リーダーシップの原点 − キュロスのリーダーシップ①

ペルシア人にキュロスという人がおり、その人がまことに多くの人間、多くの都城、多くの種族を自分に隷属させたということを心に留めるなら、人間を支配するのは賢明な方法でなされるなら、不可能でも困難でもない、とわれわれは考え直さざるをえないだろう。

クセノフォンは、『キュロスの教育』において、巨大な帝国アケメネス朝ペルシアを築いたキュロス(キュロスⅡ世)の生涯を語ります。

帝国が築かれる過程は主として戦いによるものであるため、「支配」や「隷属」という言葉が時折使わますが、本書で語られる「人間を支配するための賢明な方法」とは、ドラッカーも述べているとおり「リーダーシップ」でした。

クセノフォンは、多様な個性や種族や文化などの違いを超えて、人々を掌握し、導くための賢明な方法が確かに存在することを、本書を通じて示そうとしました。

現代のような移動手段も通信手段もない時代に、巨大な帝国を支配したキュロスは、間違いなく偉大なリーダーでした。

ある者たちはキュロスから何日も、他の者たちは何ヵ月もかかる道程の距離を隔てていても、心から彼に服従しているのである。また、彼をこれまで一度も見たことのなかった者たちや、彼を見ることなどできないことをよく承知している者たちでも、彼に忠誠を尽くしているのをとにかくわれわれは知っている。なにはともあれ、人々は彼に衷心から従っていた。

本書で扱われる場面の多くは戦争であるため、殺戮を必然とする状況でのリーダーシップですが、企業間の競争に当てはめることは可能であり、大いに役立つ内容と言えます。

ここでは、クセノフォンが本書を通して述べているキュロスのリーダーシップを、筆者なりに要約してみたいと思います。今読めば必ずどこかで聞いたことがあるような至極当たり前のことばかりかもしれませんが、それが2000年以上前に語られ、これまで語り継がれてきたということが驚くべきことではないかと思います。

信頼

部下からの信頼を獲得するためには、まずリーダーのほうから部下に好意を示さなければなりません。部下が何を求め、何を必要としているかを知って、それをまず与えることが大切です。

部下とは、リーダーのほうからいち早く親しくなるように努めます。親しみを込め、飾らず率直に接するようにします。できるならば、その家族にも親切にし、その部下のことを褒めるようにします。

部下が必要とするものを努力して手に入れることを重視します。そのために、日頃から、部下がリーダーに配慮を求めることをよく知っておくことが大切です。

仕事に必要な情報、道具、やり方、なすべきことを十分に余裕をもってよく教えておく必要があります。部下の創意工夫を否定するのではありません。まず、リーダーが教え、質問や改善の提案をよく聞き、よいものは取り入れます。

自分が得たものを惜しみなく部下にも分け与えます。自分がリーダーとして利得を多く受け取るのではなく、一旦受け取って自分のものとしたとしても、自分の自由な行為および自分自身の喜びとして、皆への感謝の気持ちで分け与えます。

直属の部下たちも、それぞれの部下に対して同じことをするように奨励します。

しかし、部下にいつでも好意を与えることができるとは限りません。部下の善事を共に喜び、部下の災厄を共に悲しんで、彼らの困難を取り除く努力をすることも大切です。

部下が害を受けないように配慮する努力をする自分を示す必要があります。こうすることによって、部下の身近にいてやることが大切です。

部下たち以上に過酷な環境や労苦によく耐えることも、部下たちに信頼されることに役立ちます。リーダーは、自分の行為が部下の目を逃れることはできないことを自覚する必要があります。

部下を支え、導く

リーダーは部下を支え、導くことによって組織の成果をあげる存在です。

リーダーは自分自身が立派で優れたものになり、自立し、家族の生活を支えるだけでなく、部下にもあらゆる必需品を十分に所有させ、人として生きさせるすべてを心得なければなりません。

部下よりも良い場所を占め、良いものを食べ、多くを所有し、長時間の休息をとり、あらゆる点で苦労のない生活を送ることによって、部下との違いを示さなければならないと考えるなら、リーダーとしては失格です。

リーダーは前もって工夫し、労を厭わないことにより、部下と異なるものでなければなりません。

ましてや、リーダーの功名心のために部下を利用したり、部下を危険に晒したり、部下の成果を台無しにしたりしてはなりません。

リーダーもまた人間であり、感情的な弱さを持っている存在であることを自覚しておかなければなりません。リーダーは、決して私心によって動かされてはいけない存在なので、誰よりも自制心を働かせ、自制心を損なうような状況を意識的に避けるという行動が求められます。

部下を食べさせることができないリーダーは、リードする権限が失われていると考えて間違いありません。特に十分にうまく行っていると思えるときにこそ、次の飯の種を考案しなければなりません。うまく行っているときにこそ、進んで協力する者が現れ、より多くの物が得られます。

だからといって、部下を甘やかしてはいけません。仕事を通して、部下を鍛え、優れた者にすることに配慮しなければなりません。

率先垂範

部下はリーダーの真似をします。部下は常にリーダーを見ています。したがって、リーダーは、基本的に部下に真似をされても構わない、あるいは積極的に真似して欲しい態度や言動を行うことを鉄則としなければなりません。

リーダーは組織の目的を明確にし、目的に応じた戦略や優先順位を定め、それに従って速やかに実行しなければなりません。リーダーは率先垂範し、部下は決定事項に関するリーダーの行動に従順でなければなりません。

リーダーも部下も目的に適った行動によってのみ評価されなければなりません。

リーダーは優れているという点において人々を敬服させ、進んで従わせる気持ちにさせることが重要です。

危機に際しては、先頭に立って恐れずに立ち向かい、勝利を手にする気概を持たなければなりません。部下を従わせるときは、自分や部下たちがこれまで行ってきた努力を思い出させ、勇気を鼓舞するようにします。

コミュニケーション

自分が行動するときには、必ず関係者を集め、行動の理由、動機、目的、内容などを自ら詳しく説明し、その理解を促すための質問をし、意見を求め、明確な結論を出し、皆でそれを共有したうえで心を一つにして事に当たることを心がけます。

自分が判断を下すときには、部下の意見や弁明を聞きます。

自分の部下にも率直に分からないことを質問し、熱心に学ぶ姿勢を示すようにします。自分が質問されたときには、その場で即座に惜しみなく知っていることを教えます。

ただし、リーダーがすべての人の意見を聞こうとするのは大事であるものの、そのためにリーダーとしてなすべきことをするための時間を失っては意味がありません。

意見を直接聞くべき人は選ばなければなりません。通常は、その人の日頃の仕事ぶりや成果に応じて選ぶべきです。日頃仕事ぶりが悪く、また成果も十分でないにもかからず、平等に意見を言わせて何かを得させようとするのは、公平な対応ではありません。

基本的には、直属の上司に貢献し、その貢献に応じて上司は意見を聞き、さらに上位の上司に伝えられていくのが組織としての正常なあり方であす。

責任

リーダーたるもの、組織の行く末は、自らの努力によって培った経験や能力と自らの責任とにおいて判断し、決定し、行動します。

他人の意見を聞くことは必要でも、最後は、自らの目で現場を見て、自ら決めなければなりません。

リーダーはすべての行動を自ら行うことはできないため、部下に指示を出し、実行を委ねる必要があります。

部下に指示を出す際は、必ず実行の責任を負う者の名前を明らかにしなければなりません。それは本人だけでなく、誰でも分かるようにしておく必要があります。責任が明らかにされていることで、優れた成果をあげたいという願望を抱き、恥ずべき結果を避けようと努力するからです。

個人の責任を明らかにせず、ただ集団に対して行う指示は、責任の所在が不明確であるため、適切に成し遂げられることはありません。成し遂げられなかった際の責任も恥も恐怖も分かたれ、薄められてしまいます。

そのうえで組織が逆境に直面したときは、リーダーは自らの責任として戒める必要があります。順境のときには、奢らず部下への感謝を忘れないようにします。

信賞必罰

リーダーは、目的の達成に向けて組織を導くということにおいて、なすべきこととなすべきでないことを明らかにし、その方針を守らせなければなりません。

したがって、方針に従う者と従わない者への対応は、厳格に区別しなければなりません。他の者たちにも、はっきりとその違いが分かるように明確な評価と処遇をしなければなりません。

方針を決めたら、しばしば自ら現場を見聞し、方針に適った優れた行動をとっている者は、時を置かずにできるだけ皆に分かるように褒めることで、他の者も見習うようになります。

成果をあげた部下には十分に報いる必要があります。また、その部下にも部下がいることを考え、自分が部下を報奨することを模範として、同じことをさせます。

間違いや反抗に対しては、厳しく対処しなければなりません。ただし、追い詰め過ぎてはいけません。反論の機会は与え、最後の逃げ道、すなわち反省して改める道は残さなければなりません。

賞罰によらず進んで従わせることが望ましいことは言うまでもありません。人は、自分より賢明な者を自分に役立つ者とみなし、リーダーとしてその者に喜んで従います。そのようなリーダーが定めるルールには、進んで従います。そうすることによって自分にも利益があると思うからです。

従うことによって不利益を受けると思ったら、罰によっても従おうとはしなくなります。ですから、部下の中に、苦労や努力を誰よりも少なく済まそうとしながら、より多くを得ようとする者がいることを許してはいけません。

人は厳しい道よりも安逸な道を選び易く、一人でもそのような者の存在が許されていると思えば、多くの者がそちらの側に流されがちになるからです。

首尾一貫

リーダーは目的を明らかにし、そのための戦略を定め、その戦略に従って資源を配分したら、それらに適合した戦術をとらせなければなりません。

臨機応変さは重要ですが、戦略を台無しにするような戦術を取るくらいなら、一旦撤退することを恐れてはいけません。

戦術が戦略に則っている限り、戦術の実行においては部下を信頼し、任せることも、部下への教育とという意味で重要です。

賢明さ

人より賢明であることにおいて騙しは通じません。学び、努力や工夫を重ねることによってこそ、本当に賢明になることができます。

賢明であるなら、よいと思うことは実行しなければならず、必要だと思うことを無視してはなりません。

人は憶測によって間違った行動をとりやすことを心得て、自分自身も部下も組織も危険に曝さないように気をつける必要があります。

そのために、知識として学べることは学んでおくべきです。自らの経験によってしか学べないようであってはいけません。どのような人がどのような状況で成功し、あるいは失敗したのかを、書籍などを通じてよく学んでおくことです。

部下に嫉妬しない

リーダーが恐れるべき最大の過ちは、優れた部下に嫉妬することです。

本来、リーダーは組織全体の成果を求める存在であり、組織全体の能力を高めるためには、部下の一人ひとりが優れた者になることこそリーダーの喜びでなければなりません。

リーダーが部下に嫉妬し始めると、組織全体の成果を見失い、その部下の失敗を喜んだり、他の部下がその優秀な部下を批判したりすることを喜んだりするようにさえなります。

嫉妬は良心を曇らせ、容易に相手の粗を探し出します。嫉妬する者の理性は、たやすく自分を正当化する道具と成り果てます。

優れた部下がいてこそ組織は成果をあげることができるのであり、組織の成果こそがリーダーの成果であることから、優れた部下は素直に褒め称えなければなりません。

優れた部下は褒められてこそ力を発揮し、自分を褒めてくれるリーダーのために力を尽くそうとするものです。部下の成果は、自分のことのように喜ぶべきです。

謙虚さ

常に奢らず、謙虚に自らを省みる姿勢を示します。

キュロスの場合、軍事行動を取る際など重要な意思決定をするときは、必ず、神々にお伺いを立てるという儀式を重視しました。

多くの人々に影響を与える重要な決定は、神々に見られても恥ずかしくない心、すなわち、自分の欲得や独断や偏見をできるだけ排して虚心坦懐に行おうとする姿勢がありました。

神々は永遠に存在し、過去のことや現在のこと、およびこのすべてのことから起こること、これら一切のことを知っておられ、人間たちが神々に意見を求めれば、神々は好意を持っておられる者たちに、しなければならないこと、してはならないことを前もって知らせてくださると、考えられていました。

弱点を隠さない

自分の弱点を堂々と部下にも晒し、部下との競争で負けても素直に認めることが大切です。組織は、一人ひとりの強みを集め、強化し、弱みを補い合うためにつくられるものですから、部下はリーダーの強みだけでなく、弱みもよく知っておく必要があります。

しかし、自分の弱点を克服する努力は怠ってはなりません。

部下に希望を持たせる

部下に熱意を持たせる点でも、人間に希望を抱かせうること以上に適切なものはありません。

ただし、よい期待を抱かせながら、それをしばしば裏切れば、真実の希望を語ったときに説得できなくなります。自分が明確に知らないことについては、いい加減に語ることは避けなければなりません。

組織の目的に適った部下を選ぶ

部下を充足するときは、同郷であることや同窓であることなど、何らかの縁を優先するのではなく、組織を最も強力にし、組織に最もよく成果をもたらしてくれると思われる者を選ばなければなりません。

これは至極当然のことでありながら、なかなか尊重されません。縁に引かれる人は多く、縁があることで親近感を感じるために、根拠もなく信頼でき、あるいは優れているかのように勘違いしていることがしばしばあります。

リーダーにとって最も重要な役割は、組織の目的に適った優れた人材を選び、育てることです。優れた人材は、優れた仕事をしてくれるからです。

目先の利益より富の源泉を優先する

目先の利益を求める者は富を短命にしますが、目先の利益を捨てて富の生まれる源泉を獲得することが富をより永続的なものにします。

現代的には、コスト削減やリストラによって利益を見せかけるようなことを戒めるものです。利益を得るためには相応の代償(コスト)が必要であることを忘れてはいけません。

敵に情けをかけてはならない

組織を率いるリーダーは、闘いや競争に晒される現実を直視しなければなりません。

敵でない者、敵であることが明らかでない者に無闇な闘いを挑むことは慎まなければなりませんが、明らかな敵とみなされる者、明らかにこちらを攻撃する意図を持つ者に対しては、弱みや甘さを見せてはいけません。

闘いにおいて敵より優位に立つ方法は、本心を明かさないことであり、陰謀を企むことです。「陰謀」というと犯罪的な印象を与えるかもしれませんが、いわゆる戦争のような暴力的な闘いではなく、企業間の競争のような場合は「戦略」あるいは「作戦」と言い換えることができます。

正々堂々の闘いにこだわるあまり、こちらの手の内を曝け出し、いわゆる「宋襄の仁」のように無益な情けをかけたりして、こちらが騙されたり、負けたりすることは、リーダーとして失格です。

宋襄の仁
「春秋左伝」僖公二二年から。無益の情け。つまらない情けをかけてひどい目にあうこと。宋の襄公が楚と戦ったとき、公子の目夷が敵が陣を敷かないうちに攻めようと進言したが、襄公が人の困っているときに苦しめてはいけないと言って敵に情けをかけたために負けてしまったという故事による。

例えば、狩りをするときには、あらかじめ獲物の特徴や状況をよく知り、逃げるであろう方向にあらかじめ罠を仕掛け、安心させ、獲物には自分たちが見えないところで待ち伏せて観察します。あるいは罠の方向に誘導します。

そのような行為は、企業間の競争においても同じです。騙しという言い方もできますが、少なくとも合法的な競争において、そのような作戦は常に行われていることです。

競争優位という言葉もあるように、できる限り優位な立場に自分たちを置き、勝つべくして勝つ闘いをすることは、リーダーとして部下をなるべく危険に晒さず、組織を守り、発展させるために必要なことです。

「敵に情けをかけない」ということについては、あくまで自軍を危険に晒すような形で情けをかけないという意味であり、敵が降伏する場合や、敵国の平民に対して残虐な行為を行うという意味ではありません。

キュロスは、降伏する敵兵を攻撃することはありませんでしたし、略奪は許しませんでした。戦争は兵士同士が行うものであり、非戦闘員に攻撃を仕掛けることはありませんでした。

敵地での平民の生活はできる限り維持されるよう敵国と事前に協定を結ぶこともありましたし、敵地の商人たちが自軍の兵士向けに商売をすることさえ許しました。

自軍が優勢になった場合は、戦闘を停止して、相手に降伏を促す場合もありました。劣勢な中で果敢に戦う敵兵に対しては、自軍に招き入れて手厚く処遇することさえしました。