ファシズム全体主義の末路 - 「経済人」の終わり⑦

ファシズム全体主義は、軍国主義による脱経済至上主義ですから、戦争を正当化できる限りにおいて存続できます。

しかし、それは個人を聖戦の名の下に犠牲にすることですから、共同体として存続すべき社会にとっては、自己否定でしかありません。

結局、ファシズム全体主義は、戦争を合理化する限り、社会そのものを無意味なものにすることと同じであり、存続することは不可能です。

それでも軍国主義を基盤にし続ける以外に、脱経済至上主義社会を維持する方法はなかったため、外部に敵をつくり、すべてを他の者のせいにすることによって、軍国主義を維持しようとしました。

ナチズムでは、利潤動機に代えるべき非経済的動機を見出すことができなかったため、利潤動機およびそれを基本理念とするブルジョア資本主義の否定をもって非経済的動機としました。そして、ユダヤ人およびその血の入った「非アーリア人」を、ブルジョア資本主義の化身として位置づけました。

軍国主義の正当化

ファシズム全体主義は、軍国主義による脱経済至上主義ですから、戦争を正当かつ至善のものと位置づけない限り幻想に終わります。戦争における個々の人間の位置と役割が、社会における位置と役割そのものです。それは、人間の本質を「英雄人」の概念の上に構築するものです。その中核には、個々の人間の犠牲の正当化があります。

この概念は、戦後のドイツとイタリアで若者の心をとらえました。それは、偽善や自己欺瞞、プロパガンダによるものではありません。先の大戦の不合理と空虚が、若者たちにもたらした絶望によるものです。多くの優れた若者たちが殺戮され、皆殺しにされたことを、意味のない無駄であったとすることに耐えられなかったからです。

ところが、犠牲を正当化する「英雄人」の概念は、社会にとっては目的も意味もありませんでした。社会は共同体として継続していかなければならないからです。犠牲の正当化は、死によって何ごとかを達成し、満足を得ようとすることですから、社会の否定であり破壊につながるしかありません。

結局、ファシズム全体主義は、戦争を合理化する限り、社会そのものを無意味なものにせざるを得ず、社会としては内部矛盾を抱えることになり、存続することは不可能です。

したがって、ファシズム全体主義としても、戦争の追放を試みる形をとらざるを得ませんでした。第一次世界大戦後のヨーロッパでは、集団安全保障による平和の実現を試みましたが、ファシズム全体主義では、ファシズム国家だけが平和のための秩序であるとしました。

民主主義国家は、議会制民主主義のもとにおける多数党政府による衆愚政治や、報道の自由による無責任な戦争扇動など、大衆感情に左右される国家であるとしました。これに対し、ファシズム全体主義は大衆感情に左右されない(つまり、議会制民主主義も報道の自由もない)ということで、平和へのリーダーシップを強調しました。

軍国主義は、戦争を善として正当化できなければ成立しませんが、当時の大衆の戦争への嫌悪感は明らかであり、戦争はやはり悪であると見なされていたことは明らかでした。そして、その感情がファシズム全体主義への期待の原因ともなっていました。

聖なる戦いの末路

結局、ファシズム全体主義は、「英雄人」の概念の上に社会を構築すること、すなわち軍国主義に失敗したと言えます。かといって、軍国主義に代わるような脱経済至上主義社会の調和をつくり出すこともできなかったため、階級闘争の問題も解決できませんでした。

失業を退治するための軍拡さえ、資源の輸入問題という不合理を生み出しました。

しかし、それでも軍国主義を基盤にし続ける以外に、脱経済至上主義社会を維持する方法はありませんでした。このような状況での唯一の逃げ道は、外部に敵をつくり、すべてを他の者のせいにすることです。

目に見えず、つかみどころのない魔物との戦いを、目に見える特定の人間や勢力との戦いに代えようとしました。軍拡は、あくまで外に存在する敵から自衛するための口実でなければなりませんでした。

ファシズム全体主義で階級闘争を克服できないのは、大衆が軍国主義を受け入れることができないことが原因です。しかし、ファシズム全体主義では、階級闘争をなくすと約束しながらそれを実現できなかったマルクス主義者の責任だと見なし、共産主義に対する憎しみに代えました。

反ユダヤ主義の始まり

ナチズムは、利潤動機に代えるべき非経済的動機を見出すことができなかったため、利潤動機およびそれを基本理念とするブルジョア資本主義の否定をもって非経済的動機としました。

そして、ユダヤ人およびその血の入った「非アーリア人」を、ブルジョア資本主義の化身として位置づけました。つまり、ナチズムにおいて、ユダヤ人は悪魔の化身とされたのです。

このようなナチズムの反ユダヤ主義は、ナチズム前のユダヤ人差別とは本質的に異なっています。第一次世界大戦前のドイツやオーストリアにもユダヤ人差別はありましたが、それは人種差別ではなく宗教差別でした。

ですから、キリスト教に改宗していれば職業差別はなく、婚姻については、少なくともドイツにおいて差別はなかったといいます。ドイツ系ユダヤ人自身が、ドイツをもっとも反ユダヤ的でない国と考えていたといいます。

ユダヤ人の職業上の地位を奪うために、ユダヤ人を追放するという経済的動機があったと説明されることもあるようですが、これも間違いでした。なぜなら、ユダヤ人の職業や財産を奪った後も、その分、同業者の利益が増えた事実はないからです。

利益を奪っていたのはユダヤ人ではなくナチズムでした。さらに、ユダヤ人の財産と地位が奪われた後にもユダヤ人排斥が続いたこと自体、経済的動機によるものではなかったことを示しています。

ユダヤ人は元々反ナチズムではなかったので、ユダヤ人の反ナチズムが反ユダヤ主義を生み出したわけでもありません。イタリアでは、ユダヤ人が初期のファシズム運動に参加していましたから、ドイツでも、ヒトラーの運動に参加することが認められていたならば、多くのユダヤ人が参加していたに違いないと、ドラッカーは指摘します。

常々、ドイツのユダヤ人は、宗教的な生涯を乗り越えた国民運動によって、ドイツ人と完全に一体化する機会を待ち望んでいたといいます。

ブルジョア資本主義の化身としてのユダヤ人

ドイツのブルジョア階級は、西ヨーロッパ諸国と異なり、国家統一の過程で上からの力によって解放されたに過ぎませんでした。したがって、ドイツでは、ブルジョア階級が支配階級になったことはなく、貴族階級や高級官僚や高級将校が支配者でした。

上流階級は、ブルジョア階級が自らの地位を脅かしかねないとして、ブルジョアが権威ある階級に育つことを意図的に妨害したといいます。ブルジョア階級は、ユダヤ人であろうとキリスト教徒であろうと、支配階級から同じ種類の社会的、政治的差別を受け、同じ種類の抵抗勢力とされた点において同じでした。

ところが、ブルジョア資本主義社会の急速な発展が、ブルジョア階級を必要とするようになりました。このような状況が、ドイツのユダヤ人に特殊な地位を与えました。この場合も、ユダヤ人であろうがキリスト教徒であろうが、ブルジョア階級であるという理由によって、上から同時に解放されました。ユダヤ人の企業家、銀行か、弁護士、意志、技師に対する需要を生みました。

こうして、ユダヤ人とキリスト教徒のブルジョア階級は、社会的、政治的には差別されながら、経済的、知的には大きな力をもつ上層中流階級として一体化しました。人種を越えた事業場のパートナーシップや交際、婚姻は、自然なことでした。

ブルジョア的職業の地位の向上に伴い、産業界、商業界、自由業には、ユダヤ人よりもむしろドイツ人の進出が目立って多くなっていったといいます。その結果、ユダヤ人ブルジョア階級の財産と所得は、おそらくドイツ人ブルジョア階級の倍の速さで減少していったといいます。

そこでブルジョア階級がしくじり、恐慌と失業が現れたとき、それをユダヤ人のせいにし、ユダヤ人を悪魔の化身であるとする考えに合理性をもたせようとしました。ユダヤ人とドイツ人のブルジョア階級が一体化し、両者の間にいかなる相違も対立も違和感もなくなっていたからこそ、人種論に基づく説明が必要でした。ユダヤ人の血に汚されていることを理由にしたのです。

宗教ではなく血を原因とすれば、多くのキリスト教徒がブルジョア階級であることも説明できましたし、ユダヤ人がキリスト教に改宗しても逃れることができませんでした。共産主義者はいつでも転向できますが、ユダヤ人の血は、どんなことをしても変えることができませんでした。

ナチズムにとっては、ユダヤ人が何であり、その特性、行動、思想がいかなるものであるかさえ関係がなくなっていました。たとえ嘘であっても、ナチズムに敵対する者は、彼らがユダヤ人であることによって説明されるようになりました。

そもそも、ナチズムの反ユダヤ主義は、ユダヤ人自身の特質とは無関係です。本当の敵はブルジョア秩序でしたが、それに代えるべき肯定的な概念を構築できませんでした。かといって、共産主義のように階級闘争に走るわけにもいきませんでした。そこで、ユダヤ人が悪魔の化身として利用され、否定的概念である「反ユダヤ主義」が用いられました。

要するに、ただの手段であったのですが、否定の概念であるため、ブルジョア資本主義国家が存続し、その象徴であるユダヤ人が存在する限り、戦う根拠がなくなることはありません。一切の妥協や交渉、停戦などはあり得ず、軍備は拡張し続けるしかありませんでした。

口では「最終解決」を何度も発表してきましたが、その都度、裏切られました。最終解決はあり得ませんでした。最終解決は、ナチズムの存在意義の消滅になるからです。

最終解決の失敗は、むしろ一層の強化の根拠になります。そして要求が強まるほど満足は遠ざかり、さらに解決も遠ざかり、ますます要求が強まるという悪循環に引き込まれていきます。

信条ではなく組織がすべて

ファシズムやナチズムは、否定が綱領であり、崩れ去った秩序や価値や信条に代わるべきものをつくり出すことができないため、さらに全体主義を強化するしかありません。

結局、ほかに手段がないため、組織そのものを正当化するしかありませんでした。組織のみが社会の実体であり、信条そのものでした。

ファシズムの組織が最高ですから、それ以外の組織やコミュニティはすべて破壊されます。団体、政党、教会、家族に到るまで破壊し、他の秩序への手がかりや基盤になり得るものもすべて破壊しようとします。

ところが、組織は、本来、何かの目的のためにつくられるものですから、組織自体が目的となったときには、組織は肥大化し、過剰となります。無駄な手続きのために膨大な費用を負担させられ、予期せぬことや計画していないことが起こったときには機能しなくなります。

組織が目的となれば、そこにいる人間にとっては、組織の権力が目的になります。ファシズムの組織は、それ以外の組織を排除しますが、ファシズムの組織の内部では、内部闘争によって他の者を排除しようとします。

ですから、組織が増えたとしても、自由裁量をもつのは上位の組織だけであり、全体を把握できるのは、最終的に最高権力者ただ一人です。究極的には、最高権力者にとって、組織の内部の人間はすべて敵ということになります。

大半の国民は、ファシズム政権に不満でありながら、その政権を支持していました。なぜなら、その政権以外に選択肢がなかったからです。

ブルジョア資本主義やマルクス社会主義は明確に否定され、その否定を受け入れたからこそファシズム政権が選ばれたのですから、後戻りする選択肢はありませんでした。

だからといって、新しい価値も秩序も生まれていないため、ファシズム政権に期待するしかありませんでした。ですから、不満がつのればつのるほど、ますます支持されることになりました。ドラッカー曰く、体に悪いことを知りながら、夢幻と忘却を求めて麻薬の量を増やす中毒患者と同じでした。

矛盾の解消には実体が必要です。その実体を理性のうちに見出せないのであれば、神秘のうちに見出す必要があります。ここにおいて、神のごとき「指導者」が必要になります。

社会の規範を超越した指導者原理

ファシズム全体主義には、社会の規範を超越した指導者が求められます。そのような指導者に対する絶対かつ盲目の信頼がなければ、ファシズム全体主義は存続することができません。これは神秘主義そのものです。

そもそも、ファシズム全体主義の指導者に対する国民からの負託はなく、選択の権利もありません。権力の基盤は、その指導者自身の主張だけです。しかも、その主張に理論的な根拠はなく、他の人間以上の存在であるという本人の主張だけです。

これは理性による批判を拒絶する純粋な神秘主義であり、宗教的信仰です。このような指導者につきものの最大の問題は、後継者です。後継者が同様の信仰を得ることは難しい問題です。しかも、後継者争いは熾烈であり、その争い自体が、現指導者への信仰の基盤を揺るがすものになり得ます。

ファシズム全体主義革命は、新しい秩序の始まりではなく、古い秩序が崩壊した結果に過ぎませんから、その指導者原理には元々根拠がありません。したがって、知的、精神的緊張が増大しつつある間しか維持できません。

緊張が高まれば指導者の無謬性が求められ、無謬性への信仰が高まりますが、その分、信仰の維持が難しくなります。この信仰に代わるものが現れるや、一挙に崩壊することになります。

大衆は、真の秩序を失ったとき、組織を秩序の代わりにしました。祈るべき神も尊ぶべき人間像も失ったとき、魔性のものに祈りました。これらのことからも、人間がいかに秩序と信条と人間像を必要としているかが分かります。

ファシズム全体主義の特徴である軍備の拡張、社会の組織化、自由の抑圧、ユダヤ人への迫害、宗教への攻撃は、すべてファシズム全体主義の強さではなく、弱さを示しています。ファシズム全体主義が絶望に根ざしているがゆえに、それらによって補わざるを得ません。

したがって、大衆が新しい意味のある秩序を見つけさえすれば、直ちに自壊するはずです。そこに現れる新しい社会もまた、自由と平等を実現しようとすることになります。

ただし、ドラッカーによると、その自由と平等は、新しい秩序のなかで直ちに実現されるのではなく、追求されるに過ぎません。その実現は、次の新しい領域が社会の中心に位置づけられたとき初めて可能になります。これが西洋の歴史の原動力であったと言います。

歴史を振り返れば、宗教が社会の基盤でなくなったとき、初めて宗教上の自由と平等が実現されました。経済が社会的な認知と満足の基盤となったとき、初めて民主的な自由と平等が可能となりました。したがって、「経済人」の社会が崩壊した後に現れる新しい社会では、経済的な平等を実現できるということを意味します。