誘因(インセンティブ)の経済 − バーナードの組織論⑩

組織が維持されるための本質的要素は、人々が快くそれぞれの努力を協働体系へ貢献しようとする意欲です。

自己保存や自己満足という利己的動機は支配的な力を持っていますから、組織は、通常、これらの個人的動機を満足させるときに存続することができます。

個人の動機を満足させるために、組織が個人に提供できるものが「誘因(インセンティブ)」です。これが個人を組織に誘引し、協働体系に貢献しようとする意欲を引き出します。

したがって、あらゆる組織において、適当な誘因を提供することが、その存続上最も強調されなければならない任務となります。

誘因の二側面

個人が組織に貢献しようと思うのは、貢献に伴って個人が被る不利益(負担)に対して、受け取る利益(満足)が上回るときです。利益から不利益を引いたものが「純利益」または「純満足 」です。

純利益を増加させるためには、積極的誘因(個人の貢献に対して受け取る利益または満足)の数あるいは強度を増すか、消極的誘因(個人の貢献に伴う負担または不利益)の数あるいは強度を減らすかのいずれかの方法によることになります。

雇用の場合のごく単純な例としては、支払う賃金を増やすか、あるいは労働時間や作業負担を減らすかです。

ある一つの取り組みが、積極的誘因と消極的誘因のどちらかにだけ影響を与えることはむしろ少なく、両方に影響を与えることが一般的です。

誘因には、客観的側面と主観的側面があります。貨幣的報酬、作業時間、作業環境などは客観的なものです。ある客観的誘因の組み合わせが提示されたときに、組織に誘引されるかどうかは、個人の主観によって異なります。

ある人が要求する客観的誘因の組み合わせを提供できないとき、その人の貢献を誘引できないことになりますが、その人の心的状態や態度や動機を変えることができれば、組織にとって利用可能な客観的誘因で誘引することができるようになることもあります。

バーナードは、客観的誘因を提供する方法を「誘因の方法」と呼び、主観的態度を変化させる方法を「説得の方法」と呼びます。

どちらの方法も、工夫を怠れば短期間のうちに効果が薄れていきます。

誘因の方法

「誘因の方法」には、特定の個人に提供される特殊的なものと、個人的なものではない一般的なものがあります。前者を「特殊的誘因」、後者を「一般的誘因」と呼びます。

「特殊的誘因」には、物質的誘因(報酬として支払われる貨幣など)、個人的で非物質的な機会、好ましい物的条件、理想の恩恵などがあります。

「一般的誘因」には、社会結合上の魅力、状況の習慣的なやり方と態度への適合、広い参加の機会、心的交流の状態などがあります。

人間には衣食住の生理的必要があるため「物質的誘因」が不可欠ですが、最低限の必要が満たされると、それ以上の物質的誘因の力は弱くなることが分かっています。

ただし、貨幣に関しては、生理的必要だけでなく、様々な非物質的動機にも関わっています。報酬額が、社会的ステータス、社会的承認、栄誉などの象徴になったりするからです。

「個人的で非物質的な機会」とは、優越、威信、個人勢力および支配的地位獲得の機会などです。生理的必要が満たされた後の協働への誘因として非常に重要です。

威信が抑圧されるような場合、たとえ所得が多くなっても、誘因として作用しません。優越が保証されるなら、少なくとも短期間は低い所得が受け入れられることがあります。威信や優越には、通常、象徴として物質的報酬が伴うことが期待されます。

「理想の恩恵」とは、個人の理想を満足させること意味します。それは非物質的、将来的または利他主義的なもので、誇り、適性感、家族または他の者のための利他主義的奉仕、愛国主義、組織への忠誠、美的ならびに宗教的感情なども含まれます。

「社会結合上の魅力」とは、人間関係の調和のことです。組織の社会的状況に不満足なら、他の誘因の効果は期待できません。調和がなければ伝達が機能せず、組織の必要条件さえ満たさなくなります。

「状況の習慣的なやり方と態度への適合」とは、作業条件や方法、態度などに組織上の習慣があり、それらに適合できることです。適合できなければ「よそ者」や「新参者」といったレッテルを貼られ、他のメンバーに拒絶され、本人もうまくやれません。

「広い参加の機会」は、協働体系における事態の経過に広く参加しているという感情を満たす機会です。協働的努力が重要な価値を生み出しており、その努力に自らも貢献しているという感情的満足です。

「心的交流の状態」とは、社会的調和に関わる安らぎの感情で、連帯性、社会的統合感、群居本能、社会的安定感などです。仲間意識の機会、人間的な相互扶助の機会です。非公式組織の基礎になります。

人を動かす誘因またはその組み合わせは、個人によって異なり、時によっても変化します。人の欲求は不安定だからであり、人が置かれている環境が不安定であることを反映している面もあります。

説得の方法

組織は、通常、人々を協働的努力に誘引できるだけのあらゆる誘因を十分に提供することができるわけではありません。

それでも組織が存続するためには、組織によって適用可能な誘因が適当となるように、多くの人々の欲求を説得よって変化させなければなりません。

説得の方法には、強制、機会の合理化、動機の教導があります。

「強制」は、組織に対する個人の貢献を獲得するためだけでなく、排除するためにも用いられます。排除は、組織の能率を維持するために用いられるほか、「見せしめ」の恐怖によって残った人々から貢献を引き出すための説得の方法としても用いられます。

ただし、強制は、職業選択の自由が保証され、十分な雇用機会が存在する状況においては、説得の手段として効果的ではありません。

「機会の合理化」は、宣伝によって、協働体系への参加の機会が合理的なものであることを説得することです。協働体系の意義を宣伝する「一般的合理化」と、特定の人々に対して「あなたがたのためになる」と宣伝する「特殊的合理化」があります。

「動機の教導」は、動機を教え込むことです。宣伝が使われることもありますが、特に若者に対しては教育が使われます。

教育で触れられる宗教的動機や愛国主義的動機は、その分野での協働体系への貢献の説得の手段として機能します。物質的繁栄が人類に貢献していることが教育で触れられると、企業などにおける協働への参加のための説得の手段になり得ます。

以上のような説得の方法は公式的であり、これらと結びつく非公式で間接的な方法もあります。教訓、垂範、暗示、模倣と対抗、習慣的態度などです。これらも個人の動機や感情に影響を与えます。

誘因の経済

物質的誘因を主として提供する組織は、支出する物財以上の物財を獲得することができなければなりません。これが成り立つとき、物質的誘因は経済的であると言えます。

この原則は、他の誘因に関しても当てはまります。あらゆる誘因を提供する可能性は限られており、普通は十分ではありませんから、最大の経済性が求められます。

物財を生産する産業組織では、人々の努力を物的環境に適用して、物的生産物を獲得します。人々に努力を供給してもらうために、その交換として提供する誘因も物財であるとすると、物的生産物の一部がその誘因として支出されることになります。

この場合の支出量が、生産量よりも小さければ、組織は存続することができます(ただし、その他の支出は無視しています)。

このような状態が成り立つかどうかは、経営環境の困難さ、組織努力の有効性、組織の内的能率、誘因の支出量という4つの要因の総合効果によって決まります。これらの要因は相互依存的です。

多くの場合、環境的条件、有効性および能率には限界がありますから、限られた物質的誘因が許されるに過ぎません。

実際のところ、有効性と能率の実現には、物質的誘因によっては引き出すことができないほどの個人的エネルギーを提供してもらうことが必要です。

そこで、実際には他の誘因も提供される必要がありますが、そのために一定程度の物質的支出を伴います。例えば、 個人的で非物質的な機会を提供するために、象徴的な物財(絨毯、大きな机、ソファーなど)を伴ったり、社会結合上の魅力を提供するために、物理的な交流の場を設けるなどです。

ですから、物質的見地から決定される最も能率的な誘因の組み合わせを見出すように、種々の誘因の方法について選択し、重点の置き方を決定することが必要になります。

非物質的誘因は、物質的誘因のような配分調整が困難で、相互に対立矛盾することもしばしばです。例えば、ある人に対する個人的威信の機会は、同時に他の人の相対的な威信の低下を伴います。

そのため、人によって重視する度合いが異なる機会同士を、個別に融通し合うことが必要になります。

しかし、このような調整は非常に困難であるため、説得の方法が不可欠になります。もちろん、説得にも一定の物質的支出(余分な人件費など)が伴うことを避けられません。

以上のように、組織において必要な貢献を獲得し、維持していくためには、いくつかの誘因とある程度の説得が共に必要です。

誘因提供の手段を獲得し、誘因の対立を避け、効果的な説得努力をすることは、元々が困難ことであり、デリケートな問題でもあります。そのため、先立って誘因体系を決定できることは稀であり、実行しつつ徐々に調整し、発展させる必要があります。

誘因体系は、おそらく協働体系の要素のうちで最も不安定なものです。外的環境が絶えず物質的誘因の可能性に影響を与えるからであり、人間の動機もまた非常に変動的だからです。

このような不安定な誘因体系に適応しようとするとき、組織は成長を求めます。成長は、威信、社会結合の誇り、共同体の満足など、あらゆる種類の誘因を実現させる機会を提供すると考えられます。

しかし、誘因の機会を拡大するために過度な成長を求めると、逆に組織の有効性と能率に悪影響を与え、誘因の経済を乱してしまうおそれがあります。

さらに、組織が必要な人員を充足するときに、望ましい貢献者のみを受け入れ、かつ、貢献の価値に応じて誘因を分配できるように、差別的誘因を維持することが不可欠になります。