研究開発のマネジメントに関わる妄説

研究開発はコストであり、投資です。研究開発を行うこと自体が有意義な業績を意味するものではなく、成果を生む研究開発だからこそ意味があります。研究開発は不確実でリスクの高い取り組みであり、成果を生むためには高度のマネジメント能力が必要です。

かつて企業における研究開発費の支出が増大したとき、その費用の大部分は非研究活動、とりわけ研究支援費の増大を示しているに過ぎないと、ドラッカーは指摘しました。例えば、事務員や報告書の作成者、大がかりだがほとんど無益な詳細説明、新しい建物、複雑な装置に費やされていました。実際の研究者も、会議への出席や書類作成業務に膨大な時間を費やしていると指摘しました。

ドラッカーは、研究開発のマネジメントに誤った思い込みや妄説が存在し、これらに基づいて行動している企業が多いことを指摘しました。いずれも、一流の研究者や研究グループの生産力を損なうものです。

妄説①:研究プロジェクトが多いほど、得られる研究成果は大きい。

「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」の発想です。これをやっていると、研究者は何に手をつけるべきか話し合うミーティングを開くだけで手一杯になり、本来の研究に着手することはできなくなります。

ドラッカーが何度も指摘し続けてきたとおり、仕事で成果をあげるには集中が必要です。研究開発においても、熟慮と集中、慎重な検討、そして持続的な努力がなければ、成果を期待することはできません。

妄説②:能力と熱意にかけては折り紙つきの、稀少な一流の研究者を有効活用するうえで、その最善の道は、能力で劣る同僚たちの後ろ盾とし、また沈滞したプロジェクトに新たな息吹を吹き込む活力源とすることである。

ある研究開発プロジェクト(プロジェクトA)が担当者の手に余っているとき、他のプロジェクト(プロジェクトB)に従事している優秀な研究者にサポートを兼務させることがよくあります。これは、研究開発に限らないことかもしれません。

こんなことをさせたら、その優秀な研究者は、どちらのプロジェクトでも成果をあげられなくなるでしょう。

プロジェクトAが本当に重要で優先順位が高いのであれば、現在の担当者を外し、優秀な研究者に交替させるべきです。プロジェクトBのほうが重要だと言うのであれば、プロジェクトAを放っておくか、やめるべきです。

大事なことは、重要なプロジェクトに重要な人材を集中投入し、成果を万全にすることです。

妄説③:研究者が多いほど大きな結果が得られ、学位は高いほどより理想的な研究者である。

学位自体が証明するものは、長い間教室に座っていたということだけです。成果をあげるための実力を証明するものではありません。本人が仕事を通じて証明するしかありません。

ドラッカーは、学問的な保証がついていない怠惰な人物より、怠惰で無能な博士号取得者のほうが、より組織を疲弊させるかもしれないと指摘します。

妄説④:研究員への要求が少ないほど、成果は大きくなる。

研究者は自由に「ぶらついている」ほうが成果が出るという考えです。確かに、研究者を監督することはできません。研究者には自律して働いてもらう必要があります。

だからこそ、一層明確かな目標が求められます。会社は、研究者が熱心に働き有意義な成果をあげるよう、より強い姿勢で迫ることが必要です。

ドラッカーによると、研究者も他の働く人びとと同様、経済的成果への要求が高いときにもっとも成果をあげます。経験上、経済的な業績や企業の経済的ニーズ、新製法、新製品、新市場に焦点を絞らなければ、科学的な研究事業からでさえ、知識、特に基礎的な知識は生まれません。

業績を要求して研究開発に何らかの足枷を課さなければ、研究開発の経済的生産性だけでなく、科学的生産性も損なってしまうことになります。

妄説⑤:研究陣を働かせておくには、書類を山積みにすればよい。

研究開発において成果をあげるためには、研究者ができる限り研究開発に時間を投入できるようにすることが当然必要です。研究開発は、書物や装置や書類や手続によって成し遂げられるのではなく、人間だけが成し遂げることができます。

ドラッカーによると、研究開発活動以外の仕事に費やす時間が、使える時間の一割を超えるようなら、研究開発費の浪費であり、研究者のエネルギーと洞察力を間違った方向に振り向けています。

妄説⑥:研究は、独自の科学的な、あるいは専門的な目標を必要とする。

研究開発には、科学的あるいは専門的知識が必要です。しかし、研究開発の目的は、あくまで経済的な成果です。したがって、事業目標が必要です。出発点は企業ニーズであり、企業目標です。

妄説⑦:経営陣は、自社独自の研究計画を選択する必要はない。リーダー企業に従えばよい。リーダー企業なら、自分たちが実行していることも把握しているに違いない。

リーダー企業に従うのが楽な方法のように思えます。しかし、それで利益が出るかどうかが問題です。

リーダー企業が何をしているかを知ることは必要です。しかし、それはリーダー企業の後追いを避けるためです。そもそも、研究開発においてリーダー企業の後追いをして勝てるはずはなく、利益をあげられるはずはないからです。

必要なことは、企業がそれぞれの研究テーマを決定することです。

妄説⑧:ほどほどの向上が見込めるプロジェクトならよしとし、3~5年くらい、ほどほどの時間をかけて推進せよ。

いわゆる「妥協的プロジェクト」です。真の研究といえる部分が多少なりとも存在し、真に未知なる部分もいくばくかあるため、研究者にとってはやりがいもあり、満足が得られる場合もあります。ほどほどの期間で、そこそこの成果が約束されるため、営業部長や経理部長など実務関係者には受けがよいといいます。

ただし、ドラッカーによると、妥協的プロジェクトには複雑な利害の絡み合いがつきものであるため、たとえ利益が出たとしても、すべて相殺されてしまいます。

妄説⑨:研究が原因で、現状に波風が立つようなことはあってはならない。特に営業部長に迷惑をかけてはならない。

研究陣には、現在成功している製品ラインに取って代わるような、よりより新製品を開発してほしくないという意味です。研究陣には既存の製品の衰退を遅らせたり、同業他社に追随したりするような「防衛的研究」に専念して欲しいということでもあります。

しかし、そのような研究開発をするくらいなら、最初から研究開発をしないほうが経費の節約になります。その代わり、自社の既存製品を陳腐化させるような新製品の開発は同業他社に任せるということになるでしょう。

妄説⑩:研究活動の対象は、明確かつ具体的な市場が存在する製品に限定せよ。

明確かつ具体的な市場が存在するということは、そこに新規性はありません。本当に新しい製品や製法の芽を完全に摘んでしまうことを意味します。

新しい製品のことは、市場調査によって知ることはできません。新規性の追求には、統計に加えて判断と勇気が必要です。現在や過去に関する数字だけでなく、経済的、社会的そして技術的な発展や可能性、変化に対する洞察力も求められます。

妄説⑪:生産性が高い研究者に報いるには、マネジャーに昇進させることだ。そのような理由であれ、生産性が高い研究者がマネジャーへの昇進を報酬として望まないのなら、生産性が最も低い研究者にマネジャーをやらせるとよい。

研究者としての生産性の高さと、マネジメント能力とはほとんど関係がなさそうです。むしろ相関は低いかもしれません。

ドラッカーは、「必要とされているのは人材そのものであって、タイプではない」と指摘します。つまり、研究者として生産性が高いか低いかというタイプによって、マネジメント能力を判定することはできないということです。あくまで、その部門のマネジャーに相応しい人材そのものを探さなければなりません。

少なくとも明らかなことは、「マネジメント」と「研究開発」は同じではないということです。

妄説⑫:実用化や応用研究に多くの資金を浪費してはならない。

研究者にとっては、実用化は野暮ったいこととみなされるようです。特にアメリカでは、実用化は導入作業であり、技術上の知識や志向が支配的な研究部門においては、蔑まされた存在として従属的な地位に置かれる傾向があるようです。