「真摯さ」は誤訳であるとする意見について

ドラッカーは、マネジメントに唯一の欠くべからざる資質として「真摯さ」をあげています。

「真摯さ」の原語は「integrity」です。一般的には「誠実さ」や「健全さ」などと訳される言葉ですが、ドラッカーの一連の書籍の訳者である上田氏は、「真摯さ」という訳語を当てておられます。

この「真摯さ」という訳について、誤訳であると指摘する人たちがいます。

さらには、本来日本に普及しなかったであろうドラッカーの経営論を、日本に普及させるために、上田氏が意図的に意味をすり替えて訳したと言う人さえいます。

筆者は、「integrity」の訳として「真摯さ」を当てられたことについては、いわゆる意訳であると考えますが、「誤訳である」あるいは「意図的に意味をすり替えた」という見解については、正しくないと考えます。

「integrity(真摯さ)」とは何か

「真摯さ」の原語に当たるのは「integrity」です。この言葉の意味については、「『真摯さ』とは何か?」において説明していますので、詳しく知りたい方は参照してください。

『マネジメント』の「第36章 成果中心の精神」の中に「真摯さ」という節があります。原書で対応する章は「36 The Spirit of Performance」であり、対応する節は「Integrity, the Touchstone」です(「touchstone」は、「基準」や「試金石」という意味です)。

「integrity」の語源は「integer」(健全、完全)です。「整数」という意味でも知られています。元々は「手が触れられていない、完全無欠な」という意味であったようです。

「integrity」を英和辞典で調べると、大きく2種類の意味があります。

  1. 道徳的な健全さ:高潔、誠実、清廉、正直、健全
  2. 完全性、全体:完全な状態、無傷、統合、整合性、一貫性

1.は、人の資質に関わる意味で使われます。『マネジメント』での節のタイトルで使われているように、単独の単語として使用することができます。

2.は、主に非人的なもので使われ、「データの完全性」、「論理の一貫性」といった使い方ができます。単独の単語としては通常意味をなさず、「〇〇の完全性」などのように、何の完全性なのかを同時に表現しなければなりません。

ドラッカーは、『マネジメント』のいくつかの章や節の中で「integrity」を単独で使っていますので、上記の1.の意味で使っていることは明らかだと思います。

ただし、「integrity of character」という表現も若干ですが併せて使っています。その理由としては、「人の資質(性格、品性)としてのintegrity」であることを強調するためであると思います。そのように考える根拠は、後に述べたいと思います。

「真摯さ」が誤訳であるとされる根拠

「真摯さ」は誤訳である、あるいは意図的な意味のすり替えであると主張をする人たちのことを、ここでは仮に「X氏」と呼びましょう。

上で述べたとおり、『マネジメント』の節のタイトルで使用されている「integrity」が、「真摯さ」の原単語です。

しかし、X氏は、同節の本文中で「integrity of character」という表現があることから、これが「真摯さ」の原熟語であると指摘します。そして、その正しい訳は「人格の統合」であると言います。

ところが、上田氏は「integrity of character」の「character」を訳さないで無視し、「真摯さ」という訳語を当てたという主張です。

X氏は、なぜ上田氏が「character」を無視したと主張するのでしょうか。要約すると、次のような理由です。

「integrity of character(人格の統合)」とは、語源の「integer」から考えると、「手が触れられていない、完全無欠な人格」、「統合され、一貫した人格」を意味する。

自分の人格の完全性と統合と一貫性とを守り、思想・信条・原則を重視して仕事をすると、その人はトラブルを起こし、「わがまま」だと言われる。

日本の組織で成功するには、自分自身をさておいて、「立場」にふさわしい振る舞いをする必要がある。自分自身の考えや信条や信念や原則や関心や興味を、積極的に棄てて掛かることが大切である。そういう「真摯」な立場主義者の集積によって初めて、日本の組織は機能する。

上田氏は、アメリカ社会とは全く異なった日本社会で、”integrity of character”を要求するようなドラッカーを広めることはできないと直感した。ドラッカーをヒットさせるためのイノベーションが「真摯さ」という誤訳であった。

要するに、日本の組織では、自分の信念などは捨てて、立場にふさわしい振る舞いをしなければならない。「integrity of character(人格の統合)」を貫けばトラブルを起こし、わがままだと言われる。そう考えた上田氏は、そのまま訳したら日本では受け入れられないと考えて、「真摯さ」と誤訳したというわけです。

「人格の統合」という訳について

「integrity of character」 を「人格の統合」と訳すことは、一般的であるとは思えません。筆者は英語学者ではないため、100%間違いだと言い切ることはできませんが、そのような訳をする根拠を辞書などで見つけることができませんでした。

「integrity」には、すでに述べたとおり2種類の意味があります。人間の性質を表すのは「1. 道徳的な健全さ」のほうであり、「2. 完全性、全体」のほうは物事の状態について使うのが一般的です。

また、1.は単独で意味をなしますが、2.では「〇〇の統合」などと言葉を添えて表現しなければ意味をなしません。X氏の訳である「人格の統合」は、明らかに2.の意味に対応します。

しかし、ドラッカーは、節のタイトルで「integrity」と単独で用いており、節の本文でも、あるいは他の章でも、度々単独で用いていますから、単独で意味をなす1.のほうであると理解すべきです。

ですから、「人格の統合」という訳は、人間の性質を表す意味としても、「integrity」が単独で意味をなさないということからしても、適切な訳ではないと考えます。

それでもあえて、ドラッカーが「integrity of character」という表現を併せて使っているのは、大きく2種類の意味がある「integrity」について、人のcharacter(1.の方)に関する意味であることを強調するためであったと理解すべきだと考えます。

特徴的な例を一つあげると、第36章の「Integrity, the Touchstone」の節の中に、次のような文章があります。

Integrity may be difficult to define, but what constitutes lack of integrity of such seriousness as to disqualify a man for a managerial position is not.

(integrityを定義することは難しいかもしれないが、人がマネジメントの地位に就くことを失格とするような「まじめさとしてのintegrity」の欠如を構成するものを定義することは難しくない。)

日本語訳はあえて直訳しました。まず、冒頭で「integrity」が単独使用されています。

さらに、「integrity of such seriousness」という表現もあります。この「integrity」を、X氏の言うように「統合」と訳すと、「まじめさの統合」という訳になり、意味不明です。「まじめさとしての健全性」(まじめさに相当するものとしての健全性)などと訳すのが妥当です。

「integrity of character」は日本では受け入れられないとする意見について

X氏は、「integrity of character」は日本で受け入れられないと主張します。その理由として、日本の組織で成功するためには、次のようなことが必要だからだと言います。

日本の組織で成功するには、自分自身をさておいて、「立場」にふさわしい振る舞いをする必要がある。

自分自身の考えや信条や信念や原則や関心や興味を、積極的に棄てて掛かることが大切である。

そういう「真摯」な立場主義者の集積によって初めて、日本の組織は機能する。

この点について考えるには、ドラッカーが「integrity」に関連して語っていることを全体として理解する必要があると思います。なぜなら、ドラッカーが様々な書籍で述べているマネジメントやリーダーシップに必要な考え方や姿勢は、唯一絶対の資質である「integrity」と矛盾してはいけないはずだからです。

「integrity」の表れである基本的な仕事の姿勢としては、「自らのことではなく自らの役割について考えることができること」です。自分の個人的な主張や好き嫌い、自己保身といった感情に支配されないことです。

言い換えれば、「組織の目的に一致する目標を設定して仕事をなすこと」「自分よりもチームを優先すること」「自らを仕事の下に置くこと」などです。

これらのことは、逆に、日本の組織で成功するために必要なこととしてX氏が語っていることと一致するのではないでしょうか。日本の組織でこそ「integrity」が求められてきたのではないでしょうか。

むしろドラッカーは、日本の組織における成功から、「integrity」の重要性を見出したのではないかとさえ思えてしまいます。

言語学者の解釈による補足

筆者が勝手に解釈していると思われてもいけませんので、言語学者の解説で補足しておきたいと思います。

上智大学の英語学者であった故・渡部昇一先生の説明を引用します。スマイルズの著書『品性論(character)』の解説に基づきます。(出典:『日本人の本能』PHP研究所)

スマイルズは、個人の「character」(品性)について、「人類最高の実現」、「人間性を最高に体現したもの」と表現しており、高い品性とは、次のような諸性質を実践することにより養われるとしています。それぞれの単語の日本語訳は、渡部昇一先生によるものです。

  1. truthfulness(真実)
  2. chasteness(品行の良いこと)
  3. mercifulness(慈悲深いこと)
  4. integrity(ごまかしのないこと)
  5. courage(勇気)
  6. virtue(美徳)
  7. goodness(善良さ)

4つめに「integrity」があります。人の「character」を養う性質の一つに、「integrity」(ごまかしのないこと)があるということです。

これをドラッカーの「integrity of character」に当てはめると、人の「character」(品性)を形づくるものとしての「integrity」(ごまかしのないこと)」ということになります。「ごまかしのないこと」は、一般的な訳である「誠実さ」に相当すると考えてよいでしょう。

X氏は、「integrity of character」を「完全無欠な人格」や「統合され、一貫した人格」などと訳しています。このような訳をするのは、「of」という単語の使い方を「目的格関係」であると解釈しているからです。つまり、「integrity」を動詞的な意味に訳して、その目的語が「character」であると解釈しているわけです。

この解釈が間違っていると思います。そのように解釈すると、「integrity」を単独で使うことができないからです。目的語に当たる単語がない状態で、単独で使っても意味が通じません。でも、ドラッカーは、多くの場所で、単独で使っているのです。だから、単独で意味が通じなければなりません。

そのように考えると、この「of」は、「所属」を意味する用法であると解釈すべきです。つまり、「character」に属するものとしての「integrity」、人間の「character」を構成する性格の一つとしての「integrity」です。

ですから、上の例では、「integrity of character」、「truthfulness of character」、「chasteness of character」などと表現できるわけです。characterに7つの性質があるということです。

渡部昇一先生は「integrity」に「ごまかしのないこと」という訳を当てられています。ドラッカーの訳者である上田氏は「真摯さ」という訳を当てられました。この2つの訳を比較しても、誤訳とするのは当たらないと思います。

人間のcharacterの構成要素としての「integrity」については、ドラッカーやスマイルズが言っているだけではありません。

例えば、リーダーシップ論で著名なジョン・C・マクスウェルの著書『The 360 Degree Leader』(邦訳見当たらず)では、リーダーの人格(character)を構成する9つの要素をあげており、その筆頭が「integrity」です。

マクスウェルは、9つの要素の一つひとつに説明を付していますが、「integrity」に対しては「builds relationships on trust」(信頼に基づいた関係を構築する)と説明しています。この場合の「integrity」は「誠実」と訳して問題ないと思います。