を提言しました。

当時、GEが従業員意識調査を行った結果も、従業員が製品や企業との一体感を求め、仕事や品質に責任をもちたがっていることを明らかにしていました。ところが、労組がこれに反対しました。経営幹部も、従業員が責任をもちたがっていることについて、経営陣に対する越権とみなしました。

一方、従業員に責任をもたせることについて日本の企業が受け入れ、日本の経済大国への道のりと競争力に貢献があったとして、ドラッカーは評価を受けています。

GMと労組の幹部たちは、従業員が欲しているものは金であると考えていました。しばらくはそれでも通用していましたが、オートメーション化の進んだ最新鋭工場を立ち上げたとき、すべてが変わったといいます。

新規作用の若年の工員が責任を与えられるべきことを要求したものの、それが実現されず、生産性と品質が最悪となりました。賃金は最高であったにもかかわらずです。そして、品質の低下は他の工場にも伝染していきました。

従業員が欲しているものが金であるとの考え方は、賃上げその他の要求に屈しやすい体質をもたらしたといいます。生産性の伸びが賃金の伸びを上回っているうちはそれでもよかったのですが、GMの生産性の伸びが止まり、それどころか下がり始めたとき、賃金コストと生産性の関係が無視されるようになりました。

生産性は経営陣の問題であるとしていたため、賃上げ要求に抵抗することができませんでした。

企業の公益性

企業の公益性について、ドラッカーは、企業が社会の問題にも関係を持たざるを得ないとしましたが、GMは、経済的機能を超えた権限、権威、責任を引き受けることをすべて拒否しました。

ドラッカーは、このGMの考え方は間違いではなかったと言います。

しかし、後々、このような考え方がGMの弱みの原因になったとされています。社会的な地位や評価の低下だけでなく、GMが直面したその他諸々の問題の原因になりました。

今日の社会は、新しい種類の多元社会を迎えています。このような社会においては、誰が何についてどこまで責任をもつべきかは不明です。しかも、政府では役に立たない社会的なニーズがあることも明らかです。

このような状況の変化を認めず、自らのあり方や、他との関係、責任、立場について徹底的に検討することをしなかったことが、GMのその後の弱みの原因となり、ある意味では経営陣としての責任の放棄を招きました。

そして、1960年代の終わりには、GMは公益性についての考えが時代遅れになったことを認めざるを得なくなりました。GMへの評価は一変し、GMバッシングが人気のある気晴らしになったといいます。