政府の病 ー 多元化の時代 ー 断絶の時代③

政府は、今日、もっとも巨大な組織です。最大の雇用主であり、あらゆる分野に進出し、費用を支出しています。

しかし、政府は強力ではありません。費用はかかっていても、成果はさしてあげていません。政府に対する信頼は薄れ、幻滅が深まっています。

それでも、今、強力で健全、かつ生気にあふれた政府が必要とされています。国内的には多元社会が出現しているがゆえに、国際的にはグローバル経済が出現しているがゆえに、政府の役割が重要になっています。

なお、『新しい現実』において、政府の重要な役割である国防のための軍備について、新たな問題として取り上げられました。軍備が民間経済を圧迫している問題です。次の記事をご覧ください。

政府への幻滅

ドラッカーは、政府への幻滅こそ、もっとも深刻な断絶であると言います。以前の世代は、政府は万能であり、善意の塊であると信じていました。

今日、政府に対する考えは変わり、懐疑と不信の念を抱かれ、反抗さえ起こっているにもかかわらず、社会的な課題を政府に任せています。政府は、失敗したプログラムを捨てるのではなく、手直しによって改善できると考えています。

人びとは、政府に対して無料のサービスを要求してきました。費用はかかることは分かっていましたが、自分以外の誰かが負担してくれると思っていました。自分以外の金持ちが負担してくれるはずだと考えてきました。政府に任せることによって、人びとは、意思決定を回避し、責任から逃避してきたのです。

ドラッカーは、人びとが責任から逃避することによって、ファシズムやナチズムが生まれ、力を得てきたと言います。

ドラッカーによると、さらに、企業、利益、財産への嫌悪が、幻想の根となっていたと言います。人間の利己心や争いの根源は金銭欲であるから、政府に権力を与え、国有化すれば、すべての争いはうまく調整され、解決されると信じていました。

しかし、政府がすべてを管理する社会主義や共産主義においてこそ、もっとも醜い権力争いが行われ、人のあらゆる自由や権利がますます収奪されていたことが明らかになりました。

結局、政府は、約束する成果をほとんどあげることができませんでした。最大の幻滅は福祉国家の失敗ですが、都市問題、教育、公共輸送など、あらゆる分野で政府の仕事は失敗し、さらに劣化しています。

失敗するほど政府は肥大化し、仕事ぶりはますます悪くなります。書類ばかりが増え、受益者に対する直接サービスの時間はますます減少します。

あらゆる国で、官僚とその官庁を管理できなくなっています。政策ではなく、自らの権力、論理、視野で、自らの方向を決めています。正しさや国民にとっての成果ではなく、省益や自己都合を重視しています。あらゆる政策は細切れで、現実の施策は政策と分離しています。

国際社会に目を向けるならば、さらに統治とはほど遠い状態です。グローバルな政治的コミュニティは事実上機能しておらず、主権国家は政治的な機関として機能できなくなっています。

多くの国民国家は分裂の危機に直面しており、主権国家として最低の責任も果たせない規模の小国が多数生まれました。

政府の限界

予算の限界

投入できる政府予算には限界があります。特に、低所得者向け住宅や社会福祉などです。膨大な予算を投入して、本当に効果があがっているでしょうか。むしろ逆効果になっていないでしょうか。

イギリスのサッチャー首相は、低所得者向け住宅を居住者に払い下げを行ったところ、町は自身に満ち溢れ、整備され、安全になりました。

税制による所得再分配の限界

税の徴収による所得の再分配もうまく行っていません。

イタリアの数理経済学者であるウィルフレッド・パレート(1848年〜1923年)は、生涯に及ぶ所得分配に関する研究の結果、政府による所得再分配は不可能であると結論づけました。

所得の分配を決めるものは、あくまでも経済的な生産性であり、習慣や価値観がこれにごく僅かの差をつけるだけであると言いました。生産性が低ければ所得の再分配は不平等になり、生産性が高ければ平等になります。

税制による所得の移転は確かに起こりますが、政府が意図しているような富者から貧者への移転はうまくいかず、不平等なものになります。パレートによると、税制や税率が異なっていても、所得の分配は似た状況になっています。

所得の再分配のために税制を用いるという考え方はやめて、あくまで、政府に歳入を与えるための税であり、できるだけ社会や経済に対して影響を与えないような税制にすべきである、というのがドラッカーの考えです。

租税の限界

シュムペーターによると、第一次世界大戦前には、絶対的な政府などは存在せず、税にせよ借り入れにせよ、政府が調達できる資金には限界がありました。せいぜい国民所得の5%程度であったといいます。

ところが、第一次世界大戦中に、交戦国のすべてが、この限界を超えて戦費を調達しました。

シュムペーターは、その結果、インフレ圧力が常態であるような、まったく新しい種類の経済が現出するであろうと予言しました。さらに、政治の仕組みの基本が崩れていくであろうことを指摘した。「インフレは自由社会を破壊する」と何度も警告しました。

かつては歳入に限界があったため、政治家は常に選択を迫られ、要求に対して「否」と言うことが必要でした。しかし、限界がなくなれば、要求に抵抗することはできなくなります。所得の流れを、生産的な部門、富を生み出す生産設備や新しい技術への投資から、所得の再分配を目指す非生産的な歳出へと方向に向けさせてしまいます。

国民経済に深刻な打撃を与えることなく、あるいは政治の安定を損なうことなく、政府が調達し得る資金には、厳しい限界があります。ドラッカーは、国民総生産の35~40%を限界と想定しています。

政府は、この限界を超えて税を吸い上げると、実質的な歳入は増えるどころか、減ることなるといいます。国民が働かなくなり、税をごまかすようになるからです。

税収が国民総所得の40%あるいはこれを超えている国では、地下経済が発達しているといいます。ドラッカーによると、『新しい現実』の執筆時点で、アメリカの地下経済は、地上経済の15%、スウェーデンなどでは30%に達しているといいます。

地下経済の発達は、社会の倫理的な基盤を損ない、政治的には「しらけ」が蔓延します。

それでも重要な政府の役割

本来、多元社会とグローバル経済においてこそ、強力で成果をあげることのできる政府が必要とされます。

多元社会の問題は、各組織がごく狭い独自の単一目的のみを追求していることです。単一目的に集中するからこそ、成果をあげることができます。しかし、それは同時に、他の組織に無縁であり、無関心になりがちであるということです。

全体の利益を考える誰かが必要であり、これが多元社会における政府の重要な役割であると考えられます。国民もまた、多様な組織からの影響を受ける立場として、政府に対して監督の責任を要求します。

政府は、共通の意思とビジョンを体現し、共通の信念と価値観のもとに、多様な組織をまとめ、社会と市民に対し最高の貢献を行わせなければなりません。多元社会の多様な機能や自律性を生かすことによって、それを行わなければなりません。

ドラッカーによると、それを可能にするのは「絆」です。

ただし、絆である以上、政府だけが全体の利益を考えればよいわけではありません。誰もがそれを考えなければなりません。すべての組織が、全体の利益に対する関心と責任を、自らのビジョン、姿勢、価値観に組み込むことが必要です。

ドラッカーは、このことを「誰もが政治的責任を取る」と表現しています。

かといって、自分たちの能力やミッション、価値観を超えた責任を負うことはできませんから、考えるべきは、全体の利益にとって必要なことが何であり、そのために自分たちは何ができるかです。

併せて、グローバル社会とグローバル経済において、国家主権を超えることができる強力な政府が必要です。

政府の事業の有効化

政府の不得意なこと

政府には不向きなことがあります。

イノベーションに向きません。一旦始めた活動は、つねに政治のプロセスに組み込まれ、自ら捨てることができないからです。政府は元々保護や維持のための機関であることから、やむを得ない面があります。利害関係者がつくり出され、政府に維持圧力を掛けるようにもなります。うまく行かなければ、やめるのではなく強化しようとします。

ドラッカーは、行政の成り立ちそのものが、そのような状況を生みやすいことを指摘しています。

政治は常に新しいプログラムに関わるため、問題が起こらない限り日常の仕事に焦点を合わせることがありません。このような政治から行政を守るために官僚制がつくられました。

行政の役割は、波風を立てず、決定されたことを厳格な手続きに従って正確にこなすことであり、成果をあげるためのマネジメントは求められませんでした。

この考え方は、現在も重要です。いかに称賛すべきものであっても、政治的な目的に奉仕してはならず、公共のための特定された成果の達成に集中すべきです。

ここで重要な点は、その活動に関わる利害関係者の問題です。成果は、一つの目的に集中しない限り期待することができません。利害関係者が異なる価値観と要求をもつ場合、その活動を効果的に実施することができなくなります。すべての利害関係者に公平であることができないからです。

独立の検査

今後はそういうわけにいきません。政策の目的を明示し、期待すべき成果を明らかにし、結果を検証しなければなりません。

歴史の教訓から、政府自身にそれを行わせるのは困難ですから、結果を検証し、公表する独立の機関が必要です。会計検査院は予算の支出について検査する独立の機関ですが、業務や事業の検査についても同等の独立機関が必要になります。

自動廃棄

政府は仕事をやめることができないため、自動廃棄の仕組みも必要です。政策、組織、活動のすべてを臨時のものとしてスタートさせることです。

5年ないし10年で終了する前提で開始し、やむを得ない場合に特別の措置を講じてはじめて更新されるようにします。

更新の条件は、あらかじめ約束した成果をあげることができ、かつ、今後も必要である明確な理由がなければなりません。できなかったから更新するということであれば、これまでと同じです。

予定までにできなければ終了し、まったく新たに始める価値があるかどうかを考えなければなりません。

その有効性を失った事業、とくに目的を達成した事業は、存続してはいけません。

政府本来の仕事

統治と民営化

政府に相応しい仕事は、統治です。社会の問題を浮かび上がらせ、選択を提示し、意思決定を行うことです。ただし、統治は実行と切り離す必要があります。

実行(および管理)には、他の多様な組織を活用します。政府は、多様な組織の仕事についてよく知り、それらの組織にとっての事業機会になるように、社会的な目的を設定できることが重要になります。

非政府の組織は、成果をあげるための機関となります。政府は、社会の目的を決定し、多様な組織を指揮する機関となります。

公有(国有)のものを私有にするかどうかは、本質的な問題ではなりません。大事なことは、実行する組織が自律的であることです。財・サービスの販売、労働力や資金の調達などを市場にまかせるということです。

政府の役割とされてきた多くの事業を非政府組織が実行していくことになれば、もはや公的・私的の区分もあまり意味がなくなります。組織のそれぞれが、得意とする仕事に主体的に献身する社会を目指します。あらゆる領域が公的であるとも言え、少なくとも公益に左右されることになります。

ドラッカーは、組織における意思決定と実行の分離を主張します。これは、日常業務における細かな意思決定と実行を意味しているのではなく、政治と行政の分離のように、組織全体のトップレベルの意思決定、すなわち組織全体の統治(目的、使命、方向づけ、全体目標などの決定)を実行と分離すべきということです。

このことによって、ドラッカーが、従業員の経営参画を否定しているように誤解されかねないので、注意が必要です。

知識労働者は、自らの仕事の目標を自ら設定し、日常業務でさまざまな意思決定をします。しかし、目標に最終承認を与える者は上司です。日常業務における意思決定の基準となるべきものも、上位者の意思決定によって承認されます。

要するに、自分がやるべき仕事は自分で設定しますが、上司による承認が行われるべきです。

組織で仕事をする以上、組織全体への目標に貢献できなければなりません。貢献が最高のものになるには、自分の強みを生かして自らを動機づけることが重要ですから、自らの仕事の内容や目標の設定に本人が参画することが不可欠であり、かつ、組織全体の目標から焦点がズレないよう上司の調整と承認もまた不可欠であるということです。

さらに、従業員であれば、自分自身の目標の設定だけでなく、自分が所属している部門の目標設定にも参画しなければなりません。自分が日頃の仕事で把握している問題や課題を反映させなければなりません。

目標の最終的な意思決定権は上長にありますが、そのプロセスを理解しておくことが、自らの目標設定を行う際にも役立ちます。

 

実行機関としての非政府組織については、やはり企業がもっとも適しています。なぜなら、企業は変化を前提としたイノベーションのための機関だからです。事業をやめることができるだけでなく、自らが消滅することも許され、それは日常的にも起こっています。

非政府組織であっても、企業以外の組織、例えば、学校、病院などの消滅は容易ではありません。

企業は利益をあげることを認められているため、業績による客観的な評価が可能であり、未来のリスクへの対応という強みにもつながります。それは、損失を出すことが容認され、また、損失に耐えられるということでもあります。

ドラッカーによると、損失を出し得るために、あらゆる組織のなかで、企業がもっとも適応性に富み、もっとも弾力的です。

利益によって業績を評価できるということは、成果の評価尺度が明確であるということであり、あらゆる組織のなかでもっともマネジメントが容易です。投資家もリスクへの投資を負担できます。

民営化の進展

政府の事業の民営化については、『断絶の時代』以降、次々に実現されていきました。

ドラッカーが民営化を提唱した当初は、失笑さえ受けたようですが、今では、政府には限界があることが受け入れられたと言えます。

イギリスのサッチャー首相、フランスのシラク首相といった保守派だけでなく、フランスの社会党が首相になっても継続されました。その他の国でも進められています。

さらに、競争入札による公的サービスの民間委託が、アメリカの自治体で始まり、世界中に広がりました。

民営化は今後とも推進される流れになるはずです。むしろ、事業の実施は民間組織が担うことが原則です。民間組織が政府と同じように、あるいは政府よりもよく行える場合には、政府はその活動を行うべきではありません。

政府は、民間組織に対して補助金などの予算を交付することも多くなっているため、これを通して一定の影響を与えることができるはずです。

もっとも重要な役割は、民間組織の果たすべき機能について、基準を設定することです。

政府にしかできないこと

政府しか実施できない事業とは、他に目的達成の方法が存在せず、あくまでも独占にならざるを得ないようなものです。

それは、法と秩序と正義の確保であり、国防・軍備、関係者全員を平等に拘束するルールづくり(公正な競技場の維持)です。