ポスト資本主義社会

「ポスト資本主義社会」とは、1993年に出版されたドラッカーの書籍のタイトルです。

1968年に出版された『断絶の時代』で、新しい潮流が明らかにされ、すでに企業、経済、政治、情報の世界で起ころうとしている転換について予測されました。

『ポスト資本主義社会』は、それらの潮流がつくり出しつつある世界を見つめたものです。『断絶の時代』は、分析であり、描写であり、診断でしたが、 『ポスト資本主義社会』 は行動への呼びかけであるといいます。

世界では、1973年頃を境に、数百年に一度の歴史の転換が起こりました。その転換は、数十年をかけて世界観を変え、価値観を変えます。社会構造、政治構造を変えます。技術や芸術を変え、機関を変えます。

この転換は歴史の断絶です。この「断絶の時代」において、「ポスト資本主義社会」が生まれつつまります。

ポスト資本主義社会は、主たる資源が知識である社会、すなわち「知識社会」です。

さらに、社会のあらゆる問題が組織によって解決される「組織社会」でもあります。しかも、個々の組織は、専門的な目的のみを追求します。そのような多様な組織によって構成される「多元的な組織社会」です。

政治の世界では、400年にわたって主権国家の時代が続きましたが、多元的な組織社会では、国家が政治の唯一の統合体ではなく、単にいくつかある組織のうちの一つであるに過ぎません。

主権国家は、これからも重要な要素ですが、グローバリズム、地域共同体、国民国家、地方、部族などが競争しながら共存する多重構造のなかの一つの要素ともなっています。

ドラッカーは、これを「ポスト資本主義政治体制」と呼びます。

なお、ドラッカーは、『ポスト資本主義社会』において、ポスト資本主義社会の様相を、社会、政治、知識の切り口で詳しく説明しています。次の記事を参考にしてください。

ポスト資本主義社会とポスト資本主義政治体制

18世紀後半以降、社会の支配的な現実は「資本主義」でしたが、社会の支配的なイデオロギーは「マルクス主義」でした。

かといって、資本主義社会に続く「ポスト資本主義社会」は、マルクス主義社会ではありません。

マルクス(1818年~1883年)によると、資本主義社会は「資本家(ブルジョワジー)」と「労働者(プロレタリアート)」の2つの階級によって占有されます。ブルジョワジーは資本をもつため、プロレタリアートを支配します。プロレタリアート(ブルーカラー労働者)は資本を持たないため、阻害され、収奪され、従属させられます。

ところが、マルクスが死去した1883年に生産性革命が始まったため、ブルーカラー労働者は豊かな中流階級になり、あらゆる先進国で政治と社会を動かす中心的な存在となりました。プロレタリアートではなくなったのです。

次いでマネジメント革命が始まると、ブルーカラー労働者は急速に減少し、力と地位を失い始めました。ブルジョワジーも、専門経営者にとって代わられました。

ただし、マルクス主義と共産主義の崩壊を世界にはっきりと知らせたのは、1989年のベルリンの壁崩壊と1991年のソ連崩壊でした。

これは同時に、「社会による救済」への信仰が終わったことも意味します。「社会による救済」を予言したのはルソー(1712年~1778年)であり、その究極を説いたのがマルクスでした。

ライプニッツ(1646年~1716年)は、超自然的な存在である神に対する共通の信仰がなければ、世俗的な信仰が台頭し、個人の自由を抑圧する虐政になると主張しました。

その懸念を裏づけたのがルソーでした。社会は個人を支配することができ、支配すべきであると主張しました。社会は、超越的な「一般意思」(マルクスの言う「歴史の客観的法則」)に従属させることができるし、従属させるべきであると主張しました。

フランス革命以降、社会による救済が、支配的な信仰になっていきました。禁酒、ユダヤ人抹殺、精神分析の万能化、私有財産の廃止という形で現れた世俗的信仰です。その究極が、マルクス主義でした。

しかし、マルクス主義は、富を創造する代わりに、貧困を創造しました。経済的な平等をもたらすどころか、経済的特権を享受するノーメンクラツーラ(共産党単独支配国家におけるエリート層・支配階級)をもたらしました。

ドラッカーによると、マルクス主義は、人間がもつ最悪の部分のすべて(腐敗、貪欲、権力欲、嫉妬、不信、圧政、秘密主義、欺瞞、窃盗、威嚇、犬儒主義(すべてのものごとを冷笑的にながめる見方、態度))を強化し、顕在化させました。

信仰としてのマルクス主義の崩壊は、社会による救済という信仰の終わりを意味しました。

 

ところが、先進国では、マルクス主義が形を変えて実現したと見える面もあります。

かつての資本家に代わって、年金基金が資本の大半を所有するようになったからです。年金基金の所有者は、組織の従業員です。その意味では、事実上の社会主義が実現していると言えなくもありません。

ただし、年金基金の管理者は、年金基金で働く投資アナリストやポートフォリオ・マネジャーです。組織の従業員が所有者として実質的な経営権を行使しているわけではありません。

さらに、ポスト資本主義社会において支配的な諸階級は「知識労働者」と「サービス労働者」です。「プロレタリアート(ブルーカラー労働者)」独裁の代わりに、異なる種類の「労働者」が支配的地位についたことになります。

要するに、ポスト資本主義社会は、支配的現実の資本主義を超え、支配的イデオロギーのマルクス主義をもすでに終わらせ、まったく新しい社会をつくり始めています。社会の重心、構造、力学、階層、問題などが異なったものになります。

ただし、市場は、今後も、経済活動の調整役として有効に機能し続けます。資本主義の主要機関も生き残ります。

知識社会への移行

ポスト資本主義社会における経済上の基本的資源(生産要素)は、資本・土地(天然資源)・労働ではなく、「知識」です。

かつて、富の創出の中心は、資本と労働を生産的に使用することでしたが、現代では、知識を仕事に適用することによる「生産性」と「イノベーション」です。

したがって、ポスト資本主義社会でもっとも重要な社会勢力は「知識労働者」です。知識の生産的使用は知識労働者にかかっています。

知識労働者のほとんどは組織によって雇用されます。しかし、彼らは年金基金を通じて「生産要素」を所有し、自分とともに自由に移動できる知識という中核的「生産手段」を所有します。よって、資本主義社会の労働者とはまったく違います。

ポスト資本主義社会における経済的な課題は、知識労働と知識労働者の生産性です。

社会的な課題は、第二の階級ともいうべき「サービス労働者」の尊厳に関わる問題です。サービス労働者には、知識労働者となるために必要な教育が欠けていますが、多数派はサービス労働者です。

さらに、「知識」の考え方が、「知識人」と「経営管理者」で二分化される問題があります。知識人にとっての知識は言葉と思想に関わり、経営管理者にとっての知識は仕事に関わります。この二分化を乗り越え、統合することが、哲学上および教育上の課題になります。

国民国家を超えて

1990年のイラクのクウェート侵攻に対処した主権国家のグローバル連合は、政治的に重要な意味があったといいます。過去400年にわたって唯一の主役であった主権国家としての国民国家の終焉です。

テロリズムを防圧するためには、国家を超えたグローバルな行動が不可欠であり、共通の利益を、国民感情や自国の利益に優先させる必要があることを実際の行動で示した点で、前例がないといいます。

1991年の対イラク戦争は、西側の石油供給を守るために始められたという意見がありました。ドラッカーによると、これは事実とほど遠いといいます。

なぜなら、イラクによるクウェート油田の支配(同じくサウジ油田の支配)は、西側諸国にとっては経済的利益(安い石油価格)であったからです。

クウェートやサウジアラビアには、ほとんど自国民というものがなく、石油による収入を早急に必要としないため、石油価格を高く維持するために生産量を低く抑えることに関心があります。

しかし、イラクは人口過剰で、石油意外にほとんど資源がないため、石油をできるだけ売ろうとします。だからこそ、アメリカはイラクに深く肩入れしてきました。サダム・フセインは、クウェートに侵攻してもアメリカは黙認すると信じていました。

大手石油会社の人びとも、アメリカ政府は不快感を示す以上の行動は何もとらないであろうと信じていたといいます。

 

「国民国家」の概念を発明したのは、フランスの法律家・政治家であったボダン(1530年~1596年)です。国民国家は唯一の政治的権力機関となり、フランス革命以降、「社会による救済」という世俗的信条の担い手ともなってきました。

ドラッカーによれば、主権国家である国民国家を唯一の権力機関とする教義にとって、社会のすべてを国家が支配する全体主義が、究極の理念であり理想であったといいます。

ところが、第二次世界大戦(1939年~1945年)以降、国民国家は着実に唯一の権力機関としての地位を失い、先進国は急速に多元社会に変わっています。対外的には、政府機能の一部が、グローバルな機能に代替され、地域共同体の機能に代替され、部族的な機能に代替されています。

だからといって、国民国家が衰退しているわけではありません。唯一の権力機関ではなくなり、他の機関と力を分け合うようになりつつあるということです。ただし、どのように分け合うのかについて究極の姿が見えているわけではなく、今後も政治的課題として存在していきます。