産業人の未来

本書はドラッカーの2作目に当たります。社会に関わる基本的な理論の発展を目指した著作です。1940年にその中核が執筆され、1942年に出版されました。第二次世界大戦の最中にあった時代であり、ドラッカーはまだ32歳という若さでした。

本書では、2つの社会理論を明らかにしています。社会についての一般理論と産業社会についての特殊理論です。「一般理論」とは、社会が機能し、かつ正統性をもつための条件です。「特殊理論」とは、一般理論を産業社会に適用しようとするものです。

この場合の「正統性」とは、高次の規範、責任、ビジョンを根拠とする社会的認知によって正当化される権力のことです。権力が正統性をもつためには、高次の基準によって律せられ、責任を伴い、明確な目的をもって社会に奉仕するためのものでなければなりません。かつ、社会によって容認されるものでなければなりません。

本書は、新保守主義に立つものではなく、伝統的な保守主義に立つものです。ドラッカー曰く「新保守主義」とはかつての左翼であり、19世紀のマンチェスター学派(経済的自由主義、特に自由貿易を主張した一群の急進主義者)そのものです。

ドラッカーは度々指摘しますが、経済や経済学というものは、単独で存在する意義はなく、中心に置かれるべきものではありません。中心に置かれるべきものは、人によって構成される社会です。社会に奉仕するものとしての経済でなければなりません。そのような立場をとるのが「保守主義」です。

保守主義にとって、社会は常に多元的な存在ですから、何か特定の領域を絶対視することはありません。ですから、経済を絶対視することもありません。社会は多元的な領域によって成り立っているので、それらのバランスをとり、均衡をもたらすのが、政治の役割です。特定の学問上のイデオロギーを純粋に追求しても、現実社会の成立、存続とは関係ありません。

政治がその役割を果たすためには、社会が十分に機能するものとなっていなければなりません。「機能する社会」とは、その構成員である一人ひとりの人間が、社会的な「位置」と「役割」を与えられ、権力が「正統」なものとして受け入れられている社会です。この点が、本書の主要なテーマです。

産業社会でも、それぞれの組織が、一人ひとりの人間に「位置」と「役割」を与えることができなければなりません。人間に「位置」を与えるものとは、人間の存在自体を受け入れ、人間に居場所を与えるものであり、それが「コミュニティ」です。人間に「役割」を与えるものが「社会的機関」、すなわち社会に対して一定の意義ある役割を果たすための機関です。組織は社会的機関であるだけでなく、コミュニティでなければなりません。

なお、執筆当時は産業が発展していた時代であり、組織の中心として企業が念頭に置かれていました。つまり、「産業社会」とは「企業社会」を想定していました。その後、ドラッカーは、公的機関や非営利機関を含めた広い意味での「組織」をとらえるようになりました。

産業社会の行方

第二次世界大戦は産業が主役でした。そこからドラッカーは、来るべき平和の時代は「産業社会」、すなわち、産業が中心に位置する時代であると明言しました。

そして、この戦争が、産業社会の構造、原理、目的、組織を決すると言いました。軍隊組織に社会の未来が現れているということであり、その姿が「産業社会」です。

ドラッカーが本書で目指すのは、その産業社会を「自由社会」として構築する方法です。ドラッカーの掲げるテーマは常に、いかにして社会において「自由」を獲得するかということです。

第二次世界大戦から見える産業社会の行方について詳しく知りたい方は、次の記事を参照してください。

機能する社会とは何か

ドラッカーの当時の問題意識は、産業としては機能していても、社会的、政治的には、文明、コミュニティとして機能していないということでした。つまり、人間が人間らしく存在し、役割や位置を得られるような「社会」と呼べる状態にはなっていなかったということです。

社会として機能するためには、価値、規律、正統な権力、組織を備えていることが必要であるとしました。社会的動物としての人間の生活は、そのような社会なくしてはあり得ません。

機能する社会に必要なものについて詳しく知りたい方は、次の記事を参照してください。

19世紀の商業社会

19世紀の西洋文明においては、すでに産業が中心となっていましたが、社会そのものは商業社会でした。あるいは、商業を中核にもつ田園社会でした。

商業社会について詳しく知りたい方は、次の記事を参照してください。

産業社会における権力の正統性

産業社会の特徴は、大量生産工場と株式会社です。

株式会社の権力の基礎は、市民によって委任された財産権です。株式会社の憲法に当たるものが「定款」です。社会契約説でいうところの「社会の形成とその正統化」および「統治の成立とその正統化」が、そこに明記されます。

株主の主権は、引き渡した財産権に応じて維持され、それが権力の正統性の基盤になります。権力の実質は経営陣に移行しますが、株主の主権が経営陣の権力を生み、同時にその権力を制限し、制御します。その範囲の権力のみが正統です。

産業社会における権力の正統性について詳しく知りたい方は、次の記事を参照してください。

ナチズムの試みと失敗

産業社会において、経済人の理念が人間に自由と平等を与えることに失敗した結果、ドイツにおいてナチズムが台頭しました。

ナチズムは、経済活動とは無関係の組織をつくり、個々の人間に財産や収入など旧秩序における地位とは無関係の位置と役割を与え、経済的不平等を社会的平等によって補おうとしました。人びとは自由を廃棄する代わりに、機能する産業社会を構築するかに見えました。

ナチズムがなそうとしたことについて詳しく知りたい方は、次の記事を参照してください。

自由な社会と自由な政府

ドラッカーが人間の自由を論じるに当たっては、社会の成員としての人間であり、社会を離れての人間はないという前提です。

ただし、あくまで自由は個人に属するものです。この前提を崩すと、人間が社会の成員である以上、少数派の自由に対する多数派の自由の優位、弱者の自由に対する強者の自由の優位、さらには全体主義への帰結が必然です。

自由の意味とその自由が実現する社会や政府の意味について詳しく知りたい方は、次の記事を参照してください。

ルソーからヒトラーにいたる道

歴史や政治の本によれば、自由のルーツは啓蒙思想(理性による文明の進歩を目指す)とフランス革命にあるとされています。

しかし、ドラッカーによれば、これらが自由に与えたのは、むしろ悪影響です。理性主義リベラルこそ全体主義者であり、そこから生まれたフランス革命も全体主義をもたらしました。

啓蒙思想は人間の理性が絶対であるとし、ここから、その後のリベラルな信条が生まれ、さらにはルソーに始まるあらゆる種類のファシズム全体主義の信条が生まれました。理性主義リベラルの完成形がヒトラーです。その過程について詳しく知りたい方は、次の記事を参照してください。

1776年の保守反革命

アメリカの独立とフランス革命は同じ理念に立つと言われることがありますが、ドラッカーは、これを歴史の完全な歪曲であると指摘します。

フランス革命は、理性主義による絶対王政への反乱であり、その結果は全体主義的な恐怖政治でした。しかし、アメリカの独立は、理性主義に対する自由のための保守反革命でした。

保守反革命としてのアメリカ独立とヨーロッパへの影響について詳しく知りたい方は、次の記事を参照してください。

改革の原理

政治に理念は必要ですが、その理念を現実の制度に移すことができなければ機能する社会をつくることはできません。そのための道具が権力です。

ドラッカーは、機能する産業社会と自由が成立するための条件を挙げ、政治的権力に対置される社会的権力として、企業を想定しました。詳しく知りたい方は、次の記事を参照してください。