戦略の前提

戦略(経営戦略)は、事業の定義を現実の成果に結びつけるものでなければなりません。同時に、戦略が望ましい成果をあげないときは、事業の定義が適切でないことを明らかにしている可能性も考える必要があります。

企業は社会のなかに存在している以上、社会環境の影響を受けざる得ません。社会環境を無視しては、事業は成り立ちません。ドラッカーは、戦略には前提とすべき外部環境の変化が5つあると言います。これからの時代にあって必要なのは、経済に関わる前提ではなく、社会と政治に関わる前提です。

これらの前提を、いかに自社の機会とし、戦略を構築できるかが鍵になります。

先進国における少子化

戦略への影響としては、労働力人口の減少と市場の変化です。

労働力人口の減少

大量移民を本格的に受け入れるか否かの選択を迫られます。

わが国の年金制度の現状は賦課方式(現在現役で働く世代が払い込んだ保険料を、現在の年金受給者に支給する仕組み)であり、少子化は年金破綻の原因になります。

平均寿命の伸長もあり、年金支給年齢を上げつつ、定年年齢の更なる延長あるいは再雇用は不可避です。

市場の変化

高齢者が当面市場の中心を担う存在になります。

現在の高齢者は、比較的、経済的に豊かであるとされているようですが、これから先もそうである保証はありません。少子化の影響で年金制度の維持に問題が出てくることが予想されているからです。

少子化は、当面、子ども向け市場が縮小し、長期的には市場全体の縮小につながっていきます。

ただし、子どもの減少は、直ちに子ども向け市場の縮小につながらないという意見もあります。一人ひとりの子どもの存在感が大きくなるため、子どもにかける費用が一層大きくなるとも言えるからです。

親の可処分所得のうち、子どもに使う分はむしろ増加しているとも言われています。俗に、「子ども一人に、財布が6つ」と言われるように、両親だけでなく祖父母の支出も期待されます。

支出配分の変化

市場シェアではなく、顧客シェアに関わる問題です。つまり、顧客の全支出のうち、自社が提供するカテゴリーの製品やサービスに使ってもらっている割合です。

顧客シェアは、一度変化して落ち着くと長期的に変化しにくく、好不況の影響さえあまり受けないと言います。

カテゴリー間の変化もさることながら、カテゴリー内での変化も重要です。自社の製品やサービスの具体的な内容に関わるからです。

支出配分の変化を知るには、マクロ的にはGDPの内訳の変化、ポピュラーなものとしては家計調査があります。詳細には、大規模POSデータの有料サービスも利用できます。

自社が関わるサプライチェーンのデータも当然利用できるでしょう。自社の顧客に直接アンケートをとって調べている企業もあります。

産業のライフサイクルの見極め

支出配分の変化から、自社の属する産業が成長しているか否かを見極めます。戦略やマネジメントの方向性が変わるからです。

ドラッカーは、大きく3つに分けています。

  • 成長産業:
    • 需要の伸びが国民所得や人口の伸びを上回る産業
  • 成熟産業:
    • 需要の伸びが国民所得や人口の伸びとほぼ同じ産業
  • 衰退産業:
    • 需要の伸びが国民所得や人口の伸びを下回る産業

成長産業では、自らが未来をつくるという姿勢での経営が必要になると言います。イノベーションの先頭を切り、リスクを冒さなければなりません。

成熟産業では、いくつかの的を絞った重要な分野、とくにコストと品質が意味を持つ分野でリーダーの地位に立つ経営が必要であると言います。変化に適応できる柔軟性、ニーズを満足させる方法の変化に適応できる経営が必要です。そのためには、提携、パートナーシップ、合弁が有効です。

衰退産業では、製品やサービスはコモディティ化しており、製品やサービス自体での差別化は困難です。量的な拡大によってシェアを奪い合うべきではありません。コスト削減と品質向上のための体系的な努力によって、産業内での地位の確立を目指すことが重要であると言います。

いずれにしても、戦略を立てるうえでは、量的な変化と質的な変化の両方について分析する必要があります。

コーポレート・ガバナンスの変容

コーポレート・ガバナンスとは、直訳すると「企業統治」になります。「企業は誰のものか」、「誰のために経営するのか」という問題に関わる考え方です。

企業は、顧客のため、株主のため、あるいは従業員のために経営するという考え方がありますが、主流としては、これらのうちの特定の人たちのためでなく、様々な利害関係者の利益をバランスさせるという考え方でしょう。

直接的な所有者は株主ですから、株主のために経営されるべきという考え方がアメリカにおいて一時主流となりました。

しかし、ドラッカーが指摘したとおり、株主の大半は、年金基金といった将来の年金受給者を代表する機関になっていることから、株主の実質は従業員(ただし、自社の従業員であるとは限らない。)であるという実態になっています。

当然、企業の収益源は顧客ですから、企業が顧客のための機関であることを放棄することはあり得ません。

ちなみに、わが国の株式投資家の構成を見ると、外国法人等が最も多く、次いで、国内の事業法人等、信託銀行、個人などとなっています。年金資産の多くは、信託銀行に含まれているようです(参考:日本取引所グループ『2018年度株式分布状況調査の調査結果について』(2019年10月10日))。

外国人株主が増加すると、経営は株主の利益を重視するようになる傾向が確認されています。外国人株主はROE(Return on equity = 自己資本利益率)を重視するようですので、外国人株主が多い企業では短期的な利益を重視する傾向が強まると言えます。

ただし、外国法人等の比率は、僅かですが減少傾向にあり、代わりに信託銀行が増加傾向にあるようです。両者は拮抗しつつありますので、株主の視点からも長期的利益を重視する姿勢は必要になります。

株主重視に加えて、ドラッカーは、近年主流になりつつある知識労働者のニーズを充足させることの重要性を指摘しています。彼らの特徴は、経済的なインセンティブというより、やりがいのある仕事や働きがいのある職場を重視するという点です。それらが知識労働者の生産性を高めるうえで重要になります。

組織の目的や使命、それらを果たすうえで求められる成果を明確にし、そのための戦略を構築しなければいけません。知識労働者を鼓舞するためには、それらは必須です。

単に利益を最大化するといった戦略は論外です。利益は絶対に必要ですが、目的や使命を果たすための条件であり手段です。

グローバル競争の激化

ドラッカーは、たとえ国内だけで事業が完結している企業であっても、グローバル競争から逃れることはできないと言います。なぜなら、海外から国内に競合が進出してくるからです。物理的に進出しなくても、インターネットの普及によって、世界中の市場がつながってしまったからです。

あらゆる企業がグローバルな競争力の強化を戦略目標としなければならなくなっています。「グローバルな競争力を強化する」という意味は、世界のどこかにあるその業種のリーダー的な企業が設定している事実上の基準に達しようとすることです。

グローバル競争力というと、安価な労働コストをイメージしがちです。日本の製造業が中国に進出して国内が空洞化し、中国の人件費が高くなればベトナムに移転し、などといった動き方です。国内企業が海外企業と競争するときには、国内人件費の高コスト構造によって競争できないということが常に言われます。

しかし、ドラッカーは、もはや賃金コストの優位性によって企業の発展を図ることは不可能になったと指摘します。世界のリーダー的存在と同水準の生産性を達成しない限り、繁栄するどころか、生き残ることさえできないと言います。

その理由としてあげられているのが、特に製造業において、コスト全体に占める肉体労働の比重はせいぜい1/8に過ぎないということです。要するに、「肉体労働が低コストだから事業の生産性が高い」と言える時代ではないということです。

ホワイトカラーの高賃金が問題でもありません。問題は、ホワイトカラーが賃金に見合った高い生産性、すなわち高い付加価値を生んでいないことです。生産性の向上は、高い技術力などによって高い付加価値を生み出すことが必要であるということです。

厳しいグローバル環境に置かれる産業に対しては、歴史的に、関税を高くする、輸入割り当てを小さくする、補助金を出すなどの保護貿易で対処しようとしてきました。しかし、保護貿易は、産業を弱くすることはあっても、強くすることはできません。

マイケル・ポーターは、日本の官僚主導政策が産業の競争力を高めたと考えられていた頃に、詳細なケーススタディや実証研究を行い、全く逆の結論を見出しました。つまり、日本の産業は、政府が競争を管理した場合に失敗し、政府が自由な競争を許した場合に成功したことを明らかにしました。(参考:『日本の競争戦略』ダイヤモンド社)

ですから、国家がグローバル競争から保護してくれるという発想をもつべきではありません。グローバル競争は現実の問題として受け入れ、世界のリーダー的企業が事実上設定している基準を学び、その基準に照らして、自社のマネジメントを評価していかなければなりません。

政治の論理との乖離

経済はグローバル化していますが、政治は全く逆の動きをしています。

政治において国境はなくなりません。経済がグローバル化するのと同時に、国家はむしろ小国に分裂していきました。ドラッカーによると、金と情報がグローバル化したために、小国でさえ経済的に自立できるようになったと言います。

EUのような経済共同体においても、政治は分裂しており、国内政治が域内経済よりも優先されます。国連などの国際機関は、結局、大国の思惑によって事実上機能していないことははっきりしています。

現状では、3つの世界が重なり合って存在しているとドラッカーは指摘しています。

  1. 金と情報が純粋に経済的な原理に従って自由に移動するグローバル経済
  2. 物の移動が自由であって、サービスと人の異動の障害が大幅に除去された地域共同体の経済
  3. 政治が支配する国や地方

2.の地域共同体は、域外との経済障壁は高いものがあり、その思惑においては優れて政治的であるとも言えます。

これら3つの世界は、いずれも強まっていると言いますから、戦略を立てる際は、3つの世界を同時に生きていることを前提にしなければなりません。正しい答えがあるわけではなく、暗中模索の中で試行錯誤するしかありません。

ただし、ドラッカーは、行ってはならないことと行うべきことを指摘しています。

好待遇に釣られてはならない

減免税や高関税による保護、独占の約束などの好待遇に釣られて、戦略的な理由もなく特定の国家や地域に進出してはならないと言います。特定の進出企業にのみ与えられるようなこれらの好待遇は、いわば賄賂と同じです。必ずしっぺ返しがあると考えた方がよいでしょう。

また、同じく好条件であるからといって、自社の事業の定義や戦略に合致しない事業に進出してはいけないとも指摘しています。特に、その国や地域の企業を買収しての進出を戒めています。

経済的に行動する

進出する必要がある場合に行うべきこととして指摘しているのは、政治と経済を切り離すことです。

投資や買収といった政治的・法的な枠組み(所有権や命令権)を利用するのではなく、純粋に経済的な枠組みに限定した形での提携やパートナーシップ、合弁などを利用することです。

為替変動に対応する

国内のみで事業を行っている企業であったとしても、為替変動への対応を行うべきであると指摘しています。なぜなら、海外企業が、競合としていつでも現れる可能性があり、彼らは為替差益によるメリットを活用して低価格競争などを仕掛けてくる場合があるからです。

現在、世界で動いている資金の大半は、実体経済とは無縁の投機的資金です。無目的で野放図な動きをする不安定なものです。このような資金が為替変動を起こしているため、予測不能であり、合理的な収束も期待できないリスクでしかありません。

ですから、為替変動のリスクをヘッジ(回避)するための対策を講じなければなりません。ましてや、為替変動で儲けようとしてはなりません。経営者が行うべきは、事業であって博打ではありません。