テイラーの出来高払制度

賃金の出来高払制度については、通常、単位生産当たりの賃率を一定にし、出来高に賃率を掛けて賃金を決定します。この制度によって、労働者が出来高を増やそうとする動機づけになると考えられますが、実態は、むしろ組織的怠業を横行させました。

フレデリック・ウィンズロー・テイラー (Frederick Winslow Taylor)は、従来の出来高払制には、労使の間に永久的な対立要素があり、高い能率を発揮する労働者は必ずある程度の罰を受けなければならないと指摘します。

テイラーが提案した出来高払制度の改良案は、次の3つの主な要素によって成り立っています。

  1. 基本的な単価を決定する部門の設置
  2. 率を異にする出来高払制度
  3. 日給制度で働く労働者を最もうまく管理する方法

この制度における基本的単価(作業単価)の決定方法は、次のとおりです。

  1. 一つの工場内で、様々な作業をできるだけ細かい要素的作業に分解し、分析して、各要素的作業に要する時間を注意深く測定します。
  2. 要素的作業を分類し、記録して、索引をつけておきます(データベース化)。
  3. ある仕事の請負価格または賃金を決めるときは、その仕事を要素的作業に分解し、記録を参照して要素的作業ごとの時間を見つけ、合計して全時間を算出します。

このようにして明らかにされた全時間に、あらかじめ定めた時間単価を掛けて、作業単価を出すことができます。請負金額を決める場合は、全体時間に関わる作業単価以外に、材料費や機械運転費用などの間接費、マージン率なども考慮される必要があります。

率を異にする出来高払制度では、同じ仕事に対して二種類の賃率を設定します。仕事を最短時間で仕上げ、かつ条件を完全に満たした場合は、高い賃率で払います。長い時間がかかったり、条件を満たさない点があったりした場合は、低い賃率で払います。高い賃率は、類似の工場で普通に支払われている賃率よりも高く設定します。

テイラーが重視するのは「人に払うのであって、地位(職種など)に払うのではない」という考え方です。各労働者の熟練や努力の程度、仕事の精度、行いの良し悪し、几帳面の度合い、出勤率、正直不正直などを組織的に注意深く記録しておき、これを基に仕事の配置を決め、賃金を調節します。管理者は、各労働者の違いを考慮して動機づける努力をしなければなりません。

この管理制度の利点は次のとおりです。

  1. 製品の生産コストが下がると同時に、労働者の賃金が上がります。
  2. 単価の決定は正確な知識と観察に基づくため、労働者は皆均等で公平に扱われ、怠業や誤魔化しといった気風はなくなります。
  3. 労働者は、努力して良い製品をより多く生産しようと動機づけられます。
  4. 管理者と労働者との間には、険悪な感情や闘争ではなく、協力関係がつくり出されます。
  5. 各作業に最適な労働者が自然に選別され、怠け者や不適任者はいられなくなります。

製造現場における制度と管理の重要性

テイラーが実際に製造現場に携わって感じたことは、管理の悪さでした。営業部門や経理部門などに比べて、製造部門に対する経営者や資本家の管理意識は非常に低かったようです。ほとんど現場に任せきりであったといいます。

管理に必要な制度も、事務部門では整備されているものの、製造部門ではほとんど整備されていないことが多かったようです。制度がなければ管理は不十分になり、持続的で安定した事業は成り立ちません。

日給制の問題

当時の工場で一般的であった賃金制度は、日給制でした。

労働者をいくつかの地位(職種、階層など)に分け、地位ごとに一定の賃金を支払います。個人の特性、努力、熟練、信頼度などは無関係ですから、労働者が努力する動機づけはありません。職を失わない程度に仕事を少なくするのが得であるという発想になるため、全体の努力レベルを引き下げる方向に力が働きます。

労働者は地位ごとに団結し、団体争議を行ったり、同盟罷業を行ったりして、使用者に賃上げなどの要求をするようになります。団体行動が得だからです。このようにして労使間の不信感や対立が深まっていきます。

このような状況を見て、テイラーは、労働者を地位(集団)として扱うのではなく、個々の人間として扱うことが重要であることを主張しました。

そのためには、使用者側の努力がまず必要です。職長などの管理者が、個々の労働者の出勤率、几帳面の程度、仕事の品質および量、同僚や上司に対する態度など、特長や仕事ぶりをよく観察し、記録したうえで、それらに基づいて賃金その他の報酬を与えるようにします。

使用者が、労働者を一人の人間として評価せず、集団としてしか見ないから、労働者も集団として意思表示するしかなくなります。一人の人間として認められ、評価されるのであれば、集団的な示威行為などしなくても、一人の人間としての努力や誠意を示すことで足りると考えるようになります。

使用者は、このような努力を非常に面倒で手間やコストがかかると思いがちですが、この手間をかけることによる生産性の向上はそれを十分に補って余りあるものがあります。それはテイラーが多くの実践を通して証明してきたことです。

ただし、日給制のもとで個々の労働者の特長を詳しく調べ上げることは困難です。日給制自体が労働者の仕事に対する努力を阻害するからです。そこで、出来高払制度が活用されます。

努力に応じて賃金が増えるという仕組みを導入することによって、労働者が努力する価値を感じられるようになれば、常に監視をしなくても、労働者が主体的に能力を発揮するようになります。労働者がもつ特長や能力、姿勢などが仕事に発揮されるようになれば、数字として客観的に現れるようにもなります。

従来の出来高払制度の問題

日給制度は、事実上時間払制度であり、一日の働く時間が決まっていることによって支払額が決まります。地位によって金額が一定であるということは、仕事の内容が決まれば、誰でも同じ時間で同じ仕事量をこなすという前提があるということです。個々人の努力や能力の違いを考慮していません。

出来高払制度は、生産高に応じて賃金を支払う制度ですから、単位生産高に対する賃金(賃率)を決めなければなりません。そのためには、単位生産に必要な作業時間を把握しなければなりません。これができて初めて、一日の作業時間に相当する出来高を決めることができますので、日給制から出来高払制に移行することができます。

出来高払制では労働者の生産高に応じて賃金が決まるため、一般的に、労働者は生産高を増やす方向に動機づけられると想定されます。ところが、実態は必ずしもそのようにはなりませんでした。

動機づけによって、当初は生産高が増えます。また、同じ仕事を繰り返していると慣れてくるため、段々とスピードが上がってきて、生産高は更に増えていきます。そうすると、使用者は自分もその利益に預かるべきであると考えるようになり、賃率を切り下げ、しばらくすると、どんなに働いても、日給制の頃の賃金よりも僅かに高い額に戻ってしまいます。

生産高が増えて賃率が切り下げられることが何度か繰り返されると、労働者からすれば、努力するだけ損だと考えるようになります。その結果、仕事の速さを加減して、ある程度の速度や作業量でとどめるようになってきます。

新しい仕事が出てきた場合、労働者に実際に仕事をやらせてみて必要な時間数を把握することが一般的ですから、そのときにできるだけゆっくり作業することで、なるべく時間がかかるように見せるのが自分たち労働者の利益になると考えるようになります。

常に、そこそこの仕事量でそこそこの賃金をもらおうとするようになり、これが組織的怠業につながっていきます。皆で示し合せて、ゆっくり作業をするようになるわけです。

ここに労使間の信頼関係はありません。労働者から見ると、使用者は労働者の努力から搾取する存在に見えます。使用者から見ると、労働者は目を話せば怠ける存在に見えます。

所得分配制による改良

所得分配制では、ある時点での仕事の標準時間をもとに単価を決めておきます。その後、会社の所得が増えた分を労働者と使用者との間で分けるようにします。

この制度は、使用者がその約束を守ることを労働者が信用できれば、うまく行く場合もあるといいます。

しかし、標準時間の決め方が曖昧で客観性がないため、労働者としては、標準時間を決めるときにできるだけゆっくり作業をする方が得であるという発想になります。

所得の分配も全体的な分配であるため、個々人の努力や創意工夫を動機づけることができません。他人の努力によっても所得を分配してもらえるのであれば、努力しない方向に動機づけられ、結局、怠け者に引きずられる結果になります。

所得分配の時期にも問題があります。努力の成果が即実感されないため、目の前の利益、すなわち怠けることにメリットを感じるようになりがちです。

もっとも難しい点は、所得分配である以上、損失が出た場合も分配され、賃金が引き下げられることです。これを受け入れる労働者はほとんどいないといいます。

テイラーは、会社の所得を労働者の賃金として分配するという発想自体を問題にします。会社が利益を出すか損失を出すかは、経営判断による場合がほとんどであり、労働者一人ひとりの努力を超えた意思決定に属するからです。

労働者にとって、どのようにどのくらい努力すれば会社の所得につながるのかがはっきりしなければ、動機づけにはなりません。結局、そこそこの仕事量でそこそこの賃金をもらおうという発想に落ち着くことになってしまいます。

労使協調の可能性

一般に、労働者側は、就業時間に対してできるだけ多くの賃金をもらいたいと考えます。経営者や資本家は、支払った賃金に対してできるだけ多くの仕事をしてもらいたいと考えます。これらは根本的な対立であるように見えますが、テイラーは、次のような考え方によって両者を協調させることができると考え、実際に実行して正しいことを証明しました。

  1. 労働者は、その作業時間に対し、今までよりも多くの賃金が得られることを永久に保証されることによって、どんな産業においても一日あたりの生産高を現在より遥かに増すことができ、また増すことを欲する。
  2. 経営者は、その工場における一人一機械当たりの生産高が、従来に比例していっそう多くなるならば、単位生産高当たりの賃金を永久に増加することを約束することができる。

製造間接費は、賃金総額に比べて高いのが普通であり、ほとんど固定費ですから、現有設備の範囲で生産高が増加すれば、単位生産高当たりのコストは減少していきます。したがって、賃金を増加させることは可能になります。

「永久に」という言葉が使われていますが、「生産高が増加する限り」という意味に理解することができると考えます。現代的には、需要が伴っていることが前提です。

上記の考え方を成り立たせるための障害になっているのは、テイラーによると、各作業に要する最短時間についての知識が足りないことです。従来の出来高払制度がうまく行かないのも、労使双方が納得できる客観的な作業時間が分からないことが、互いの信頼感を損なっています。

最短時間を知るためには、科学や技術の適用が必要であり、労働者の創意工夫のみに委ねることは相応しくありません。テイラーは、単価決定部門を工場に設けることを提案しています。

要素作業の分析

旧来の単価決定方法では、過去に行った様々な仕事の一つひとつについて、全体時間を記録しておきます。後に新しい仕事が生じて、その単価を決めたいときには、記録を当たって最も似ていると思われる仕事を見つけます。そして、両者の違いを考慮しながら全体時間を推定します。この方法は、記録された仕事そのものが最適化されているとは言えず、さらに推定が加わることになります。

テイラーが提唱する方法は、まずその工場で行われるあらゆる種類の作業を要素に分けて、それら各要素に要する時間を測っておきます(『工場管理法』では、賃金も要素ごとに決めると言っています)。

新しい仕事の最短時間を求めようとするときは、その仕事を要素に分解し、記録を参照して、個々の要素の時間を合計します。これらの役割を担うのが、単価決定部門です。

要素に分ける理由は、要素に細分化することによって、不必要な要素を排除し、非効率な要素を改善しやすくなるからです。そのようにして、必要かつ最適な要素ごとに時間を測定し、分類・整理して記録しておきます。

作業時間は労働者が標準と認めることができるものでなければなりませんから、その作業に熟練した労働者に実際に作業を行ってもらい、測定します。

このような要素作業の分析、改善、測定を行う単位決定部門は、大変困難で過大な業務量があるように思えるかもしれません。しかし、テイラーが何十年も運用してきた経験によると、大抵の工場では一人で十分であったといいます。しかも、常時かかり切りである必要もないといいます。日常的には同じ作業が繰り返され、新しい仕事の場合も、多くは既存の要素作業が含まれることが多いからです。

なお、要素作業を最適化する場合、基本的には人が行う作業が中心ですが、機械の最適化も望まれます。少なくとも、機械の能力について詳しく調べておくことは必要です。常に機械を最適な状態に保ち、最高の生産高をあげられるように稼働させるためには、日頃の手入れ方法も標準化しておかなければなりません。

率を異にする出来高払制度

一日に要求される出来高以上の生産高をあげ、品質にも問題がなければ、高い賃率で支払います。要求される出来高を完了できなかったり、品質に問題があったりすれば、低い賃率で支払います。これが、テイラーの推奨する出来高払制度でした。

高い賃率は、類似の工場の類似の仕事で支払われている賃率よりも十分高いものでなければなりません。会社が定める作業方法を遵守させたうえで、一定の出来高を要求する以上、相応の報酬を払わなければなりません。

高い賃率を正確に決める理論的な方法はありませんが、テイラーは、仕事の種類に応じて、次のような参考値を示しました。

  • 特別の頭脳や勉強、熟練や骨折りを要しない普通の工場作業:+30%程度
  • 特別の頭脳や熟練は必要ないが、労働が激しく、体力を要し、疲労が大きい仕事:+50~60%程度
  • 少し細かく難しく特別の熟練と頭脳と相応の勉強を要するが、肉体労働は激しくない仕事:+70~80%程度
  • 熟練と頭脳と細心さに加え、力と労力を要する仕事:+80~100%程度

テイラーは、これを「正義の要求」であると言います。労働者が怠業するのは、努力しても意味がないと考えるからです。つまり、会社で正義が行われていないと感じるからです。

ただし、テイラーの経験によると、高すぎるのは良くないといいます。働き方が不規則になり、無精になり、贅沢になり、道楽に陥る傾向が出たからです。上記の程度の高さが、勤勉さと貯蓄の傾向を生んだといいます。

低い賃率は、もっと努力しなければならないと思わせるほどの低さでなければなりません。怠けてもそこそこ貰えると思わせる金額では、努力の動機づけにはなりません。

動機づけに当たって重要なことは、自分の出来高がどうなっていて、いくら貰えるのかがはっきり分かっていることです。曖昧な見込みで動機づけることはできません。テイラーは、必ず毎日出来高を評価し、賃金を計算し、翌日にはその結果を示すことを提案しています。これは管理者にとっても仕事の進捗を知るうえで必要なことです。

さらに、管理者は、各労働者のその日の作業の進捗について、定期的に検査をし、現在どこまで進んでいるか、品質に問題がないかを知らせ、問題がある労働者には必要な指導を行うことを求めています。このようにすることで、労働者と管理者が互いに信頼関係を築き、協調して生産高を高めていこうとするようになります。労働者にとって、管理者は自分の賃金を増やしてくれる存在になります。

このような仕組みをもつ出来高払制度であれば、その仕事に適した優秀な労働者を引きつけ、適していない労働者はいづらくなります。努力しても要求出来高に到達できない労働者も出てきますが、そのような労働者はその仕事に向いていないということですから、他の適した仕事に配置換えするようにします。

出来高払は個人ごとに評価することが原則ですが、中には数人が共同して作業を行わなければならない仕事もあります。その場合、共同作業に対して出来高払制度を適用することになります。

共同作業に支払われる賃金を更に各労働者に分配する場合も、受け持ちの作業に払う努力や品質などの貢献度を参考にしなければなりませんが、これは簡単ではないようです。テイラーの経験では、共同作業では収入が減り、不満を抱く元になったため、特別の場合にしか認めなかったといいます。しかも、なるべく力の揃った者を組み合わせることにしたといいます。

怠けるかどうかとは別に、仕事には適不適がありますから、仕事ごとに適任者を明らかにしておき、相応しい担当者を適切に人選するということも重要です。テイラーは、これが第一に必要なことであると言います。不適任者を教育によって要求出来高に到達させることは困難だからです。