働く者の位置と役割 - 企業とは何か⑨

自動車産業における最大の問題は、平の工員たちが、社会の一員として、機会の平等と位置および役割を与えられていないことでした。

分権制はその点で役に立ちませんでした。分権制はマネジメントの機能を分けることでしかないからです。

機会の平等を与えるための方策は、訓練によって技術をもたせること、能力を得たり示したりすための手立てを設けること、選別のための心理検査や適性検査を利用すること、仕事への関心を刺激することでした。

人はお金のために働くのではありません。人は仕事に誇りをもつときに成長し、そのためには仕事の意味づけを必要とします。働く者に製品の意義を知らせ、仕事に働く者の参画を促すことが重要です。

労使問題の解決の糸口

分権制はマネジメントの機能を分けることですから、平の工員を社会に組み込むうえでは役に立ちません。

当時のアメリカの自動車産業は、様々な意味で近代社会の代表でした。当時のデトロイトも産業都市そのものであり、あらゆる産業がデトロイトに倣いました。

他のあらゆる産業が自動車産業との比較で判断されたため、自動車産業で方策が見つかれば、他のあらゆる産業にとっての解決策になり得ました。また、他の産業で解決策が見つかったとしても、それが自動車産業に適用できなければ意味がありませんでした。

自動車産業は労使関係が最悪でしたが、最大の問題は働く者の市民性でした。平の工員たちが、社会の一員として、機会の平等と位置および役割を与えられていないことが問題でした。

自動車産業の経営陣は、職長と経営管理者を工場外に求めていました。技術系の学位、事務や経理や販売の経験が重視されました。工員の側は、昇進の基準を仕事ぶりではなく年功に置くことを望んでいました。出世の道は組合活動に求め、子供が自分と同じ蜜を進むことを望みませんでした。自分の仕事に誇りはありませんでした。

とはいえ、大量生産工場の時間給の工員には、位置と役割に比べたら、機会の平等はまだ恵まれていました。多くの経営管理者を必要としたため、内部からの昇進の機会も多かったからです。

しかし、平の工員である限り、仕事に意味を見出すことはできませんでした。賃金をもらうための仕事でしかありませんでした。尊厳も意義もなかったため、いい加減な仕事になりがちでした。恵まれた賃金も、尊厳を与えることはできませんでした。

いかに機会の平等を与えるか

平の工員に機会の平等を与えるための第一の方策は、訓練によって技術専門学校や工科系大学の卒業生レベルの能力をもたせることでした。

第二の方策は、能力を得るため、あるいは示すための手立てを、工場内に設けることでした。定期的にポストをローテーションさせたり、配置係や教育係をさせました。

第三の方策は、高度の技術と責任を伴う仕事に適した者を選別するために、心理検査や適性検査を利用することでした。ただし、ドラッカーは、これを積極的には勧めません。性格や器用さを評価することはできず、指導力があるかどうか、いかなる仕事に向いているかを知ることはできないと考えたからです。機会の平等の基準としての納得性を欠いているため、昇進の判断に使うことは避けたほうがよいとしました。

第四の方策は、仕事への関心を刺激することでした。情報を与え、工夫や研究に褒美を与えることでした。

戦時生産の教訓

戦時生産では、工場を知らず、何をなぜ行うかを知らない多くの未経験者を迎え入れなければならなかったため、いくつかの貴重な教訓を得たといいます。

第一の教訓は、近代大量生産のコンセプトの柔軟性を発見できたことです。そのコンセプトは、自動車産業の組み立てラインにのみ適用できる硬直的なものではなく、特定の技術さえ超えたコンセプトでした。

それは、部品の標準化、作業の統合、部品の適時供給という3つの柱からなる一つのコンセプトでした。

これにより大量生産の適用範囲を拡大することができ、あらゆる作業が対象となり得ることを知りました。同時に、単純作業の強制が必要不可欠でも、効率的でもないことが分かりました。人間が、組み立てラインのスピードとリズムに縛られる必要もありませんでした。さらに、単一の終わりのない作業に縛られる必然性もありませんでした。

戦時下では、技能をもたない者に技能を要する仕事をさせなければならかったため、技能を要する仕事を、技能を要しない仕事に分解し、それらを組み立て直さなければなりませんでした。しかも、それぞれの仕事を自らのペースでできなければなりませんでした。

作業者は、作業を段階事に区切ったチャートを与えられました。そこにはスピードや温度など段階ごとの留意事項、その作業が必要な理由や目的が書かれていました。これによって、未熟練者が技能を要する仕事を行えるようになりました。

第二の教訓は、「人はお金のために働くのであり、仕事や製品のために働くのではない」という考えが間違っているということでした。

働く者は、作業、製品、工場、仕事を知り、理解しようとしていましたから、仕事と製品の関係が見えるように知恵が絞られました。その結果、効率と生産性が高まると同時に、士気と満足度も向上しました。

完成品を分解して構造を説明し、作業者に組み立てさせました。また、部品の精度の違いが製品の性能に影響することも実地に経験させました。さらに、時間動作分析と本人の仕事のスピードをつなぎ合わせ、もっとも効率のよい作業工程をつくりました。訓練係の指導、助言、助力を得て、作業者本人が作業のスピードとリズムを定めました。

人は仕事に誇りをもつときに成長すること、そのためには仕事の意味づけを必要とすることを、多くの経営幹部たちが知りました。

第三の教訓は、戦前にはいかに多くの創造力を無にしていたかへの反省でした。戦時中は、働く者に提案させ、採用分に報奨を与えることによって、技術力の向上を図るという提案制が実施され、特に新製品と新工程の開発に力を発揮したといいます。

GMでは、1944年の1年間で11万5千件の書面による提案が行われたといいます。そのうち採用されたのは4分の1でしたから、経営陣は提案の採用に熱心でなかったと言えます。

提案の4分の3が不採用だったことから、多くの者が自分の仕事を理解していなかったこと、経営側が学習の機会を与えていなかったことが分かります。また、提案数が多かったことから、平の工員たちが学ぶことを欲し、何らかの役割を果たすことを望んでいたことが分かります。

働く者の参画を促す

戦時生産の経験から、ドラッカーは3つの結論を引き出しました。第一に、必要とされているものは労使共に問題解決への積極性と姿勢だということです。第二に、まず働きかけを行うべきものが、生産工程、製品、職場コミュニティという3つの純粋に技術的な領域だということです。第三に、われわれはまだ問題そのものを扱えるほどには多くを知らず、できることは症状に対する措置だけだということです。

大量生産の新展開

第二の働きかけについて、最も早く効果をあげる可能性の高い分野が、大量生産の新展開でした。経営陣が得意とする技術的な能力だからです。戦時生産の経験の体系的な評価と大量生産に関わる新たなコンセプトの開発が必要でした。

戦時中の経験は、個々の作業ではなく、個々の働く人間に焦点を合わせた大量生産理論の可能性を示していると、ドラッカーは考えました。科学的管理法を補足する新理論の展開の可能性でした。(参考:「科学的管理法」とは何か?

働く者と製品との関係の見直し

次いで働きかけを行うべき分野が、働く者と製品との関係の見直しでした。製品への愛情に似たものを平時生産においても生み出す必要がありました。製品が何であり、何のためのものかを知るだけでも、仕事の意味と満足感が違ってきます。

労務管理の基本は、「働く者が知りたがっていること、知っていること、知らないこと」を知ることです。このために、戦時の提案制で不採用に終わったものが使えるかもしれないと考えました。

提案制は平時においても継続する価値がありますが、平時にうまくいっていた例は多くないといいます。ドラッカーがあげる原因は2つです。

一つは、生産方法についての部下からの提案に対する職長の反発です。経験十分な職長は、提案を批判と受け止めたからです。もう一つは、生産性の向上による雇用喪失への危惧です。

雇用喪失への危惧を解消する方法の一つは、提案が短期間に人員減やノルマ増をもたらすことのないことを約束することです。しかし、本当の解決は、提案が全員の利益になる仕組みをつくったときだけであるといいます。

その方法の一つとして、ソ連の工業化計画で成功した方法が参考になります。ソ連では、提案によってもたらされた余剰の半分を積み立て、住宅、病院、学校の費用に充てられました。

これに倣って、ドラッカーは、働く者にとっての3つの災厄、つまり慢性疾患、定年退職、失業への対策基金として積み立てる方法を提案しました。運用は、労使共同の委員会が行うこともできるとしました。

提案制以外に仕事を理解させる方法として、本人が職務設計に参画する方法があります。生産方法と工程の理解に大きな役割を果たし、自分のスピードとリズムで仕事ができるようになり、仕事からより大きな満足を得ることができます。経営側の視点から仕事を見ることができるようにもなります。

事業全体への理解の促進

さらに、働きかけを行うべき分野が、事業全体への理解の促進でした。

具体例の一つが「従業員へのお知らせ」と呼ばれるものですが、多くが成功していないといいます。必要なことは、従業員が本当に関心をもつことを知らせることですから、質問は従業員から出てこなければなりません。

しかし、仕事の意義づけによる心理的な満足を与える方策は重要であるものの、それだけでは十分でなく、主体的な行動があってこそ、仕事への理解も意味あるものとなるといいます。

さらに、主体的な行動の機会を与えることは、労使関係の決め手ともなり得るといいます。労働争議の原因は、相互理解の欠如だからです。先に述べたいくつかの方策も、相互の視点に対する理解をもたらすところに価値があります。

ドラッカーは、相互理解の観点から、職場コミュニティに関わる仕事には、働く者自身を参画させなければならないと言います。安全活動、健康診断、保育室、従業員食堂などの活動は、従業員の参画を得つつ行うことができるはずであり、そこでは平の工員が主体的に行動し、人に認められることができます。

この種の活動は、経営的な経験をもたせます。産業社会における位置と役割と行動を与え、意味ある活動を可能にする職場コミュニティの形成への一歩とすることができるといいます。

賃金の決定要因

労使関係の中心問題は賃金でしたが、これが誤りであることを明らかにすることも、本書の目的の一つであるといいます。

ドラッカーによると、賃金問題は労使関係の外の問題であるべきもので、争議の対象とすべきものではありません。賃金は、労使いずれの考えとも関わりなく、生産性、製品価格、競争状態など純粋に経済的な要因によって客観的に規定されなければならないとしました。

ドラッカーが指摘する賃金の客観的基準は「生産性」です。賃金は生産したものから支払われ、製品コストの一部であり、価格の一部です。したがって、生産性の向上によらない賃上げは欺瞞であり、やがて働く者自身に害をなします。

なぜなら、生産性の向上なくして賃金を引き上げるなら、単なるコスト増であり、価格を引き上げることを余儀なくさせます。その結果、市場は縮小します。消費者や他の産業に働く者にも害をなします。

生産性の向上分を、賃上げと価格引き下げの間、すなわち労働者と消費者の間でどう分けるかは、一つの問題です。しかし、この問題は、賃金水準と雇用安定の選択の問題でもありますから、需要弾性値や価格競争など、客観的なデータさえあれば解決が可能です。どちらにしても労働者のメリットになる問題です。

さらに難しい問題は、生産性の向上分を、賃金と利益の間でどう分けるかです。ドラッカーによれば、生産性の向上といえども、通常は経営側の努力によって実現されるので、賃金よりも利益のほうがより多くを得るべきであるとします。経営側と株主にとって、一層の資本投下を魅力あるものとしなければならないという事情もあります。

したがって、少なくとも向上後の生産性と平均的生産性との格差分は、利益の分け前とすべきであろうとします。とはいえ、賃金総額は膨大であり、それに比べれば利益総額はわずかであるので、労働側にとっても大きな関心のもちようがないといいます。

いずれにしても、生産性による賃金決定は団体交渉には馴染みません。共通の価値基準が存在しない限り、せっかくの集団間の交渉も、平和的な調和にいたることはありません。

戦時には、「中小鉄鋼方式」という物価上昇を賃上げの基準とする方式がありましたが、これを採用したおかげで、戦時の労使関係は円滑なものになったといいます。

賃金水準の決定においてもう一つ重要なことは、労使間における賃金の定義の違いの解消です。働く者にとっての関心は、一時間当たりあるいは一製品当たりの賃金率ではなく、賃金収入の総額です。ここに食い違いがありました。

働く者の側は、賃金と生産性の関係が見えません。経営側は、一家の収入源としての賃金の総額が見えません。働く者が生産性による賃金率の決定を受け入れるのは、賃金収入の総額が保証されたときだけです。

ドラッカーは、賃金保証制は、一定の年数を超え、一定の収入を必要とする家族持ちを対象とすればよいとします。さらに、年収の3分の2を保証すれば、家計のやり繰りはできるとします。3分の2の人間に対して年収の3分の2を保証するということは、通常時の賃金コストの半分で十分であるということです。

この水準は、過去の最悪の不況時の稼働率においてさえ超えていたといいます。ただし、工場のうちの一つを閉鎖するような場合には、問題になるといいます。また、賃金の計算や季節変動の折り込みも難しいといい、売上が一定水準以下に落ち込んだ場合の免責条項も必要であるといいます。

このように、コストの一部としての賃金と、家計を支える収入源としての賃金の間に橋を架けることによって、賃金を争議の種でなくすことが必要であるとします。

市民性を回復させる

ドラッカーは、産業社会における正義(機会の平等)と尊厳(人間の位置と役割の付与)の問題を集産主義によって解決することはできないと指摘しました。

集産主義とは、元々バクーニンが共産主義と区別するために名づけたもので、当初は、国家権力を徹底的に破壊することによって、諸個人の自由な連合、生産者と消費者の親密な協同を重視する国家権力なき協同組合社会主義のことでした。

しかしこの用語の意味は、徐々に変質し、国家という大きな集合体による生産手段の所有を意味するものになっていきました。

さらにその後、諸々の社会主義の教義や社会主義的統制一般をさすようになり(ハイエクは、社会主義を集産主義の一形態であると位置づけました。)、さらには経済に対する国家の介入や計画一般を意味するまでになりました。

ドラッカーは、元々の意味ではなく、国による資本の所有の意味で使っていると思われます。

ソ連においても、ナチス・ドイツにおいても、集産主義によって市民性を与えることはできませんでした。それどころか、産業社会の成員は、集産主義において一層非人間的な歯車とされていきました。

だからこそ、ナチス・ドイツでは、非経済的な方法によって市民性を与えようとし、結局、軍国主義によらざるを得なくなりました。

ソ連では、永久革命のコンセプトによって労働者に意味を与え、党の官僚機構で昇進の機会を与えようとしました。それも結局市民性を与えることはできず、民族の高揚、社会主義祖国の建設、聖戦の遂行に意識を向けさせようとしました。行き着く先はナチスとほとんど同じであり、軍事的な疑似解決に過ぎませんでした。

解決すべき問題は、所有権に関わる問題でも、政治的な支配権に関わる問題でもなく、近代技術の組織化に関わる問題でした。つまり、社会の代表的組織である企業組織においてこそ解決すべき問題であり、それが企業の利益になるということでした。

まず、職長については、経営側の第一線にあることを認識すれば、それを満足すべきものにし、誇りあるものにすることは、すべて経営側を強化することになります。しかも、職長は経営側の要員の宝庫ですから、これを最大限に生かし、彼らの機会を最大にすることが、未来の経営陣を発掘し、育てることになります。

同じことは平の工員にも言えます。平の工員から職長が生まれるからです。結局、働く者の能力と意欲を最大限に引き出すための方策が、生産性の向上をもたらします。

働く者のなかから、経営管理者の地位に昇進させるべき有能で意欲のある人たちを見出し、あるいは提案制のように、生産性の向上と組織の改善について働く人たちの積極的な参画を得ることは、企業そのものを強化することになります。

リーダーシップをとるのは専門家かもしれませんが、一人ひとりの人間が技術的な改善に関心をもたなければ、企業は強くなりません。自らの製品と工場に一体感をもつ者の生産性が高いことに、異論を見出すことはできません。

また、工場内の職場コミュニティの活動を働く者に担わせることによって、マネジメント上の経験をもたせることも重要です。これは本業以外の付帯的な活動ですから、経営陣の正統な機能を奪うものではありません。

そもそも、経営陣がそのような付帯的な活動に十分に理解し、時間を割くことは困難です。理解の不足した経営陣がことさら関わることによって、むしろ働く者たちが満足できない成果しか得られないのであれば、意味がありません。