国際通貨基金(IMF)は、資金を提供する際に一定の条件をつけました。そうすることによって、危機を引き起こした問題の手直しをしようとしたのです。
問題の背後にあるのは、その国の経済構造だとIMFは信じていたので、そこを変えなければならないと考えました。
その条件に含まれていたのは、金利の引き上げ、政府支出の削減、増税でした。
構造改革が入ることもありました。例えば、公開性と透明性をより高めること、金融市場の規制を緩和すること、その他個別の改革です。
IMFの条件の幅広さは、援助を受けたいのなら経済的な主権の大部分を放棄しろと言っているようなものでした。それは民主主義の侵害と同じでした。
それどころか、これらの条件が経済の健全性を取り戻すことにはつながりませんでした。当然、IMFの資金投入は失敗しました。
政府介入の徹底排除
IMFは、自由化と同時に政府介入の排除を要求します。その中には、政府の緊縮財政、すなわち政府支出の削減と増税が含まれます。
自由化によって外国資本を呼び込むことで金利が下がるのではなく、外国資本を呼び込むために、意図的な金利の引き上げを求められることさえあります。
政府の浪費と緩すぎた金融政策が巨額の赤字と深刻なインフレにつながっているような場合は、政府の緊縮財政も有効な面はありました。深刻なインフレ環境では、過剰な需要を抑えることが重要になるからです。
しかし、IMFの緊縮財政要求はイデオロギーであり、東アジアのように政府予算は黒字で、物価上昇率も低く抑えられ、ただ企業だけが多額の負債を抱えてるような場合にも、同じ要求をしたのでした。
東アジアの場合は景気後退が始まろうとしていたので、需要の不足が問題でした。そこにインフレ対策と同様の需要を抑える対策を講じれば、景気を更に悪化させるだけでした。また、企業の債務が大きいときに高い金利を要求したので、企業は死を宣告されるようなものでした。
IMFの責任回避による更なる経済の悪化
IMFは、自分たちが起こした失敗の責任を、当時国に擦り付けました。必要な改革を真剣にやらなかったのが悪いというわけです。
そして、IMFは世界に向かって、根本的な問題への対策がなされない限り、真の回復は望めないと宣言しました。
投資家は、IMFのこうした批判によって、資本を更に大量に流出させました。IMFは解決をもたらすどころか、IMFそのもが問題の一部であり、問題をつくり出していました。
危機が進行するにつれ、失業率は大きく上昇し、GDPは急落して、多くの銀行が閉鎖されました。
不況の輸出
ある国の状況が悪化すると、周囲の国も経済力が低下することになります。
経済が下降し始めた国は、自国の経済にテコ入れする手段として輸入を減らし、消費者の需要を国産品に移そうとします。
その方法は、高い関税を設定するとともに、自国通貨の為替レートを下げることです。それによって国産品が安くなり、外国製品が高くなるからです。
こうして、どの国も輸入を減らすことにより、経済の下降を周囲の国に輸出することになります。
投資の引き揚げと手控え
全世界の経済成長が減速し、物価が下落しました。投資家は、自分の財産が急激に目減りするのを目の当たりにしました。
投資家自身が融資を受けていた銀行が資金の回収をはじめたので、他の新興国での投資を手控えなければなりませんでした。
貿易黒字化要求による更なる経済の打撃
IMFはこのような場合にさえ、さらにその悪化を助長し、大打撃を与えるような要求をしました。経済が下降してきたら貿易赤字を減らし、貿易収支を黒字にすることが望ましいと言うのです。
貿易収支を黒字にするということは、輸入を減らすか、輸出を増やすか、その両方をするか、のいずれかを行う必要があります。
ところが、輸入を減らすために関税を引き上げたり貿易障壁をつくってはならないと要求します。
輸出を増やすために通貨価値の切り下げをすることも強く非難します。IMFの救済措置の主眼は為替相場の下落を防ぐことだったからです。この背景にあるのは、通貨価値の切り下げによってインフレが起こったら困るというIMFの老婆心でした。
IMFは常々自由市場を標榜しているにもかかわらず、為替相場だけ自由を許さないのは、完全なダブルスタンダードでした。
このような制約の中で貿易黒字を出すためには、まず、国内企業の純粋な事業拡大によって輸入を増やす方法です。しかし、経済の下降局面で業務拡大のために融資を得ることは困難です。
残る手段は、緊縮財政と金融引き締めによって経済を途方もなく下降させることです。そうすれば、収入が減って輸入が落ち込むので、たしかに貿易収支は黒字になります。現にこれが起こりました。
このような政策は、他国からの輸入を大幅に減らすわけですから、更に急激に経済の下降が輸出されました。物価は急落し、原油産出国も大打撃を受けました。世界経済の安定を図る使命を持つIMFが、このような伝播を急拡大させたことは、裏切り行為そのものでした。
大リストラの要求
状況が悪化するにつれ、IMFは、今度はリストラの必要性を訴え始めました。
不良債権を抱えている銀行は潰れるべきであり、債務を抱えている会社は商売を畳むか債権者に乗っ取られるべきであると言いました。
もはやIMFの当初の使命(必要とされる支出に資金を供給して流動性を与えること)などなきがごとしであり、IMFそのものが経済悪化の元凶となっていました。
先進国では、破産した会社の資産が保護されるよう、法律に基づいて管財人が任命されますが、そのような制度が整備されていない途上国では、資産の掠め取りが横行しました。
深刻な経済下降の中では、迅速な財務上の再構築がなされる必要があります。多くの会社が経営難に陥っている場合、マクロ経済の下降が長引いて社会的コストが膨大になるので、政府は可能な限りの手を打って速やかな解決を促す必要があります。
財務上の再構築とは、誰が実際にその会社を所有するのか、債務免除されるのか、それとも株式に転換されるのかをはっきりさせることです。スティグリッツは、これを優先させ、新しい所有者が実際に再構築の仕事にかかるべきであるとの考えでした。
ところが、IMFは、政府が財務上の再構築に積極的な役割を果たすべきではなく、あくまで実際のリストラを推し進めるべきであると主張しました。会社が何を生産すべきか、どのように生産すべきか、どのような組織にすべきかといったことです。具体的には、会社の資産を売却させ、外国から経営陣を招くなどの方法です。
経営の専門家でもない人間がこのようなリストラをするのは不可能であり、経営の専門家に任せるべきでした。実際に、政府が財務上の再構築に積極的に関与した国(韓国やマレーシア)ではリストラもうまく行き、IMFの主張に従った国(タイ)では全く進まなくなりました。
アジア通貨危機での基金創設の握りつぶし
アジア通貨危機が起こった際の1997年に、日本は「アジア通貨基金」の創設に1000億ドルの提供を申し出ました。必要とされていた景気刺激策に資金を供給するためでした。
しかし、アメリカ財務省やIMFは、その提案を握りつぶしました。IMFは、市場競争を強く訴えていながら、自分の領域での競争は好まなかったのです。
日本は、その後、額を縮小して300億ドルの援助を再び申し出たところ、承認されました。
それでもアメリカは、資金が財政政策を通じて景気を刺激するのに使われるべきではない、企業と金融のリストラに使われるべきだと主張しました。その実質的な意味は、アメリカ等の外国銀行および外国債権者を救済することでした。