管理職位の性質と能力 − バーナードの組織論㉒

管理職位は複雑な道徳性を含み、高い責任能力を必要とし、活動状態のもとにあり、そのため、対応する一般的、特殊的な技術的能力を必要とします。

さらに、人々のために道徳を創造する能力が要求されます。

複雑な道徳性

管理職は誰でも、自分の職位とは無関係に個人的な道徳準則を持っています。

人が管理職位に置かれると、その組織の準則が付加的に課せられます。組織準則は、主として無形の諸力、影響力、慣行などから生じます。

産業組織において管理者が従わなければならない組織準則には、まず、会社に適用される国家の法律などがあります。

その公式組織に特有のものとして、確立された客観的権威体系を含めて一般目的ならびに一般方法、部門の一般目的、部下の一般的道徳(倫理)標準、全体としての技術状態、部門全体の技術的要求などがあります。

非公式組織に関わるものとして、非公式管理組織の準則(管理者としての行動は、その構成員が理解するような紳士の行動たること)、「組織全体のため」という言葉に示されている準則、部門の非公式組織の準則などです。

道徳性の複雑さは、管理職に限らず、専門職にも課せられます。それらの準則は主として非人格的なものなので、多くの場合、私的な準則が関連しなくても遂行できます。

しかし、時には行動や要求が私的道徳と切り離せないこともあります。ここに対立が起こると、個人道徳に反するか、管理者的ないし専門職的義務に反するかの選択を迫られることになります。

管理職位には高い責任能力が必要です。責任能力とは、準則に反する直接的衝動、欲望あるいは関心に逆らい、準則と調和する欲望あるいは関心に向かって、道徳準則を強力に遵守する能力です。

この能力の一面を表す一般的な言葉は「信頼性」であり、その人の準則、すなわち性格を知れば、いろいろな事情のもとでその人がおそらくすること、しないことを正しく予見できるということです。

低い地位と高い地位との間の主な差異は、責任能力ではなく、道徳的な複雑性の程度にあります。職位が高くなるほど多くの責任が課されますが、より大きな責任感が要求されるわけではありません。

活動量の大きさ

一般に、管理職能の状態は、大なる活動量を必要としますが、職位が高くなればなるほど、各方面から課せられる行為にますます多く直面するようになります。そこには意思決定を必要とします。

一般的、特殊的な技術的能力

責任能力は、管理階層で一定です。職位の領域が広くなるに従って活動が増大する傾向は、ある程度統制可能です。

しかし、道徳状態が複雑になることは統制不可能です。管理職位が高くなり、領域が広くなるに伴って、諸活動は統制されたとしても、道徳性の対立から生じる意思決定過程の負担が増大します。

高い責任感がある場合、状況の戦略的要因をより正確に決定し、それによっていかなる準則にも反しない正しい行為を発見するために環境をさらに分析することによって、解決を図ろうとします。一般目的と合致する新しい細部目的を採用することによって、解決を図ることもできます。

いずれの解決方法も、責任のうちの「決断」の側面を表現するものですが、前者は識別能力や分析能力を問い、後者は想像力、工夫力および革新力を問うています。これらの能力が、管理職能に伴う道徳的な複雑性に耐え得るために必要です。

ただし、必要な能力があっても、道徳性の複雑さが適度な状態であり、高い責任感がなければ、首尾一貫しない便宜主義が入り乱れて収拾がつかなくなります。いわゆる「不適任」です。

必要な道徳性と責任感があっても、対応した能力がなければ、致命的な不決断あるいは感情的で衝動的な意思決定に陥り、人格の崩壊と責任感の破壊が生じます。

管理者がしばしば失敗することがあるのは明らかです。ほとんどの場合、能力が不十分なためです。その結果、通常、責任が破壊されます。しかし、それも道徳的な複雑性と解決できないような道徳的な対立がその状況から生じることが多いためであると考えられます。

組織全体のために当然に必要だと思われる行為の中には、明らかにほとんどすべての他の個人的な準則あるいは管理者としての準則に反することもあると考えられます。

典型的な例は、組織全体のために行動するという準則に従うため、組織内部で行われた不正な行為を隠蔽することです。このような行為は、管理者としての準則と個人的な準則の双方を含むいくつかの準則を侵すことになるでしょう。

失敗があったときに組織行為が介入しなければ、責任感の破壊、準則の破壊、より単純な道徳水準になるかのいずれかです。このような場合の解決策は、辞職、降等あるいは解雇であり、それによって活動性、道徳的複雑性、能力の要求が軽減されます。

道徳の低下と個人的責任感の喪失は、一般の人よりも管理者にしばしば生じると思われます。道徳状態の複雑さと避けがたい過重負担が原因です。道徳上の困惑あるいは不健康から生じる能力の喪失のいずれかによって、人格の崩壊が生じる可能性があります。

人々の間の協働を維持しようとする闘いは、戦闘が人々を肉体的に殺傷するのと同じように、ある人々を道徳的に破滅させることが避けられないのかもしれません。その原因は、責任感のなさや道徳性の低さではなく、能力以上の昇進にあると思われます。

第一の資格として、能力よりも忠誠心を基準として人の選任が行われている組織が存在します。その不可避的な結果は「裏切り」などとなります。その理由も、元々個人的に不誠実であったのではなく、正直な解決を見出す能力がないからです。

道徳準則の創造

管理責任は、複雑な道徳準則の遵守だけでなく、他の人々のための道徳準則の創造をも要求するということを特色とします。

組織内におけるモラールの確保、創造、鼓舞などが最も一般的に認められているものです。これは、組織ないし協働体系と客観的権威の体系に、考え方、基本的態度および忠誠心を教え込む過程です。

それによって、個人的利害や個人的準則の重要でない指令を、協働的全体の利益に従属させることができるようになります。この過程には、技能標準の遵守といった道徳性を確立することも含まれます。

道徳的創造性の職能として、組織情熱に関する側面などはよく認識されています。誘因の経済、特に組織に必要な諸力を獲得する場合に用いられる説得の方法がそれに含まれます。

道徳的創造性についての失敗は、注意力の不足、怠惰な人間性に負けた持久力の欠如、目的追求の純粋さの欠如などから起こります。

道徳的創造性には、道徳的対立を解決するための基礎を工夫する側面もあります。例外事例の処理がこれに当たります。この機能が作用するのは、ある見地からは正しいが、他の見地からは誤りと思われる場合です。

このような場合の解決策は、対立を避ける新しい措置を代わりに持ってくるか、例外とか妥協に道徳的正当性を与えるか、のいずれかです。前者は「行政的」で、後者は「司法的」です。

組織では、いろいろな準則間の対立は免れません。対立の大部分は代替行為によって解決され、それは主として技術的決定の問題です。

しかし、狭義における技術、組織準則、および個人準則などの要求するところがどうしても対立矛盾することは少なくありません。そのため、管理職能の遂行では司法的な過程が伴います。

管理的見地から見た司法的過程は、道徳準則の遵守を確保するために、目的の変更、再規定または新しい特定化を道徳的に正当づける過程です。一つの終局的な効果は、行動準則の精緻化と精錬です。

モラールを保持するために必要な解釈や仮説を工夫できるかどうかに、責任および能力が厳しく問われます。

それが健全であるためには、管理者から見て正しいだけでなく、各個人にも受け入れられる必要があります。すなわち、全体の道徳性とともに、各個人の道徳性とも真に調和しなければなりません。

管理者の創造職能の性質

管理者に要求される組織的決定において生じる道徳の対立は、多くの場合、組織準則内のことであり、個人準則は直接には関係しません。比較的客観的で技術的な問題として取り扱うことができます。

しかし、創造的道徳性が問題であるときは、個人的責任感(誠実感ならびに廉直感)が端的に強調されるので、組織のためにすることが正しいのだという個人的確信に基づかざるを得ません。

全体としての創造的職能がリーダーシップの本質であり、管理責任が最高に問われるところです。創造職能を立派に達成するためには、リーダーの見地から見て個人準則と組織準則とが一致しているという確信が必要です。

この職能は、組織の構成員や基底にある非公式組織に確信を与えて同化する作用です。また、組織に進んで貢献する人々に、組織に定着したいと思わせる不可欠の要因です。これは組織の存続条件です。