組織が成果をあげるには、人の強みを生かす人事を行うことが不可欠です。そもそも組織をつくる意味は、人の強みを生かすことです。
人は強みがあれば弱みもあります。強みを集めて事業を築き、実行し、弱みを意味のないものにするために組織をつくります。
人事評価は、人の強みを知るために行います。弱みは制約要因としてのみ認識しますが、それをもって悪い評価をしてはいけません。上司と部下の人間関係を損ないます。
実際に弱みが成果を損なったとすれば、人事が間違ったということです。悪い評価をされるべきは部下ではなく、人事を行った上司です。
人事評価は、上司と部下の双方が、部下の強みを理解し、共有し、生かし磨くための機会を探すことです。上司と部下の関係を強化し、部下のやる気を引き出すものでなければ意味はありません。
優れた仕事をするための人事
優れた仕事とは、成果をあげる仕事です。成果をあげるには、人の強みを生かさなければなりません。
組織の機能は強みを生かすことです。強みで事業を築き、弱みを意味のないものにするために組織をつくります。
強みだけをもつ人はいません。大抵の人は一つの重要な分野で卓越性をもつのみで、その卓越性が大きいほど弱みもまた大きいものです。
ですから、人の強みこそが組織にとっての機会です。成果をあげるための重要な機会です。あらゆる人を機会として見ることが大切です。
常にまず「できることは何か」を考える習慣をつけることで、強みを探し、使う姿勢を身につけることができます。組織に属するすべての人に必要な習慣です。
人事においては、常に強みを中心して行うことを当然のこととしなければなりません。自分とうまく行っているかどうかではなく、その人の強みによっていかなる貢献ができるかを考えなければなりません。組織においては、成果より調和を重視することは間違いです。仕事と友情は切り離す必要があります。
弱みを知らなくてよいという意味ではありません。弱みは、強みを発揮するうえで制約要因になるからです。しかし、弱みに気をとられ、それを避けようとするあまり、強みよりも重視しようとすることは明かな間違いです。それは弱い人間のすることです。強い人間に脅威を感じている証拠です。そういう上司は、自分を喜ばせる部下を選ぼうとします。
強みによる人事が人をやる気にさせ、熱意と献身を引出し、成果に貢献する責任を引き受けさせます。その人を真に生かそうとする組織の意思表示だからです。
絶対のルール
実績によってある仕事に適任であることが明らかな者は、必ずその仕事に異動させ、昇進させることを絶対のルールとしなければなりません。実績を出した者には、そこで発揮された強みを最大化できるよう、最も相応しい機会を与えなければなりません。
その際に必ず出てくる声は、「手放せない。いなくては困る。」というものです。その声に耳を貸してはいけません。手放せない理由は3つあると、ドラッカーは言います。
- 本当は無能であり、かばってやる必要がある
- 弱い上司を支えるために、その者の強みを使っている
- 重要な問題を隠すため、あるいは取り組みを遅らせるために、その者の強みを使っている
このような声に従っていると、優れた者は意欲を失い、いずれ辞めることになるでしょう。優れた人材を失わない唯一の方法は、強みを生かせる機会を与えることです。
成果をあげられない者は容赦なく異動させることも絶対のルールとしなければなりません。さもないと、本人にとって意味なく残酷です。組織に対して成果をあげる責任も果たせません。他の者を腐らせることにもなります。よいことは何もありません。
上司は部下の仕事に責任をもつ
強みによる人事は、成果をあげるために必要なだけではありません。
上司は部下のキャリアを左右します。部下の強みを生かすことは、権力と地位に伴う責任でもあります。仕事上の必要性だけでなく、倫理的な至上命令でもあるということです。
ですから、上司は、強みを通して物事を成し遂げられるよう支援する責任があると考えなければなりません。それは部下の弱みを補うことでもあります。
リーダーの人事が最優先
人間集団の基準は、リーダーの仕事ぶりによって決まります。リーダーの仕事ぶりが高ければ、平凡な部下の仕事ぶりも高くなります。
ですから、リーダーの地位には、傑出した基準を設定できる強みをもつ人をつけることが重要です。
弱みを意識した人事を行わないために
強みによる人事は当然のように思われるかもしれません。
実際のところ、そのように行われることは稀です。多くの場合、弱みを重視した人事がなされています。
最大の理由は、なすべき仕事が目の前にあって、その仕事に配置すべき人を探そうとすると、どうしても無難な人を探しやすいことです。
仕事を人に合わせて設計し直してはならない
それを防ぐためという理由で、配置する人に合わせて仕事を設計し直そうとする考え方があります。ドラッカーは、決してそれをしてはいけないと言います。
なぜなら、仕事自体を属人的に修正し始めると、組織全体に連鎖反応が及ぶからです。結果的に仕事の融通が効かなくなり、人と仕事の乖離はますます増大することになります。
人の事情に仕事を合せることをし始めるなら、組織は情実となれ合いに向かいます。なすべき仕事、すなわち何が正しいかではなく、誰が正しいかを重視することになります。優れた者は意欲を失い、去っていくことになるでしょう。
仕事は客観的に設計する
仕事はあくまで客観的に設計することが必要です。非属人的に設計するから、多様な人材を配置できるようになります。多様な人材を許容できなければ、変革の能力が失われます。異なる見解の能力を組織内にもつことが、正しい意思決定のために必要です。
仕事を客観的に設計することは、業績を客観的に評価できることにもつながります。誰が正しいかではなく、何が正しいかを重視することができます。
ただし、例外的に仕事を人に合わせるケースも存在すると言います。尋常ならざることを卓越した能力をもって行うような例外的な人の場合です。そのような人が最大限の能力を発揮するために、例外的な仕事の設計が許容される場合もあると言います。
強みによる人事の原則
強みに基づく人事を行うための原則について、ドラッカーは4つをあげています。最初の2つは仕事に関する原則であり、後の2つは人に関する原則です。
適切に設計されていること
仕事を客観的に設計するといっても、人にできない仕事をつくってはいけません。あくまで人が行う前提での設計であり、特定の分野の知識やスキルを要求せざるを得ないことはあっても、その分野において並みの能力をもった人であれば務まるように設計すべきです。
あまりに特殊な気質を要求するような仕事、一人に多様すぎる高い能力を要求するような仕事をつくってはいけません。
客観的に設計された仕事ではなく、例外的な能力をもつ人に合わせてつくられた仕事がそうなりやすいと言います。
前職において十分な仕事ぶりを示してきた人が2~3人続けて挫折するようなら、適切に設計されていないと考えられますので、設計し直すべきです。
ドラッカーは、適切に設計されていない仕事の例をいくつかあげています。
大手企業で、販売管理の仕事と販売促進・広告宣伝の仕事を同一部門として一人のマネジメントが管理しようとする場合です。販売管理は主に物を動かす仕事であり、販売促進・広告宣伝は主に人(顧客を含む。)を動かす仕事です。どちらにも秀でて大規模に一括管理できる人はほとんどいないと言います。
マンモス大学の総長も困難な仕事です。利害関係者が大規模になり、専門分野も多様で内部管理も困難でありながら、多様な外交的仕事も要求されます。
多国籍企業の海外担当も規模が大きくなると困難になります。国内部門以外を一括管理するような場合です。ドラッカーは、海外部門が全体の2割を超えたら一人のマネジメントが管理することは不可能になると言っています。
そのような場合は、製品グループ別や社会的経済的共通性に基づく地域グループ別に分けるべきです。後者については、先進工業国ブロック、発展途上国ブロック、他の低開発国ブロックといった分け方があります。
大きな仕事として設計されていること
仕事があまりに小さく、狭く設計されすぎて、優れた人がやりがいを感じられないような仕事の設計は不適切です。能力が生かされない仕事は不満の原因となります。能力を存分に発揮でき、挑戦できるような仕事であってこそ、仕事に熱意を感じ、成果をあげることができます。
昇進のための一時的なポストとして設けられるような仕事で、狭く設計されすぎていることがよくあります。
補佐的な仕事や単なる調整役の仕事も同様です。責任や達成感を感じられない仕事は望ましくありません。
マネジメント自身、あるいはその直接の部下を使うだけで遂行できるものであることも必要です。組織の仕事である以上、他部門や他の人との連携はありますが、一定の目的や機能を区別でき、主体的に達成できる明確な目標を設定できることが重要です。
手段があまりに限定され、特定の気質をもった者しか務まらないような仕事も不適切です。ある程度の異なる強みをもった人であっても、それを生かして成果をあげられるような幅の広さをもたせるべきです。そのようにすることで、変化に柔軟に対応できるようにもなります。
大きな仕事の設計は、特に新人の知識労働者の場合に重要になります。本人にとっても、組織にとっても重要です。
最初の仕事は、その組織での本人のキャリアを方向づけるだけの影響力をもちます。組織の他の人たちにとっては、彼が何をできて、何をできないかをある程度知ることができなければなりません。
知識労働者は、採用の段階であらかじめテストすることができません。特定のスキルではなく、総合的な適性と能力が必要だからです。実際に仕事をして初めて明らかになるものです。
組織の価値や目標も重要な意味があり、それらとの適合も最初の仕事でテストされます。たとえ同じ業種・業態であっても、組織によって価値基準は違うため、重視される貢献も違ってきます。早い時期に適した仕事かどうかを判定できることが、本人にとっても組織にとっても必要です。
その人に務まること
仕事は客観的に大きく設計されるべきですが、だからといって、あらゆる人が務まるような完璧な柔軟性を供えることは不可能です。
人事は仕事に対して人を割り当てますから、その人にできる仕事でなければなりません。
要するに、人事のはるか前から、一人ひとりの人について定期的に人事評価を行っておかなければならないということです。
ただし、「人事考課」と呼ばれるものについては、もともと治療用に開発されたものですから、取扱に注意が必要です。弱みを診断するべく評価することに主眼があるからです。
弱みに焦点を合わせると、上司と部下との関係は破壊されます。人の欠陥について話をすることは医師と患者の特別な関係であり、患者が病気を治すために自らの意思で治療を受ける場合に許容されることです。組織における上司の権限を逸脱しています。上司が部下の人事考課を嫌な仕事とみなしている原因がここにあります。
潜在能力に関心を持ちすぎる点も人事考課の問題点です。実際のところ、将来の可能性や別の仕事での可能性など評価することはできません。見込みがあっても実現されないことの方が多く、見込みがないと思われた人が実際に成果をあげることも稀ではありません。
仕事に実現されていない潜在能力は、仕事の評価として適切とは言えません。本当に潜在能力があるなら、仕事で存分に発揮させ、成果を評価するのが筋です。
それができないとすれば、仕事の設計に問題があります。仕事を大きくかつ挑戦的なものに設計していないということです。あるいは、その人の能力に相応しくない仕事が与えられているということです。その人にとってやりがいのない仕事であり、不満の原因となります。
結局のところ、現実の成果しか評価することはできません。成果は、あらかじめ期待が明確であって初めて評価できます。期待と成果の対比によってのみ評価できます。自己目標管理が必要な理由です。あらかじめ上司と部下が議論して明かにした目標が期待であり、その達成度合いが成果です。
ドラッカーが示す成果をあげる評価は、貢献の目標と実際の成果を記録し、その記録をもとに評価するものです。評価の視点は、その人の強みを見出すことです。
- よくやった仕事は何か
- よくできそうな仕事は何か
- 強みを発揮するには何を知り、何を身につけなければならないか
- 彼の下で自分の子供を働かせたいと思うか
- そうであるなら、なぜか
- そうでないなら、なぜか
弱みは制約としてのみとらえます。弱みとして悪い評価をしようとしたり、何とか克服させようとしたりしないことです。人間関係を損ないます。
3番目については勘違いしやすいところですが、知識やスキルは、それがあるから強み、それがないから弱みとは限りません。身につければすむような知識やスキルは、それが今足りないからといって弱みということではありません。
4番目については、人間性と真摯さに関わります。自分の子どもを働かせたくないと評価した場合に、人間性と真摯さの欠如によるものであれば、組織において相応しくない唯一の弱みになります。他の者に影響を与えない地位でしか仕事をさせられないような致命的な弱みです。
「自分の子供をその人の下で働かせたいか」という問いは、20代そこそこであったドラッカーが、世界的規模の大組織の長をつとめる70代後半の人から教わったことだそうです。
ドラッカーは、「自分の子供をその人の下で働かせたいか」、「自分の子供がその人のようになってほしいか」を考えることこそ、人事についての究極の判断基準であると言います。
弱みを我慢できること
ドラッカーは、その人がもっている強みがその仕事と関係があり、その強みによって卓越した成果をあげることが重要であるなら、弱みは我慢しなければならないと言います。
弱みが我慢できないから成果の方で妥協するというのは間違いです。
弱みが我慢できる2人で対応させるというのも意味がありません。求められる強みにおいて凡人である2人が、優れた1人の代わりにはならないと言います。互いに邪魔をし合って、凡人1人分の成果もあげられないと言います。
強みを生かす社会的責任
現在は多様な知識労働の種類があり、多様な雇用の選択肢があります。ところが、若者は、自分についても、機会についても十分な情報をもっているとは言えません。職業教育が十分でないからです。
強みをもとに人事を行うことは、組織だけでなく、社会にとっても不可欠な機能です。
専門化し、断片化した多様な知識をもつ若者は、学校教育において次々と生み出されます。彼らの多くは、組織においてしか成果をあげることができません。組織において成果をあげることが、彼らにとっての自己実現です。
組織において強みを生かす人事は、社会に対して有用な成果を提供し続けるためにも、社会の構成員に自己実現の機会を提供し続けるためにも必要なことです。