経営科学が抱える問題

経営科学は、ORを筆頭に、マネジメントを定量的かつ精緻な科学にしようとしてきました。推測を確実性に、判断を知識に、経験を事実に置き換えようとするものでした。

経営科学者は、自分たちがマネジメント上の意思決定を行うようになると思っていたと言います。

経営科学はツールに過ぎません。しかし、ツールとして大きな貢献を果たすことができます。しかしながら、経営科学にはマネジメントの期待を裏切っている面があると言います。

経営科学が期待を裏切っている理由

部分の効率に重点を置いている

企業とは、共同の事業に対して自らの知識、スキル、心身を投ずる人たちからなる高度の有機的なシステムです。したがって、部分の改善や効率化が全体の改善につながるとは限りません。部分最適が全体を害することさえあります。

重要なことは、部分の効率ではなく、成長、均衡、調整、統合の結果としての全体の成果です。

原理ではなく手法に、意思決定ではなく手段に力を入れている

科学とは定量化であると素朴に考えています。計算の道具になっています。

経営科学は、最終目標としてリスクをなくすこと、最小にすることに力を入れている

経済的な活動とは、現在の資源を不確かな未来に投入することです。事実ではなく期待に投入することですから、リスクは本源的なものです。リスクを冒すことこそ基本的な機能です。

経済的な進歩とは、リスクを負う能力の増大であるとも言えます。ですから、リスクをなくしたり、最小にすることは、最大のリスクである硬直化のリスクを冒していると言えます。

原因は、経済活動を、責任を伴う自由裁量の世界としてではなく、物理的に確定した世界とみなしていることにあります。経営科学の前提は、研究対象の真実と矛盾していることになります。

経営科学誕生の経緯に問題がある

あらゆる学問は、対象の定義からスタートします。次いで、その対象の研究に必要なコンセプトと方法論を生み出します。

しかしながら、経営科学は、他の学問が開発したコンセプトと方法論を借用することからスタートしました。物質を研究するための数学的な手法のいくつかが、企業活動の世界にも適用できるかもしれないという発見に有頂天になったあげくにスタートしたと言います。

ですから、関心は道具にしかありませんでした。目的としての成果はいつも外にあるにもかかわらず、それを明らかにしていないために、成果をあげるための道具になっていません。道具が目的になっています。

経営科学者にとって必要な姿勢

独立した真の学問としての自覚

あらゆる学問の原則に従って、対象とする領域を定義し、包括的かつ一貫した公準(基本的な前提となる命題)を形成することが必要です。

定義は、対象とする領域に対して科学的な方法論を適用する前に行う必要があります。

定義には、企業とは人からなるシステムであるとの理解が含まれる必要があります。現実のマネジメントの前提、目的、考え、間違いさえも、基本的な事実とならなければなりません。それらが企業の現実であり、成果を決めるものだからです。

自らの対象たる企業に正面から対峙すること

経営科学の主たる目的は、リスクをなくすこと、最小にすることではなく、正しい種類のリスクを冒せるようにすることです。いかなるリスクがあるか、それらのリスクを冒したときに何が起こりうるかを教えるものでなければなりません。

経営科学が公準とすべきもの

企業とは社会的、経済的な生態システムの一員である

企業は、最強最大のものであってさえ、社会や経済の力によって容易に消滅させられる存在です。社会の下僕にすぎません。

一方で、最弱最小であっても、社会や経済に直接の影響を与えることができる存在でもあります。

企業は、人が価値ありと認めるものを生み出す存在である

企業は、単に物や考えを生み出す存在ではありません。何らかの物理量を最大化することに意味があるわけではありません。

顧客が価値を認めなければ、何を生み出しても意味はありません。

企業は測定の尺度として特有のシンボル、すなわち金を使う

金は、抽象的であると同時に、具体的でもあります。様々な経済的要素を共通に表現できる一般的で普遍的な尺度でありながら、実務的で管理可能な尺度であると言えます。

経済的な活動とは、現在の資源を不確かな未来に投入することである

事実ではなく期待に投入することですから、リスクは本質です。

ドラッカーの言うリスクは、統計学に言うリスクとは趣きが異なります。リスクとは、異質の出来事、元に戻すことの不可能なパターンの定性的な変化です。

リスクについて詳しく知りたい方は、次の記事を参照してください。

企業は、産業社会における変化の主体である

企業は、周囲の状況を所与として、一定の機械的な活動で何かを生み出すような存在ではありません。新しい状況に適合する進化の能力を持つと同時に、周囲の状況に変化をもたらす革新の能力をも持ちます。