スキャンロン・プランの代表的な成功例として知られるラプェント工作機械会社は、マサチューセッツ州ハドソンにある小規模な工場で、従業員は350名ほどでした。
労使関係はどこにでも見られるようなありきたりのものでした。互いに相手を信用せず、時にはそれが悪意にまで発展する恐れがありました。
労働者は仕事にやる気がなく、製品の不良や納期遅延が度々生じたため、顧客が離れ、雇用も減少していました。
そのような会社の窮状に危機感を募らせた労働組合支部長と会社の副社長が、スキャンロンに支援を求め、スキャンロン・プランの導入によって会社の再建と成長に成功しました。
会社の窮状
同社では、出来高インセンティブ制を導入し、工場労働者を動機づけようとしていましたが、賃率の設定が仕事に応じて公正に定められているとは言えず、悶着が絶えませんでした。
賃率が寛大に定められた仕事に従事する労働者は、多額の割増金を稼ぎながらも、賃率を切り下げられないように生産を手控えていました。
賃率が厳格に定められた仕事では、ほとんどの労働者が割増金を稼ぐことができませんでした。
出来高インセンティブ制が適用されなかった間接労働者には、不満が鬱積していました。
多くの労働者は、よい仕事をしようなどと考えず、自分たちが作っている製品の品質や企業の成功・失敗に関心を持っていませんでした。
その結果、生産の遅延が度々生じ、欠陥率も高く、製品の引き渡し状況も不良でした。そのため、多くの得意先は他社の類似品を求めるようになり、それにつれて雇用も減っていきました。
労働者だけでなく経営者も、全員が勝負を投げている状況であったといいます。
そのような状況の中で、1945年に統一鉄鋼労組によって組織され、戦後の賃上げ闘争で全国ストライキに参加しました。
会社の訴えによって裁判所からストライキ禁止命令が出され、ストライキは終わったものの、不景気の最中で、労使関係は改善されないままでした。
その頃、当時の組合支部長であったジャック・アリーが、ジョン・チェンバーレンによる論文を通して、スキャンロン・プランのことを知りました。
彼は、副社長のエドワード・M・ダウドと共にMITのスキャンロンを訪ね、支援を請いました。
スキャンロンの支援のもとで労使は協議を行い、経営者は組合に干渉しないと約束し、組合は経営と協働することを約束しました。
その後、幾度かの会合や調査が行われ、労使の話し合いを重ね、団体協約の改定して、1947年12月からスキャンロン・プランを導入することになりました。
成果配分の方式
ラプェント社では、成果配分方式を決定するために労使合同の委員会を設け、繁栄と不況の時期を含む数年前の労務費とコストの調査研究を行いました。
その結果、総生産価値(返品や値引きを考慮した売上高に、生産在庫増分の価値を加えたもの)に対する労務費の割合を指標として選びました。
過去の標準的な年度において、その指標の値を具体的に計算し、基準値(目標値)としました。
労働者が様々な改善提案によって労務費の節約に努め、この指標が基準値よりも改善したら、その改善分に相当する金額が、労働者に賞与として分配されました。
賞与は、改善提案をした労働者だけでなく、プランに参加するすべての従業者(経営者や管理者を含む)に分配されるのが原則ですが、ラプェント社の場合、トップ層の経営者は独自の賞与制をとっていたため、分配に参加しませんでした。
指標の実績値は毎月算出・評価され、賞与も毎月分配されます。指標の改善以外の経営努力によって利益が増えた分は、会社の取り分になります。
基準値の変更
賃金相場の変動によって、労働組合が賃上げを要求する場合は、基準値の見直しについて検討する必要があります。
賃上げの場合でも基準値を据え置くとすれば、賃上げに見合うだけの製品の値上げを行うか、賃上げを相殺できるだけの生産性向上を行うか、のどちらかになります。
ラプェント社では、製品の値上げを行うことができなかったため、基準値を据え置き、生産性の向上によって賃上げ分を相殺するよう努力することになりました。
この考え方を労働者側が受け入れた理由は、この場合の生産性向上の受益者は顧客であり、その代償として、より安定した仕事と利潤が会社に戻ってくることを理解したからでした。
不況によって売上が低迷すれば、赤字になることもあります。このような場合、指標は悪化すので、賞与は支給されません。通常であれば、会社が赤字を負担することになります。
ラプェント社では、労働者が日頃から参加のおかげで経営状態をよく把握していたため、赤字をすべて会社に背負わせるのは公正ではないと考えました。
協約には規定されていなかったものの、自発的に基準値の修正を受け入れ、最終的な取り決めとして、会社側が毎月の賞与の15%の半額を積み立てることになりました。
積立金は、実際給与額が基準値から算出される労務費を上回る月に取り崩されます。年度末に積立金の残額があれば、その時点で労働者に分配されます。
積立金の動きを通して、事業経営に関するよりよい見通しを得ることができるようになり、積立金を減らしたくないという動機から、労働者に赤字を回避するインセンティブが働くようになります。
提案制
スキャンロン・プランによる生産性向上は、仕事を効率化する方法に関する労働者からの提案を実施することによってもたらされます。
これらの提案は、少なくとも月2回開催される「生産委員会」と呼ばれる職場の委員会によって処理されます。
生産委員会は、工場現場の5部門、事務部門、技術部門のそれぞれに一つずつ、計7部門に分かれて設置されました。
生産委員会は労使代表で構成され、使用者代表は部門の職長もしくは監督者です。労働者代表は、部門の労働者が選挙して選びました。
労働者代表はいつも職場で働いており、労働者は誰でも容易に接触し、提案を伝え、生産委員会に諮ってもらうことができました。
生産委員会の各委員は、実際に提案を提出した者を委員会に同席させることができました。これによって参加の幅を広げ、かつ提案者が自分でその内容を説明することができました。
生産委員会は、他部門に関係したり、巨額の支出を伴ったりする提案を除き、どのようなものでも実施に移す権限を与えられました。
生産委員会で取り上げられた提案は、実施に移されたもの、労使の意見が相違したもの、他部門に関係するため処理できなかったものについて、すべて記録されました。
生産委員会の上には、いろいろな部門の労使代表で構成された「審査委員会」があり、生産委員会で議論されたすべての提案が報告され、生産委員会で処理されなかった提案を検討します。
すべての提案は丹念に検討され、記録されますが、その実行可否を最終的に決定する権限は、経営者に留保されました。
採択された提案については、委員の中の誰かを選んで、実施をフォローアップさせました。却下された場合も、委員の誰かが提案した労働者に、却下された理由を詳しく説明します。
採択され、実施された提案に、個人報賞は与えられませんでしたし、それを望んでもいませんでした。個人報賞は、労働者の間に対抗意識と悪意を引き起こすもとになるからです。
成果は、月ごとに各人の給与に応じて分配すれば、全員が衡平に分配に与ることができると考えていました。
審査委員会では、提案の検討のほか、前月の成果、経営の見通しや諸問題なども検討されました。
プラン導入前、労働者は、会社の利益と自分の仕事との関係について考えることは全くなく、経営者が赤字に苦しんでいると聞くと、かえっていい気味だとさえ思っていたといいます。
プラン導入後は、審査委員会において、生産性に関わるあらゆる議題について労使が議論を闘わせ、動的で実効的な意見の一致を得ました。厳しい批判も、よりよき利潤という目的に向かうものとして前向きに受け止められました。
会議の議事録は、全員に配布されました。会議で問題になったことは、委員が職場に持ち帰ってさらに討議しました。
末端の労働者までプランがどのように進められているかを詳しく知っていました。無駄を省き、作業方法を改善し、生産を増加することができるようなアイデアや提案を工夫し、生産委員会の委員と自由に話し合いました。
このようにして、ラプェント社のすべての労働者は経営状態を知っており、各々が独自の貢献をすることができるのを誇りにしていました。
スキャンロン・プランの成果
スキャンロン・プランは、ラプェント社に数多くの成果をもたらしました。
第一に、多額の利潤をもたらしました。労使の協力が非常にうまく行われたため、双方の貢献を区別することは不可能でした。
目に見える利益以外にも、例えば、製品の納期が短縮され、遅延はほとんどなくなりました。これ自体が、販売活動において大きな強みになったといいます。
第二に、製品や仕事に対する得意先の苦情が減りました。直接の損失回避額は小さなものでしたが、得意先の満足度が高まり、再注文が増加しました。
第三に、新入労働者の訓練の問題が大いに改善されました。出来高インセンティブ制の頃は、熟練工が仕事上のコツを若い労働者に教えたがりませんでしたが、プラン導入後は、工場の生産性を上げるために進んでコツを教えるようになりました。
労働者が生産制限を行うこともなくなりました。
第四に、労働者も多額の賞与を得ましたが、それ以上に無形の利益を得ています。
彼らは喜んで一緒に働き、喜んで苦楽を共にしています。ある労働者は「以前は皆が自分のことしか考えていなかったが、今では皆がお互いのために働いている」と言いました。
別の無形の利益として、組合の団結と勢力が強化されました。組合加入者が増加し、集会への参加率も高まり、少数不平分子が組合を支配することがなくなりました。
組合の集会でも、経営問題や生産性向上の方法などが多く討議されるようになり、苦情はほとんど姿を消しました。苦情は非公式に解決されることが多くなったようです。
組合の強化は、団体交渉の成熟につながりました。組合は経営の実情をよく知っているので、事業が不振に陥りつつあるとき、労働者もそれを理解し、率先して問題に取り組みました。
実際に、労働者側の提案によって、会社は度々業績不振を克服してきました。