分権制はすべての答えか - 企業とは何か⑥

GMは分権制の導入において成功しましたが、GM内部においても、分権制が経営効率的に優れているわけではないという意見もありました。

分権制が万能であれば、事業部の内部部門においても分権制を適用すべきであるという考え方になりますが、実際のところ、GMにおいても、事業部内では完全な集権制をとっている場合もあれば、下部組織に至るまで可能な限り分権制をとっている場合もありました。

しかも、集権的な事業部の生産性が優れて高いこともありました。

ドラッカーの見解は、生産のための組織構造として、分権制が万能であるとは言えないということです。分権制が集権制よりも優れているかどうかが重要なのは、経済効率ではなく、リーダーの育成に関わる問題であり、完全雇用に関わる問題でした。

ただし、事業部制の重要なメリットは、市場によるテストを受けているということです。したがって、自動車産業のように、毎年のモデルチェンジが要求されるような競争市場にあるからこそ、集権的であっても生産性が高い状態を維持できるということはありました。

市場によるテストがあるからこそ、経済的な領域において企業の経営陣の権力に正統性が与えられ、自由企業体制を成立させることができます。

分権制はどこまで適用できるか

GMの分権制について、ドラッカーは、2つの問題を提起します。第一は、本社経営陣と事業部経営陣との関係よりも下のレベルでも分権制が適用できるかどうかです。第二は、他の産業でも適用できるかどうかです。

GMの全社レベルでは、分権制の対象は、事業部長に率いられる製品別事業部でしたが、事業部内のレベルでは、職能別部門になっていました。それらの部門長には市場という客観的な尺度がないため、部門長を独立した存在として扱い、事業部長並みの裁量権を与えることには無理があると、ドラッカーは考えました。

しかし、GMの事業部の中には、事業部内で分権制をとっているものがありました。

例えば、戦時に創設された航空機関係の事業部の一つでは、事業部全体を分権制によって組織していました。5つの工場すべてがそれ自体独立した事業部であるかのようにマネジメントされていました。

ただし、政府関係業務については受注を集権化し、事業部長が取り仕切っていたため、5つの工場とも、生産日程は事業部ベースで決められていました。

しかし、仕事はそれぞれの工場長の裁量に任されていました。技術や調達だけでなく、採用と訓練まで任されていました。事業部長は、事業部スタッフを組織し、各工場を助けるとともに、工場間で足並みを揃えられるものは揃えさせたといいます。

さらに、この事業部では、工場レベルの下のレベルにまで分権制を適用し、各部門長に全面的な権限を与えてていたといいます。ただし、経営幹部は全員、頻繁に開かれる会議を通じ、事業部の方針や直面する問題を知らされました。

この航空機関係の事業部では分権制が徹底していましたが、他の事業部でも、似たようなことを行っているところはいくつかあったといいます。各部門長の間で分権制が敷かれつつ、どの部門長も事業全体に関わる問題を理解できるようになっており、事業部長の代役を果たせる体制になっていたといいます。

事業部の各部門内でも分権制が推進され、各種会合の活用や、特に将来性のある者に対する多面的な訓練を通じて、事業のあらゆる側面を理解できるようにしていたといいます。職長のレベルでも、幅広い訓練と、事業全体を理解させるための頻繁な異動が行われました。

職長レベルが事業部の経営会議に出席させられ、重要な問題はすべて知らされるとともに、他の部門の問題を知る機会も与えられ、所属部門の問題には意見を求められたといいます。その事業部では、昇進と異動の双方において経験の多様性を求めていました。

これらの事業部はいずれも、単独で大企業といってよい規模であったといいます。しかし、航空機関係の事業部などのように最終製品の種類の少ない事業部もありました。これらから、製品数に関わりなく分権制は適用できるということが分かりました。

したがって、GMの組織をそのまま真似ることはできなくても、考え方はどの企業でも使えるとドラッカーは指摘しました。

分権制がもたらす利点

GMには、少数ではあっても、分権制が経営効率的に優れているわけではないとする経験豊富な経営幹部がいたといいます。

最大規模の事業部の一つであった車体事業部は、戦時体制では、5種類の製品を生産し、5つの副事業部で組織されていたといいます。各副事業部は事業部的に分権化され、副事業部長に対する事業部経営陣は、事業部長に対する本社経営陣のように組織されていました。

しかし、戦前の車体事業部は集権的に組織されており、それが効率的であり、現に高い生産性を誇っていました。戦時は、5種類の製品を生産するがゆえに、分権制が効率的でした。

同じく、最大規模の事業部の一つであったシボレー事業部も集権的でありながら、群を抜いて高い生産性をあげていたといいます。

つまり、分権制は、生産のための組織構造として万能ではないということです。

ドラッカーによると、分権制が集権制よりも優れているかどうかが重要なのは、事業のマネジメントにおいてではありませんでした。それは経済的な効率によって判断すべき問題ではなく、リーダーの育成に関わる問題であり、完全雇用に関わる問題でした。

市場による判断

自由企業体制では、価格、利益、生産量は市場によって決められます。この市場によるテストが、自由企業体制のメリットであるとされてきました。

ただし、市場によるテストは、コスト管理で十分代替できるという反論もありました。

事業部としての仕事ぶりは、すべて市場で判断されました。しかし、事業部内の各部門の仕事ぶりを市場に結びつけることは困難でした。単体では売ることのできない製品の評価は、コスト管理によるしかありませんでした。このコスト管理を補完するためにも、事業部内の分権制が必要であるとされました。

ところが、GMの大事業部のいくつかは、集権化していながら効率的でした。これに対しては、集権化が効率的なのではなく、毎年のモデルチェンジによって市場からの圧力を受けているため、集権化の非効率に歯止めがかけられているという意見がありました。

結局、市場あってこそのコスト管理であり、信頼性であるということです。いずれにしても市場からのチェックは不可欠です。しかも、自動車業界のように、毎年モデルチェンジが要求されるような競争市場であることが重要です。

したがって、一般論として、集権制は、コストと市場という二重のチェックを受ける分権制に劣らざるを得ないということになります。

リーダーをいかに育成するか

さらに、集権制が分権制よりも劣ると考えられているのが、リーダーの発掘と育成においてです。

集権的な大事業部では、スペシャリストで終わるおそれがあるため、リーダーに必要な経験を積めず、実力を発揮すべき機会が与えられない可能性があります。

現に、GMでは、分権化された小事業部のほうが、本社経営陣への昇進のチャンスが大きいとの認識が一般的でした。集権制の利点が発揮されるのも、小事業部がリーダーを育成し、集権的な事業部に供給してくれるからであるという意見さえありました。

GMでは、リーダーの候補者を増やすために、あえて事業部を分割することがありました。また、戦時に分権制を導入した事業部を、平時への復帰に当たって、リーダーを育てるために分権制を維持したこともありました。

結局、組織にとっては、リーダーを育てることの方が、製品を効率よく低コストで生産することよりも重要であるということです。効率よく低コストな生産は、優れたリーダーがあってこそだからです。いかに優れた組織であっても、優れたリーダーがいなければ、その優秀さを発揮することはできません。

なお、分権制がリーダーを発掘し、訓練し、育成するのは、市場によるテストを受けるからです。経営的な能力に関して客観的な評価尺度を提供することによって、次代の経済活動を担うべき者を明らかにすることができます。

市場によるテストは、経済的な領域における権力の正統性の根拠ともなります。それがなければ、官僚的な人選基準か権力闘争しかないことになります。市場によるテストが、自由企業体制を成立させるためにも必要です。