戦略と科学的仮説 − ルメルトの戦略論⑮

リチャード・ルメルト(Richard P. Rumelt)は、戦略論と経営理論の世界的権威で、ストラテジストの中のストラテジストと評されています。

この記事では、『良い戦略、悪い戦略』(GOOD STRATEGY, BAD STRATEGY)および『戦略の要諦』(The Crux: How Leaders Become Strategists)を基に、ルメルトの戦略論を概説します。

戦略は、「これはうまくいく」、「あれはうまくいかない」、「それはなぜか」といった実際的な知識に基づいています。

基礎的な知識や常識も大切ですが、それらは誰でも手に入れることができるので、決定的な要因にはなりません。最も価値のある知識は、企業に独自の知識、自ら発見あるいは開発した知識です。

企業は、これから進出する分野や強化する分野を積極的に開拓し、独自の知識を収集します。戦略は、他社には入手できない独自の知識を活かす機会を提示するものであるべきです。

新しい戦略はあくまで「仮説」です。仮説の実行は「実験」に相当します。実験結果が判明したら、何がうまくいき、何がうまくいかないかを学習し、戦略を軌道修正します。

戦略とは仮説である

戦略を立てようとするときに、明確で確実な目標を達成するための計画を立てるのと同じように考える人がいます。

つまり、確たる理論に基づいて、Aをやったら何が起き、Bをやったら何が起きるかを確実に知る方法を見つけ、最善の戦略を立てようとします。安全なビルを建てるために科学的な理論に基づいて設計するのと同じように考え、それこそが科学であると考えているのです。

しかし、科学においても、すでに分かっている知識を限界まで獲得すると、そこから先へ進むためには推論が必要です。つまり、未知の領域で何が起きるか仮説を立てるわけです。

ビジネスにおける戦略も、既知の領域と未知の領域の間に存在します。他社と競争しているうちに、知識の限界まで追い詰められ、そこを超えなければ先んじるチャンスはありません。

未知の領域へ足を踏み出せば、分からないことだらけです。

科学の世界では、既知の法則や経験に照らして仮説を検証します。仮説が基本的な法則や過去の実験結果に反しないか確かめるわけです。

この検証に合格した仮説は、現実の世界での実験で検証されなければなりません。

戦略の場合も、すでに分かっている原則や過去の経験に照らして検証します。この検証に合格したら、実際に試してみて何が起きるかを調べます。

知識の限界に達しているとき、確実にうまくいく戦略を要求するのは、科学者に確実に真実である仮説を要求すると同じであり、不可能です。

良い戦略を立てることは、良い仮説を立てることと同じ論理構造を持っています。科学的知識の多くは共有されているものの、経営に関する知識は業界や企業に固有のものが多いという点が違いです。

要するに、戦略とは「こうすればうまくいくはずだ」という仮説にほかなりません。策定時点での理論的裏づけはなくても、知識と知恵に裏付けられた判断に基づいています。

エンジニアは、整然と推論を重ねて問題を解決するプロセスを「クランクを回す」と言います。「クランク」とは、エンジンを手動で動かすときに使う道具のことです。つまり、解決の質はエンジン(推論システム)に左右されるのであって、クランクを回す人間には左右されないということを意味します。

「クランクを回す」ように戦略を立てられると期待している経営者が多いのです。「戦略策定マシン」のような便利な道具を機械的に操作すれば「戦略」が自然にアウトプットされると考えてるわけです。

啓蒙思想と科学

変化する世界で良い戦略を立てるには、新しいアイデアや知見をもって新たなリスクやチャンスに備えることが求められます。それは極めて創造的な行為です。

三段論法のような具合に秩序正しく戦略を立てられるという考え方は、知る価値のある情報はすでに全て知っていることが前提となります。

しかし、重要な情報をすでに全部持っているとか、権威ある既知の情報源から入手できるという前提に立っていると、イノベーションは生まれません。

戦略を立てるに当たっては、居心地の良い前提や安心できる推論システムを捨てて、危うい未知の領域に踏み込んで自らの判断や洞察に頼らなければなりません。

科学の世界では新しい考えを「仮説」と呼び、新しい考えが証明されるのを待っていることを言い表しています。

新しい考えは、既存の知識のみからは生まれません。新しい考えを生み出すのは、深い洞察であり創造的な判断です。

科学の世界では、現実の世界から取り出した実証データによって仮説の価値が決まります。

戦略は、世界がどう動くかを知識と経験に基づいて予測する点で、科学的仮説と共通するものがあり、戦略の最終的な価値は成功したかどうかで決まります。

したがって、戦略策定の作業は、科学と同様、実証的かつ実際的にならざるを得ません。

アノマリー

「アノマリー(異常)」とは、定説や常識から逸脱した現象を意味します。科学においては、開拓されるのを待っている未知の領域です。

アノマリーは、鋭い観察者が事実と定説とを注意深く比較したときに、立ち現れます。

仮説の検証

仮説は当初うまく行くと信じて試されるものですが、実験を通して情報を収集するうちに、修正が必要であることに気づきます。

修正と実験を繰り返し、元の仮説は原形をとどめないほどになることもあります。代わって新たな仮説が積み上げられ、それぞれの良いところが採用され、また実験されます。

仮説、データ、新たな仮説、データ、と繰り返されるこの学習プロセスこそ、成功する企業に必須のものです。その過程で得られる情報こそ、その企業独自の情報として価値あるものとなります。