経営管理者を取り巻く環境は言語的です。「言語的」という意味は、「言葉」というある種の記号によって意思が伝達され、受け取られるということです。
一つひとつの言葉は、それぞれに意味を持ちますが、その言葉を発している人がその言葉に込めている意味は、その言葉を聞く人がそこから受け取る意味と同じとは限りません。だからこそ「誤解」が起こります。その意味で、「言葉」は、具体的というよりも抽象的であることが少なくありません。
経営管理者は、言葉や記号といった抽象的概念を駆使することによって、仕事を進めているというのが実態です。上層から下層への指示だけでなく、下層から上層への報告、横の連絡においても、多くの場合、それが当てはまります。
言葉を受け止めた人は、その意味を通じてある種の感情を起こし、その後の行動を動機づけます。ですから、一方において、経営管理者は、企業の共同目的に向かって個々人の協力を得るために聞き手の感情を意識し、感情に訴えるような言い方に慣れる必要があります。他方において、経営管理者は、他人が話している言葉を正しく解釈できなければなりません。
言葉の機能
言葉は、様々なものを表現するために使われます。
第一に、人の外部で起こる事件や出来事、すなわち客観的事象を表現するために使われます。この機能を、言語の「経験的機能」と呼ぶことにします。話し手の主観や感じ方がなるべく排除され、聞き手にもなるべくそのままの意味で理解され、納得ができない場合は改めて調査検討できるような事柄、あるいはその背景にある原理的なものを表現します。
しかし、日常的には、言葉がそのような使い方をされることは稀です。多くの場合、感情のやり取りを行うための記号として使われています。この機能を、言語の「情緒的機能」と呼ぶことにします。
人は言葉を通じて欲求を伝えるだけでなく、同時にある種の欲求を満足させていることもあります。そこには願望や幻想といった感情が表現されますが、あたかも合理的で客観的な論理であるかのように装うことで満足を得ているということがあります。この場合、「自分自身を表現する」ために言葉を使っているということができます。
要するに、言葉は、客観的事象を表現するだけでなく、それに対する話し手の態度、気持ち、感情、さらには自分自身をも表現しているということです。そうであれば、言葉は、話し手の個人的事情から切り離してしまうと意味を失うということです。
ですから、十分注意して他人の言葉に耳を傾け、正しい脈絡に照らして解釈することが必要です。ほとんどの話し手は、自分がどのような意味でその言葉を使っているのかを自ら説明することはないからです。
他人の言い分を理解する技能
話し手の言い分を正しく理解するためには、その人が置かれている複雑な人間的状況において生じている相互作用を把握し、診断しなければなりません。
そのための重要な資料は、まず、その人が話す事柄すべてです。ですから、その人が大事だと考えている事柄について、自由かつ率直に話してもらわなければなりません。
聞き手は、よく聞き、話を遮らず、忠告めいたことは言わず、誘導尋問をせず、語られた意見に道徳的価値判断を下さず、個人的意見・信念・感情を表明せず、どんな場合にも相手と議論せず、これらを守るために相手の感情が自分自身に影響しないように注意します。
話し手が、特定の露骨で過激な言葉を使ったとしても、その言語的定義には関心を持たないようにします。その真偽に対しても中立でなければなりません。
その言葉によって話し手の感情を表現しようとしていることは受け止めますが、それがどのようなものであるかは、関連している脈絡を発見しない限り分かりません。脈絡を発見するために、話し手の陳述と関連があるかもしれない生活上の諸事件、それが起こる社会的状況についても考えを巡らし、関連すると思われる事柄について詳細に話すよう促します。さらに、話し手の来歴、工場外の人々との交際上の出来事などについても考え、話をさせてみようとします。
このような方法をとる理由は、話し手の感情が、次の2つの要因から形作られたものであると推定されるからです。この2つは、状況の脈絡を理解する上で、レスリスバーガーが重視するポイントです。
- 現在置かれている状況に対して、その人が抱いている希望や期待
- その状況がその人に課している種々の社会的要求
希望や期待を知るためには、話し手が現在の会社に入るまでに他の人々や他の集団との間に持ってきた人間的に意味のある交際について、できる限り知っておく必要があります。過去の交際によって、人は一定の生活様式を習得し、一定の希望や期待や危惧を人生に対して抱くようになっているからです。
しかし、そのような希望や期待を抱いて会社に入ってきたとしても、会社において孤立した個人として存在しているのではなく、他の人々と様々な関係において結ばれています。会社という社会において、何らかのインフォーマルな地位を築いているかもしれません。その地位が何らかの変化によって脅かされていると感じているかもしれません。あるいは、その地位自体に不満を持っているかもしれません。
人間的状況の診断
重要なのは、表現された言葉に関連した人間的ないし社会的状況であって、言葉そのものではありません。
したがって、人間的状況を診断する際、次のような、言葉が演じる2つの危険を避けようと心がける必要があります。
- 言葉によって、それぞれ性質の異なった特殊な事柄が似たもののように取り扱われる危険
- 言葉によって、実は不可分の事柄が、分離されてしまう危険
1.については、一つの単語が一般的にあるものを指す場合もあれば、ある時点の個別のものを指す場合もあることから生じます。例えば、「椅子」という単語は、一般的に椅子全体を指す場合もあれば、ある時点である場所に存在する特定の椅子を指す場合もあります。その区別は、話の脈絡を理解しないと明確になりません。
ところが、「椅子」という単語がそれ自体で特定の意味をもつために、2.のように脈絡と切り離され、異なる文脈で異なる感情を表現しているにもかかわらず、あたかも同一物を指しているかのように考えられてしまうこともあります。
言葉を通して人間的状況を診断しようとするならば、言葉の共通性よりも、むしろ話し手独自の特殊性を探り出すことのほうが重要です。
従業員の社会的状況は、その人固有の個人的来歴の結果、周囲の社会に対して抱いている要求と、社会的組織の成員として現在その人に課される社会的要求とによって形作られています。その状況は、ある時点で、一定の均衡状態を保っています。その状況の均衡を「均衡の体系」と呼びます。
人によって均衡の体系は異なるため、同じ言葉が同一物を指すと単純に考えることはできません。全く異なる感情を表現している可能性があります。
三種の人間的状況
人によって置かれている人間的状況は異なりますが、大勢の人々と面接が行われた結果、大別すると三種の類型が見出されたといいます。これに従って、最初の大まかな診断を下すことができます。
第一の類型は、所属する職場集団に対して十分帰属意識を持っている人です。その人の話を聞くときは、本質的に、その人の属している社会的組織の感情に耳を傾けていることとほとんど同義です。その感情は、集団における共同生活の慣例および規範、その組織に固有な思考および行為の様式を表現しています。
第二の類型は、第一の類型に当てはまらない人であって、自分の家族生活以外には、いかなる他人、いかなる集団とも、効果的ないし親密な関係を結んだ経験がない人です。このような人は、ある種の「強迫観念」を表現します。新しく入社した人々の中に比較的多く見出されますが、よほど注意が行き届かない限り、経営組織の中に長く留まることができません。
第三の類型は、現在起こっている変化に対して独力では容易に適応し得ないことから起こる不安定感を感じている人です。例えば、他の人々との習慣的・日常的な関係が、昇進、異動、作業上の技術的変化などの理由によって破られたために、途方に暮れている人です。
このような異なった三種の人間的状況に置かれた人々は、彼らを取り巻く制度や政策や慣習といったものに対し、それぞれ異なった仕方で反応するといいます。
多くの組織の場合、ストライキでも起こっていない限り、第一種の類型が大きな比率を占めます。しかし、どんなに管理がうまく行っている場合でも、大会社の内部には第三の類型が必ず存在しているといいます。
経営管理者による言葉の使用
経営管理者は、文書や口頭をもって組織内の人々に言葉を使用しています。その結果、組織内にいる人々は、経営管理者の言うことを理解したり、誤解したりする立場に置かれます。このことは、多分に人々の感情を含んでいる事柄の伝達に関して、多くの問題を引き起こします。経営管理者とて必ずしも厳密な意味で論理的なものの言い方をしているわけではないからです。
言語の使用が人々の感情を刺激して行動に影響を与える場合、言葉の内容が誤解を受けると、訂正は困難です。
ところが、経営組織において、従業員や同輩と話をする際に感情的表現を用いることは、経営管理者らしからぬ振る舞いと考えられ、事実に基づいてのみ交渉を持つことが前提とされています。
このような考え方が、一部の経営管理者たちを、周囲で起こっている事柄に対して盲目にしてしまい、本来感情の問題として受け止めるべきものを、あたかも事実の問題として取り扱うような立場に追いやっています。
例えば、従業員の忠誠や信頼を獲得するために、会社の経営状態に関する情報を従業員の間に徹底させようとする努力が行われます。その根底にある考え方は、労働争議が何よりもまず会社の経済目的や経済問題に関する従業員の無理解に起因するという仮説です。この仮説にも、事実の立場に立ってのみ従業員を取り扱おうとする前提があります。
ところが、忠誠や信頼は、多分に感情の問題であり、事実の立場によって獲得され得ない性質のものです。
人間的管理の実施
経営管理者によって使われる言葉は、相手に情報を伝達するだけでなく、一定の感情を伝えているということを忘れてはいけません。
その言葉を受け取る人々もまた感情の持ち主であり、彼らの感情は、年齢、性別、個人的事情、経営組織内の職務上の地位およびインフォーマルな地位によって変わります。ある人々や集団にとって大きな意味を持っている言葉も、他の人々や集団にとっては意味をもたなかったり、違った意味に受け取られたりします。
ですから、経営者が、訓令や指令を伝達したり、経営政策を発表したり、従業員や株主に対して報告書を準備したりする際などに使用する言葉は、様々な人々に対して異なった効果を持ち得ることになります。
それゆえ、個人あるいは集団に語りかける場合、一方では誤解を避けるため、他方では聞き手への効果を考慮して、相手の感情に配慮することが重要です。
聞き手の感情を知るためには、まず先に「人の話を聞く技能」が必要になります。人々の表現した言葉を通して言葉の奥にある感情を知り、表現された感情を通して感情の奥にある人間的状況を知ろうとしなければなりません。言葉は、具体的な人間状況を考慮して語られる場合、その時その場だけで人々の感情に訴えようとする場合よりも効果があります。
それゆえ、経営管理者にとっては、話すことよりもまず聞くことのほうが重要です。聞くことによって、個人や集団の感情とその状況とを理解し、しかる後に従業員の信頼と協力を得るための「人に話す技能」を行使できるようになります。
これが「人間の理解」による人間的管理の実施です。