ネクスト・ソサエティは、一般に予想されているものとは異質の社会です。
特に重要な変化は「高年人口の急増」と「若年人口の急減」ですが、後者は実にローマ帝国崩壊時以来であるといいます。
若年人口の減少により、高年者の確保が重要になります。70代半ばまで働き続ける人が増える可能性がありますが、働き方の形態は多様化します。業務委託などの契約ベース、非常勤、臨時、パートタイムなどです。
ドラッカーは、組織で働く人の半数は、雇用関係にない人たちになるといいます。この人たちのマネジメントが、あらゆる種類の組織にとって中心的な課題の一つです。
人口構造の変化は、市場の激変にもつながります。先進国では、家族形成の増大によって市場が成長してきました。若年人口の急減によって家族形成が縮小すると、若年移民の受け入れが求められ、大問題になります。
ネクスト・ソサエティは知識社会です。知識は教育により与えられ、教育は万人に開かれるため、高度に競争的で高ストレスの社会となります。
知識社会の主役は知識労働者です。医師、弁護士、教師、会計士、化学エンジニアなどのほか、コンピュータ技術者、ソフト設計者、臨床検査技師、製造技能技術者などの「テクノロジスト」も含みます。
経済構造においても大きな変化が起こっています。農業は著しく生産性を高めつつも、世界貿易やGDPに占める農業生産の比率や農業人口は大きく減少しました。製造業も同じ道を歩んでいます。
農業の地位の低下が保護主義をもたらしたように、製造業でも同様のことが起こり得ます。補助金、輸入割当、規制による保護主義です。地域共同体の域内での自由貿易と、域外に対する保護貿易の併存もあります。
グローバル企業は、戦略による一体性が主流になりつつあります。少数株式参加、合弁、提携、ノウハウ契約などです。トップマネジメントの主要な仕事は、短期と長期のバランス、利害関係者間の利害のバランスをとることです。
少子高齢化による社会の変化
少子高齢化によって、高年者の主張が政治を左右することになります。
先進国では、おそらく年金支給年齢が70代半ばになり、年金の額が少なくなることも予想されるため、若年者や中年者の多くが、自分たちの年金がなくなってしまうことを心配しているといいます。
労働力の不足、市場の縮小も予想されるため、移民の受け入れが問題となります。
人口問題の権威であるニコラス・エーベルスタットは、「今後50年間、日本は年間35万人の移民を必要とし、労働人口の減少を防ぐにはその倍を必要とする」(『フォリン・ポリシー』2001年3・4月号)と指摘しています。
人口構造の変化が市場に与える影響については、ある程度は予測が可能です。労働市場その他の市場の中心が時間的にどのように推移するかは、かなり前から分かります。
ただし、時に予測しない方向に変化することもあります。つまり、出生率が突如として大きく変化することです。
「何が出生率を決めるか」については、いろいろとまことしやかに指摘されますが、ドラッカーは、本当のところ、何も分かっていないといいます。
しかしながら、一度変化すれば、それが数十年後に市場に与える影響を予測することはある程度可能ですから、常に人口構造の変化を注視しておくことが大切です。
文化と市場の多様化
人口構造の変化は、文化と市場の多様化をもたらすといいます。
階層社会が存在した時代には、身分よる職業の違いや居住地の違いが存在していたため、それに合わせて多様な文化と市場が存在しました。例えば、農村市場や富裕市場という別の市場が存在しました。
第二次世界大戦後になると、グローバル市場が誕生し、先進国は単一の文化や市場をもつようになりました。単一の市場は、若年人口の価値観、生き方、好みによって支配されました。
人口構造の変化に合わせて、再び市場が多様化し、年齢層、職業、収入、ライフスタイルなどの違いが出てくるようになりました。
労働市場の多様化
労働市場も、雇用形態が多様化し、多様な市場に分かれます。年齢層による市場の分化、パート・アルバイト向けの市場、職種別の市場、専門職の経験をもつ女性が結婚・出産後に復帰するための市場などです。
労働寿命の伸びと、組織の短命化も、労働市場の多様化を促進します。生涯にわたって一つの組織で過ごすことは、すでに非現実的になってきたからです。
雇用の変貌
かつて農業従事者に代わって主流となった工場労働者は、大幅に減少しつつあります。
それに代わって増加したのがサービス労働者であり、さらに主流になりつつあるのが知識労働者です。
知識労働者は、真の意味での資本家です。知識社会における主たる生産手段であり資本である知識を保有しているからです。また、年金基金や投資信託の所有者として企業の株主になっているからです。
知識は専門化して初めて有効になりますから、知識労働者は組織と関わりをもたざるを得ません。
組織は、多分野の知識労働者を糾合し、共通の目標に向けて動員するための人の集合体です。組織もまた、知識労働者を必要とします。
つまり、組織と知識労働者は互いに依存する関係であり、同格の存在です。組織の内部においても、地位を意味する階層は存在せず、従来の上司と部下の社会ではありません。
知識労働は、性別と関係がありません。知識、仕事、基準、評価に性別は関係ありません。ただし、女性の社会復帰については、テクノロジストの職が重要な役割を果たしつつあります。
テクノロジスト
知識労働者のなかでも、テクノロジストが急速に増加しています。
テクノロジストは、肉体労働者の要素をもった知識労働者です。頭よりも体を使う時間の方が長いかもしれませんが、その作業には、学校教育でしか手に入れられない知識が必要です。プロフェッショナルなスペシャリストです。
臨床検査技師、理学療法士、作業療法士、歯科技工士、看護師など、医療関係の専門家が代表的です。コンピュータ技師、機械類のメンテナンス技師、あるいは、事務系のテクノロジストもいます。
ドラッカーは、テクノロジストが、先進国における最大の層になるといいます。
教育の重要性
知識労働者には、2つの教育が重要です。知識労働者として必要な専門知識を身につけるための学校教育と、専門知識を最新に保つための継続教育です。
知識は急速に陳腐化するため、定期的に教室に戻ることが不可欠です。知識労働者のための継続教育が、ネクスト・ソサエティにおける成長産業になります。
ただし、継続教育の場所は学校だけではありません。週末のセミナーなど、さまざまな組織が教育の場を提供します。自宅でのeラーニングも増加します。
知識労働者の自己規定
知識労働者は、組織に所属していても、自らの専門知識に誇りをもち、自らの専門職によって自己規定します。同じ組織のなかの別の職種の人たちよりも、別の組織のなかの同じ職種の人たちとの間に共通点が多いからです。
知識労働者は、自らの専門分野のなかでの流動性が高く、組織の種類にはあまりこだわりません。組織への愛着があったとしても、忠誠心や帰属意識は、組織ではなく専門分野のほうに強くあります。
ですから、知識労働者にとって、専門分野の違いを上下関係として見ることは容認できません。同じ専門分野のなかでの上下関係はあり得ても、異なる専門分野間では互いに自立した同僚の関係を求めます。
専門分野が重要である知識労働者にとって、お金は生計の資になっても、絶対的な価値ではありません。専門分野を生かせる仕事が自己実現の手段であり、生きがいです。
よりよい人生の追究
知識は、生産要素として見たとき、従来の土地や資本とは著しく異なります。
知識は、相続したり遺贈したりすることはできません。誰もがゼロから自力で身につけなければなりません。マニュアルの形で保存できると考えるかもしれませんが、書いてあるだけではただの情報です。
マニュアルから情報を取得し、身につけ、知識として仕事に使えなければなりません。人がゼロから自力で身につけるという意味では同じです。
知識は学んで身につけるものですから、教えることができるように体系化されていなければなりません。このことは、誰でもアクセス可能で、移動も容易であることを意味します。
人が知識とともに移動できるだけでなく、知識自体も情報として世界中を移動できるため、流動性の高い社会をつくります。
他の知識と組み合わせられ、次々と新しい知識が生み出されていきますので、速やかに変化します。
社会の流動性で重要なのは、上方への移動です。かつてのように、代々同じ仕事を親から引き継ぐ必要はありません。あらゆる人間が望む仕事を手に入れ、成功する機会が開かれます。
生産性向上によって収入が増加したという意味での豊かさだけではなく、自らの社会的な位置づけ、評価、生きがいを実感できるという意味での豊かさを手に入れる可能性が開かれました。
成功の代償
知識社会は、誰もが教育と学習によって成功を手に入れられる可能性が開かれたゆえに、競争が激しい社会でもあります。心理的なストレスが高まります。
競争が激しくなれば、敗者も増えます。受験競争は必然であり、決して日本だけの問題ではありません。
学校で勝者となり、望む知識労働者になったとしても、社会で成功を求め続けるならば、さらに激しい競争は続きます。定年退職前に燃え尽きる人が数多く出てくることも予想されます。
したがって、知識社会では、非競争的なコミュニティの存在が不可欠になります。早いうちから、仕事以外の関心事を見つけ、育てておくことが大切です。
万が一、仕事において燃え尽きてしまったとき、そのような関心事が、自己実現と社会貢献の場を与えてくれるようになります。
製造業のジレンマ
製造業の生産性は著しく向上し、生産量も増大しました。
その要因となったものは、技術革新、インダストリアル・エンジニアリング、情報化、オートメーション化などですが、それ以上に大きな影響を与えたのは、製造のコンセプトの変化でした。
代表的なものは、トヨタのリーン生産方式です。
しかしながら、GDPや雇用に占める製造業の割合は減少しました。製品自体の価格も低下し、購買力に占める製造業製品の割合も減少しました。製品の製造原価に占める労働コストの比率も大幅に減少しています。
製造業の生産量が減少することはないと考えられますが、生産性はますます向上し、肉体労働者の雇用は減少してくことが見込まれます。
国によっては、このことが、雇用不安、社会不安を生む可能性があります。
発展途上国の道
製造業の変化は、発展途上国における経済発展の機会を狭めてしまう可能性があります。
従来は、先進国の技術や教育訓練を導入して低賃金労働者を活用し、一定品質の安価な製品を先進国に輸出するという方法が主流でした。先進国でも、低価格品の輸入によって、途上国への投資が十分回収できていました。
現在のように労働コストの比率が下がっている状況では、このような経済発展モデルがうまく行かなくなっていきます。
輸送等のコストが無視できなくなり、投資国である先進国が製品を安く輸入することによっては、投資を回収できなくなってきました。
このため、途上国が先進国からの投資額を返済するためには、自国の市場を開拓して製品を売り、収益をあげなければなりません。中国、インド、ブラジルなど十分な人口と経済力をもった新興国市場でなければ困難です。
小規模な途上国であれば、それらの新興国市場にアクセスできることが有効ですが、それが可能かどうかが問題です。
新種の保護主義
製造業の後退は、農業の場合と同様の保護主義を生み出す可能性が考えられます。
農業の場合、関税や補助金などによる保護主義がとられました。日本に限らずあらゆる先進国で行われてきたことです。
農業人口や従事者の比率は著しく減少しましたが、減少すればするほど利害集団としての団結力が高まり、政治的な発言力も高まりました。
ドラッカーによると、今後は、関税による方法ではなく補助の形をとると予想されます。地域経済共同体が増えているため、関税障壁はなくす方向です。
ただし、非加盟国や他の地域経済共同体に対しては、共同体内で一体的に、何らかの障壁によって保護する方法がとられます。それでも、主体は非関税障壁のようです。
特に、途上国に対しては、労働環境や環境対策が大きな障壁として働くことが考えられます。
しかしながら、農業と同様、製造業においても生産性の向上と従事者数の減少は必然の流れであり、これを押し留めようとするな保護政策はうまくいきません。ツケを払わされるのは、その国の消費者です。
やるべきことは、保護政策に使われる予算を、新産業への再雇用や知識労働者への転換を促進するための再教育等に振り替えることです。
企業形態の変化
ドラッカーによると、1870年前後に企業が誕生して以来、5つのことが当然とされていました。
1つめは、企業が生産手段の所有者であり、企業が社員の主人であるということです。
2つめは、社員のほとんどはフルタイムで働くということです。
3つめは、事業に必要なあらゆる活動を内製化することによって、取引コストが最小化され、マネジメントが効率化されるということです。
4つめは、市場では、メーカーが主導権を握っているということです。流通業は、メーカーの販売代理業でした。
5つめは、あらゆる技術は固有の産業に属し、あらゆる産業がそれぞれに固有の技術をもっているということです。
企業内研究所の研究成果は、その産業においてのみ活用され、その企業に必要な技術はすべて企業内研究所で生み出すことができました。
パラダイムの変化
企業に関するパラダイムは、1970年頃にすべて変わったといいます。
知識が主たる生産手段、すなわち資本になりました。知識は一人ひとりの知識労働者が所有し、携帯可能ですから、知識労働者が資本の提供者です。
企業と知識労働者は相互依存関係にあり、知識労働者が企業にとっての同僚、パートナーとして同格です。
多くの働き手がフルタイムの正社員ではなくなりつつあります。パートタイム、臨時社員、契約社員、業務委託、アウトソーシング先の社員などとなっています。
企業活動に必要とされる知識が高度化し、専門化したたため、あらゆる機能を内製化することは困難であり、きわめて非効率になりました。
知識は劣化するため、内部で十分な仕事量がなければ、成果をあげられなくなります。また、コミュニケーション・コストも安くなり、取引コストはそれほど高いものではなくなりました。
マネジメントを生産的なものにするのは、統合ではなく分散であることが明らかになり、さまざまな分野でのアウトソーシングが一般化しました。
市場では、買い手に主導権が移行した。情報をもつ者が力をもち、情報をもっているのはメーカーではなく顧客だからです。小売業はメーカーの販売代理業ではなく、消費者の購買代理業になりました。
しかも、メーカーでさえ、消費者のための買い手にならなければなりません。消費者の好みと予算に合わせて、他メーカーの製品さえ扱うようになってきました。
いかなる産業、企業にも、独自の技術というものはあり得なくなりました。必要とする知識が、馴染みのない異質の技術から生まれるようになりました。
あるいは、企業内研究所で開発した技術の多くが、自社以外だけでなく自社が属する産業以外で使用されるようになりました。
事業の発展は、企業の内部からではなく、他の組織や技術とのパートナーシップ、合弁、提携、少数株式参加、ノウハウ契約などからもたらされるようになりました。しかも、異質の組織間の提携が当たり前になっています。
そのうえ、いかなる製品やサービスといえども、最終用途、利用範囲、市場を独占することができなくなりました。
近代企業のコンセプトの変化
パラダイムの変化によって、多様な企業モデルが生まれるといいます。
労働力、技術、市場の変化への対応の違いによって、多種多様になります。組織とその構造、働き手への報い方が多様になります。
これまで一つの組織で行われていた事業が、多様な形態の組織の連携として行われるようになります。直接雇用していない人たちをも、共通の目的のために貢献してもらえるよう、全体をマネジメントしなければならくなります。
このような多様な組織形態のもとにある人たちは、お金で釣ろうとしてもうまくいきません。仕事に対する満足によって惹きつけ、留まってもらわなければなりません。
知識労働者にとっても報酬は大事であり、報酬の不足は不満を生み、意欲を削ぎます。しかし、報酬が意欲や満足の源泉になることはありません。
知識労働者は、資本である知識をもって移動できるため、働く場を変わる能力をもっています。ですから、知識労働者のマネジメントでは、組織が彼らを必要とするという前提でなければなりません。
ドラッカーは、知識労働者をNPOのボランティアのように扱わなければならないといいます。
知識労働者が重視するのは、自らの知識によって貢献しようとする組織の目的です。組織が何をしようとしているのかが重要です。
たとえ、自分の仕事が同じような内容であったとしても、自分が働く組織の目的が自分の価値観に合わなければ、動機づけられることはありません。
自らの仕事において責任を与えられ、自ら意思決定ができ、自己実現できることも重要です。つまり、もっとも適したところに配置されることです。最大の貢献こそ、知識労働者の自己実現だからです。
さらに、継続学習の機会をもつことです。
何よりも敬意を払われることが重要です。ドラッカーによると、自分自身よりも、自分の専門分野に対して敬意を払われることのほうが重要であるといいます。
企業体から連合体へ
事業部制組織など、今日の組織のコンセプトと構造は、元々GMが発展させたものです。
GMは、現在、所有権に基づく管理権限によって事業活動の統合を図る企業モデルから、マネジメントによって統合を図る連合体へと変身しようとしています。所有権については、少数株式の所有にとどめている場合も少なくありません。
最近は、異業種によるシンジケートも存在します。EUに設立されたシンジケートでは、同族経営の中堅企業がメンバーです。高度のエンジニアリングを必要とする製品のリーダー的地位にあり、輸出依存度の高い企業です。
それぞれの企業は独立を維持し、独自の製品を開発します。自社工場で生産し、独自の市場をもちます。
しかし、新興国や途上国の市場では、シンジケートがメンバーのために所有する工場や、シンジケートがアレンジした現地の下請け工場で生産を行い、シンジケートが製品の販売と流通、アフターサービスを行います。
シンジケートはメンバー企業によって分担所有され、シンジケートのほうもメンバー企業の株式を若干保有します。モデルとなっているのは、19世紀の農業協同組合です。
トップマネジメントの変化
企業の形態が独立起業のシンジケートや連邦にまで進むことから、トップマネジメントは、単に企業の上層部ではなく、独立した役割と権限と責任をもつ機関として構築される必要があります。
トップマネジメントは、方向、戦略、価値、原則、構造、内部関係、外部提携、パートナーシップ、合弁、研究、開発、設計、イノベーションに責任を負います。
人と金のマネジメントに責任をもちます。組織全体を代表し、政府、世論、マスコミ、労組との関わりに責任をもちます。
トップマネジメントの仕事
トップ・マネジメントは、組織の3つの側面、すなわち経済機関、人的機関、社会機関としての側面をバランスさせなければなりません。
歴史的には、この3つのどれかを重視する経営がとられ、それぞれに行き詰まってきました。
経済機関としての側面を重視したのは、アメリカ型の株主主権です。行き過ぎれば、短期の見返りのみを重視する経営になります。
人的機関としての側面を重視したのは、日本型の終身雇用や年功序列です。急激な少子高齢化とグローバル競争の激化で行き詰まり、崩れつつあるようです。
社会機関としての側面を重視したのは、ドイツの社会市場経済モデルです。市場経済に軸足を置きつつも、社会的不平等を最少にする立場から社会政策を重視するものです。
国家主導による自立支援、所得再分配、完全雇用、住宅供給、各種社会福祉・社会保障充実などの政策が行われました。株式会社の経営陣に従業員代表を必置とするなど労働組合の役割を強めることも行われました。
このような社会政策の重視は、グローバリゼーションに対し労働力の高コストなどの足かせと見られるようになりました。労働市場は硬直化し、高い失業率をもたらしました。
ネクスト・ソサエティでは、知識労働者が働く人たちの中核となり、もっとも重要な生産手段である知識を所有するだけでなく、年金基金や投資信託を通じて文字どおり資本を所有する存在となりました。
新たな資本家である知識労働者は、投資家として短期の利益を重視するだけでなく、将来の年金として長期の業績をも重視する存在になりました。短期と長期のバランスが求められます。
知識労働者が中核になるということが、3つの側面のバランスを考えることを要求します。
新たなコンセプト
トップマネジメントの役割はますます重要で大きなものになりました。そのためか、トップマネジメントの失敗、失脚も目につくようになりました。
スーパーマンのような人材でなければトップマネジメントが務まらないようでは、システムに欠陥があると言わざるをえません。
トップマネジメントはチームによって運営されなければなりません。チームが最優先に取り組むべき事項を明確にし、それを公表し、役割分担を決め、それ以外の仕事は大胆に権限委譲していかなければなりません。
トップマネジメントの最大の仕事は、組織としての個の確立です。シンジケートなどの企業連合体であったとしても、連合体としての個を確立しなければなりません。
具体的には、価値、使命、ビジョンの確立です。これが、組織としての社会的な正統性の確立でもあります。
突き詰めれば、個の確立を担うトップマネジメントが組織そのものです。その他の機能がすべてアウトソーシングの対象となっても、組織としてのアイデンティティは揺るぎません。
個の確立が揺るがない限りにおいて、組織には多様なモデルが存在し得るということでもあります。
ネクスト・ソサエティに備えて
人事管理の変化
今日の人事部は、コストがもっとも安く、もっとも望ましい労働力は、若年社員であると考えています。コストの高い高年社員を若年社員に入れ替えようとしたがります。
しかし、結果は芳しくないようです。ドラッカーによると、2年後には、採用した若年社員のコストは、出て行った高年社員のコストと同じになっているといいます。
社員のコストは、本人に直接支払われる給与だけではありません。若年であるから給与が低いとしても、教育訓練費用など別のコストが余計にかかっています。
生産額や販売額の伸びと社員数の伸びはほぼ一定になっており、一人当たりの生産性が高まっているわけでもないといいます。
第一に行うべきことは、雇用関係の有無にかかわらず、事業のために働く者すべてを対象とする人事を確立することです。
例えば、少数の核となる若手正社員だけを重視し、他の非正規社員や業務委託などを軽視するならば、全体の生産性は著しく低下します。
軽視された側の意欲や生産性は下がり、若手正社員の足枷となって生産性の低下が全体に波及します。
定年に達した人たち、契約ベースで仕事を行う人たちなど非正規の人たちを惹きつけ、留め、活躍してもらう必要があります。働き方の柔軟性と自由を提供しつつ、能力と知識を維持してもらわなければなりません。
働き方の形態は、その人のニーズによるものであって、その人の仕事の重要性とは関係ありません。ましてや、その人自身が重視されるか軽視されるかを決めるものではありません。
外部情報の必要性
マネジメントは、IT革命によって溢れるほどのデータを手にするようになりましたが、かえって必要な情報をもてなくなりました。コンピュータによって扱われるデータは、組織内部のものばかりです。
マネジメントにとってもっとも必要な情報は、外部の変化です。分類や定量化ができない外部の情報です。
所定のフィルタを通して選別され、まとめられ、定型化された内部の情報が溢れています。
重要であっても選別や定型化が困難な外部の情報は排除されるため、マネジメントは、外部の情報が重要でないものと錯覚しがちです。外部の重要な変化を例外に過ぎないものとして見過ごしがちです。
チェンジエージェントたれ
組織が生き残り、かつ成功するためには、自らがチェンジ・エージェント、すなわち変革機関とならなければなりません。変化をマネジメントする最善の方法は、自ら変化をつくりだすことです。
イノベーションは、結果だけを外部から移植してくることによって実現することはできません。組織自らがイノベーションを起こすしかありません。全体としてチェンジ・エージェントへと変身しなければなりません。
まず、成功していないものをすべて組織的に廃棄しなければなりません。次に、あらゆる製品、サービス、プロセスを組織的かつ継続的に改善していかなければなりません。
また、あらゆる成功、特に予期せぬ成功、計画外の成功を追究していかなければなりません。さらに、体系的にイノベーションを行っていかなければなりません。
チェンジ・エージェントになるための要点は、組織全体の思考態度を変えることです。全員が、変化を脅威でなくチャンスとして捉えるようになることです。
予期しがたい変化
蒸気機関の発明が産業革命の引き金を引いたと言われますが、ドラッカーによると、社会や経済に大きな影響を与えたのは鉄道の発明であり、その後の料金前納制の郵便制度や電報の発明であったといいます。
産業革命が直接生んだものは、それ以前からあった製品の生産を機械化し、集中化し、大量化したことです。その結果、品質が安定し、生産コストが減少し、大量消費者と大衆消費財が生まれました。
1770年代半ばに始まった産業革命の後は、技術革新の影響よりも、制度と思想のイノベーションのほうが実りが大きかったといいます。
工場労働、投資銀行、知的所有権制度、株式公開制度、有限責任制度、労働組合、協同組合、工科大学、新聞などが生まれました。
19世紀後半以降は、近代公務員制度、近代企業、商業銀行、ビジネススクール、諸々の女性職業、民主主義のための諸々の理念と制度、科学的管理法などが生まれました。(参考:「科学的管理法」とは何か?)
IT革命と言われますが、コンピュータは産業革命時の蒸気機関に相当し、その本当の革命的な影響は、まず、インターネットの発明と普及であったといいます。
そして、これから現れる新たな理念と制度のほうが重要です。
例えば、従来の意味における自由貿易主義でも保護主義でもない地域共同体です。目指しているのは、国民国家の経済主権と超国民国家の意思決定とのバランスです。
また、世界の金融の新たな主役となったグローバル企業としての金融サービス機関です。彼らが扱うグローバル・マネーは、いかなる政府や中央銀行の管理下にもありません。
そして、イノベーターによる創造的破壊がもたらす経済発展に関するシュムペーターの理論が重要です。