組織の論理 ー 多元化の時代 ー 断絶の時代③

組織は、その内部も複雑で、多元的です。

マネジメントは、企業以外の組織においても必要な機能であり、少くとも、役割、責任、正統性の3つの視点からとらえることが求められます。

組織の役割

組織は、社会において特定の役割を果たすために存在します。役割こそが組織のアイデンティティです。

ドラッカーによると、組織の役割には、目的、実行、人の3つの側面があります。それぞれが別の種類の問題になりますので、同等に重要です。

目的

組織の目的は、自らの生存ではなく、社会に対して何らかの貢献をすることです。目的は組織の外にあり、行動の評価基準も組織の外に対する貢献度でなければなりません。組織自体は手段の塊です。

組織がなすべきことは、まず目的を定めることです。目的がなければ組織は存在できません。構造を決めることも、マネジメントすることもできません。

目的が定まることによって、何をもって成果とするか、成果をどのように測定するか、成果をあげるためにいかにエネルギーを動員するかが決まります。

組織の目的を定めるための純粋に科学的な方法はありません。目的は未来に向けたものですから、本質的に不確実なものであり、価値判断を伴う意思決定が必要です。価値観は対立するため、最終的にはトップによる意思決定が必要です。

意思決定は判断であり、意見や感情ではなく、正しい情報に基づくべきことは言うまでもありません。複数の代替案を明らかにし、評価したうえで行うべきです。

ドラッカーによれば、組織にとって、新しい機会やアイデアの不足が問題になることはなく、すでに行っていることの継続を迫る慣性こそが問題であると言います。

目的に関する意思決定において、もっとも困難かつ重要なものは、「何をなすべきか」ではなく、「何をなすべきでないか」、「何を捨てるか」についての意思決定です。次いで重要なのは、「何を優先し、何に集中するか」についての意思決定です。

目的に関する意思決定に決定的な答えはありません。間違うこともあれば、前提が変化して陳腐化することもあります。成功する確率よりも、失敗する確率の方が高いとさえ言えます。目的において誤れば、行為が正しくても、優れた人材を投入しても、効率的な仕事を行っても、すべては無駄になります。

したがって、繰り返し問い続けることが必要です。組織は変化することが前提であると考えておかなければなりません。

組織は、経営資源を動員し、その強みを集めて成果を最大にするための道具です。生産性が低く、成果のあがらない分野から、成果と貢献の機会のある分野に、経営資源を速やかに移動できなければなりません。そのために、組織には「捨てる能力」、「やめる能力」がとても重要になります。

実行(マネジメント)

組織によって目的はまちまちですが、その実行のためのマネジメントは本質的に同じです。

組織には2つの「構造」が必要です。目的に応じて規定される構造と、普遍的なマネジメントの原理に規定される構造です。目的は組織の存在根拠であり、ドラッカーによると「状況の論理」です。マネジメントは普遍的な「知識」です。いずれも、組織にとっては揺るがない「権威」としての役割をもちます。

組織が実際に行動するためには意思決定を行うことができなければなりません。その力が「権限」です。確立された権威に基づいて、権限が付与されると考えることができます。

「人」の問題も、組織による違いはあまりありません。一人ひとりの人間の仕事ぶりと満足に関わる問題であり、仕事の生産性を高め、成果をあげることです。

人は、組織にとってもっとも重要な経営資源です。他の経営資源を生産的にするのは人だからです。ですから、人の仕事が生産的であることが大前提です。

逆に、組織も、人にとって必要なものです。組織で働く人にとっては、組織自体が自己実現の道具だからです。組織社会においては、多数の人にとって、組織で働くことが自己実現の唯一の手段とさえ言えます。

組織の社会的責任

あらゆる組織は、社会に対して力をもち、その力を行使する結果、社会に影響を与えます。したがって、あらゆる組織が、自らの行動に責任をもたなければなりません。

ドラッカーが言う「影響」とは、財やサービスを提供することによる直接的な効果を意味するわけではありません。それは組織の役割そのものだからです。「影響」とは、組織がその役割を果たすための活動に付随して生じてしまうものであり、いわば必要悪に当たるようなものです。

 

「責任」という概念は、独立して存在するものではなく、常に「権限」とセットでとらえるべきです。「権限があるから責任を伴う」、「権限の行使によって社会に生じる影響に対して責任を負う」ということになります。

ですから、本当の問題は、「正しい権限とは何か」ということです。

例えば、企業がどこかの場所を専有して工場を建てることによる自然環境への影響、周囲の住環境に与える騒音・公害・交通渋滞などの影響、人を雇って長時間拘束することによる本人や家族への影響などです。

組織の社会的影響を考えるうえで、ドラッカーはいくつかの原則を示しています。

影響を最小限にする

影響を最小限にすることです。社会にとっては、組織の影響は干渉に当たりますので、ごく限られた場合にしか許されないと考えるべきです。

特にドラッカーが強調するのは、従業員に対する影響です。従業員と組織との関係は、限定された契約関係であり、たとえ勤務時間内であったとしても、全人格を拘束するようなものではありません。したがって、従業員に忠誠を要求することに正統性はありません。

従業員の忠誠を否定しているわけではありません。組織と従業員の間に、愛情、感謝、友情、敬意、信頼があることはよいことであり、価値あることです。ただ、それらは契約上当然に要求したり矯正したりできるものではなく、付随的に生じ得るものです。努力によって相手から勝ち取るべきものです。

影響を予防する

組織がもたらす影響を事前に知り、予防することです。起こってしまった悪影響に対処するよりも、悪影響が起こらないようにする方が望ましいことは言うまでもありません。

これは社会のためであり、組織の利益のためでもあります。悪影響は社会の目に問題として顕わにされ、事件として処理され、公権力の干渉(法律、規制)を招きます。予防に尽力すれば、敬意をもって耳を傾けてもらえ、予防のための必要な提案は受け入れられます。

予防のための対策が業界全体に関わる場合は、たとえ業界にとって不人気であったとしても、規制の制定を働きかけることも必要です。社会に対して悪影響を与えると知っていながら、不人気であるがゆえに行動しなかったことが後で分かれば、厳しい代償を払わされるからです。

社会のニーズを機会とする

本業による影響に対して責任を果たすだけでなく、より積極的な社会的責任についても、ドラッカーは言及しています。

社会で生じている問題のなかには、現在の事業とは直接関係がないものも多いでしょう。しかし、そのような問題も、解決を求める社会のニーズや要求があります。特有の機能を受けもつそれぞれの組織は、そのような問題に対しても、自らの事業機会としてとらえることができないかを考えることも必要です。

社会問題に対しては、責任(負担)としてではなく事業機会としてとらえようとすることが、組織の倫理であると言います。「事業機会としてとらえる」とは、自らの強みを生かせる方法で問題に対処でき、かつ利益をあげられる余地を探すことです。そうすることによって、組織の目的、本来の使命として取り組むことができるようになります。

組織にとって、自らの強み以外の領域にある問題に手を出してはいけません。それは社会的責任ではなく、無責任になります。組織として、本来負えない負担だからです。

自らの強みを生かせる仕事に集中することによって社会問題に対処できてこそ、成果につながり、社会のニーズを満たすことができます。それでこそ、社会的責任を果たしたことになります。

すべての問題に対して事業機会を見い出すことは、簡単ではありません。しかし、社会の問題は、放置すれば社会の病につながります。いかに健全な組織であっても、病める社会で栄えることはできません。ですから、それぞれの組織が、多元社会の一員として、共同して問題に取り組もうとする姿勢が大切です。

組織の多くは私的な存在です。しかし、組織は社会的機関です。社会によって存続を許容され、生かされ、社会に影響を与える存在だからです。ですから、組織のリーダー個人もまた、社会そのもののリーダーの一員であるという自覚、公的な存在であるという自覚が必要です。

社会は、組織のリーダーに対して、社会的な問題の発生を予期し、その解決に尽くすことを期待する権利をもつと言うことができます。組織のリーダーは、かつての貴族や資産家に相当する存在です。社会問題を事業機会としてとらえる姿勢は、組織のリーダー個人にも必要です。

ドラッカーに言わせれば、組織が日頃行っている事業、すなわち財やサービスの提供などは、本質的に、社会的ニーズの充足であり、社会問題の解決でなければならないということでしょう。単に量を提供するのではなく、社会の質、人間生活の質を提供することでなければならず、人間生活の質を高めることに貢献しなければならないということです。

権限の正統性

多元社会では、多くの人たちが組織に雇用され、または組織に関わっています。当然のこととして、組織はそれらの人たちに大きな権限を行使していますが、その前提として、組織およびその経営陣が行使する権限の正統性が吟味されなければなりません。

組織は、社会にとっての一機能であり、それ自体がコミュニティでもなければ、統治体でもありません。ですから、特有の目的を果たすための機能として必要最小限の権限でなければなりません。限定された仕事における権限です。

もちろん、組織は、そこに働く人に対し、最大限の責任を要求しなければなりません。責任を引き受けてもらうためには、働く人に組織の現実を十分理解させる必要があり、そのためには、可能な限り意思決定プロセスに参画させることも必要です。

ただし、責任とは、組織の成果に貢献する責任であって、組織自体や経営陣自身に対する責任ではありません。組織の外にある目的、すなわち社会が望み欲することから、組織の成果が明らかにされ、組織の具体的機能が定められます。

人を管理するのは機能です。機能が明確になってはじめて、なすべき仕事や求められる能力も明らかになるからです。

成果は業績によって測定されなければなりません。測定されることによって評価でき、改善すべき点が明らかにできます。人は、自ら足らざる能力や知識を知ることができます。だからこそ、人に責任を要求することができ、人は責任を引き受けることができます。

要するに、成果が組織に働く人を支配し、方向づけることになります。成果こそが権限の根拠であり、正統性の鍵です。